「ふつう」に憧れる人生。

いま思うと、僕は常にふつうに憧れていた。

幼稚園の頃は、みんなと一緒に外で遊ぶことはなく室内でままごとをしていた。
小学生の頃は、放課後に遊びに誘ってくれる人がいても面倒くさくて断ることが多かった。
当時はそれが自分にとって快適だったけど、こうした幼少期の一匹狼っぷりがふつうのレールから逸れていく原因だった。

中学校では野球部に入った。
幸い野球部の仲間はみんな優しく、ちょっと変わり者の僕に温かく接してくれた。

小学生低学年から野球はやっていたが、練習は面倒臭くて嫌々行っていた。中学の野球部ではようやく仲間の良さに気付き、下手くそながら多少は真面目に取り組んだ。

このとき野球部に入ったおかげで「ふつう」から大きく外れることをギリギリ防ぐことができた。自分の個性だけを信じるのではなく、社会に認められて生きていきたいという欲が出てきたのもこの頃で、ちょうど「中二病」的な時期とも重なる。

中学くらいまで常に学年10位以内に入るような勉強だけが取り柄の生徒だったが、勉強よりもスポーツでクラスの序列が決まるような年頃。承認欲求がどんどん強くなる一方の僕は、勉強を捨てとにかく皆の注目を集めたいと思い始めた。

高校に進み、イベントのときは人前に出てモノマネをしてみたりしてとにかく「人に認められる」ことを追求した。おかげで人間関係は広がり、クラスの中心人物たちにも認知され「ふつうのグループ」と渡り合う高校生活を送ることができた。

それを言い訳にしてはいけないが、大学はほどほどの大学に進んだ。
世間的には悪くない偏差値だが、中学までの成績から考えると失敗だったと思う。自分のなかの承認欲求を無視することができればもっと良い大学に入ることができたかもしれない。でも人とのコミュニケーションになんとかしがみ付いていけたのも成果ではある。

中高時代の「ふつう」に対する執着が正解だったかどうかは何ともいえない。
でも30になった今も、ふつうの先にある「恋愛」がどうせできていないのを考えると、もっと勉強に没頭するべきだったかなとも思う。

ふつうを求めたり、非凡を求めたり、結局無いものねだりなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?