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長い前書き――爺医がクィーンズクリニックを始めるワケ――

 令和六年元旦。
 老いたせいか、一休宗純の作とされる狂歌「門松や冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」に得心がゆく。
 私たちの親世代までは、年齢を「かぞえで何歳」と表現していた。 この〈かぞえ年〉は、生まれた時が一歳で、正月を迎えるたびに一歳加える、昔から伝わる年齢の数え方だ。それに倣えば元旦の今、満75歳の私も「かぞえで七十七歳の喜寿」を迎えたはず。

エイジズム

 エイジズムとは、年齢に基づく固定観念や偏見・差別のこと。多くは高齢者に対して使われる。
 1969年、アメリカの医学者、ロバート・ニール・バトラーが提唱。
「エイジズムとは、年をとっているという理由だけで、高齢者たちを組織的にひとつの型にはめ差別することだ」と定義している。
「いい歳をして、こんな派手な格好をするなんて……」とか「そんなことをするのは、きっと歳のせいだ」などの言はエイジズムに当たる。
 お年寄りにタメ口や赤ちゃん言葉を使うなども典型的なエイジズムである。
 また逆に高齢者だからと世話をし過ぎることも自主性を損ない尊厳を奪う。
 今や(人種・性差別と同様に)エイジズムは重い差別とされる。
エイジズムも肯定的に唱へれば亀の甲より歳の功なり(医師脳)
 米国の医師1万2千人を対象にした「専門分野にわたる医師のキャリア満足度」という報告がある。それを見ると、老年内科医の「医師としての満足度」が突出しており、高齢化とともに増加していた。おそらく老年内科医として、自分自身や家族・友人などの要介護あるいは死に思いをめぐらすことが関係しているのだろう。
 超高齢社会に向けて、定年退職した医師に老人医療を学ばせ再雇用してはどうだろうか。老人の心理を自覚している老人医師の方が老人医療には適しているはずだ。
 ちなみに私のような元産婦人科医の場合、高齢者には女性が多いから「昔取った杵柄!?」となるかも。
「経験豊富なお年寄り」と、かつては尊敬もされた古き良き時代を懐かしみつつ……。
老人を包括的に診らるるは老医なりとふ言や宜なる

エイジング・パラドックス

 エイジング・パラドックスとは「加齢に伴い負の状況が増すのに、高齢者の幸福感は下がらない」と言われる現象である。
「なぜ低下しないのか?」
 これに対して、権藤恭之氏(大阪大大学院准教授)は次の可能性を指摘する。
①「幸福感の高い人ほど長生きしやすい」
②「超高齢期以降にも幸福感を維持するための仕組みが存在する」
 その仕組みは「老年的超越」と呼ばれ、「現実に存在する物質世界から精神世界への認識の加齢変化」と定義するらしい。
エイジング・パラドックス不思議なれども有り難し。延寿長寿の指針なるべし

アクティブ・エイジング

 週一とはいえ、現役医師を続けられる幸せ。
医師法と同い年生まれの爺医われ第一条まもり地域に貢献す
半世紀前の医師免許証ありがたし「賞味期限」なる語とは無縁と自負す
 かつて被災地で若者たちと活動しているうちに、気持ちだけは若返ったのかも知れない。
「アクティブ・エイジング」を自ら心がけている効果でもあろう。
 とかく後ろ向きに捉えられがちなエイジングであるが、逆に爺医は「アクティブ・エイジング」と変え「超高齢社会を積極的に生き続ける努力の営み」と考えている。
 『2025年問題』というのは、団塊世代にとって、喜寿を迎えられるかどうかということでもある。
 平均寿命(男性81歳・女性87歳)から見ると、多くは喜寿は超えられそうだが、重要なのは健康寿命である。介護の世話になる前に、これまでの人生で蓄えた能力や人脈などを使い、アクティブ・エイジングを送っては如何だろうか。

昔取った杵柄

 金曜の午後は、子宮がん検診の担当だ。本来なら、診察の前に自己紹介をしておくべきだろうと思うのだが、タイミングが合わないので、こんなチラシを作った。待合室で見てもらおうという趣旨である。

 わざわざ〈産婦人科医としての主な経歴〉などと表示したのは、少しでも安心して診察を受けてもらえるようにと気遣ったつもりである。更に肩書まで記したことで忸怩たる思いはあるが、他意はない。
 1973年春、弘前大学の卒業を前に、進路について考えた頃のことを思い出す。
 能力的にも性格的にも〈研究者〉には向いていないと、この道は最初にあきらめた。
 また〈厚生行政〉に関しては、
「保健所の所長になるんだろうな」ぐらいにしか思っていなかったので、これも殆ど考慮の余地なしだ。
 その結果は、何の迷いもなくというか、何も考えずに〈臨床医〉を選択したのである。
 まず最初に、内科系は自分の性格に向かないから、とりあえず外科系にしようとは決めた。
 臨床実習で各科を廻っていた頃、一日に何度も
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます!」という会話が交わされ、若々しく独特な雰囲気の産科病棟に惹かれた。
 私が〈産科医〉を選択したのは、このように単純明快な理由からだったのである。
 実際に産科医として医療現場に飛び込んでみると、学生実習で垣間見たバラ色の園だけではなかった。
 ひとつは、「お産は病気ではなく生理的なものなのだから、できるだけ医療の介入を避けたい」という、ナチュラルバース希望派への対応だ。
 当時、実用化され始めたばかりの分娩監視装置や超音波画像診断装置などを駆使して、できるだけ正確な情報を提供しつつ本人や家族の希望も尊重する必要があったのである。この頃の経験は、クライアントとのコミュニケーションを大切に、かつバランス感覚を失わないような日常診療に役立っていると思う。
 ふたつめは、いろいろな合併症妊婦や家族への対応だ。
「命をかけても生みたい」と言い張る妊婦と、「母体は危険にさらしたくない」という家族に対し、できるだけ新しい医療情報を収集してコンサルテーションをした。その際、関連の診療科スタッフと重ねたネゴシェーションの経験や人脈は、その後の人生のいろいろな場面で役立っている。
 安全で快適な分娩を提供することが、産科医としての私の変わらぬモットーであった。
 当時も妊産婦死亡の多くは産科出血に関連するものであったから、パイオニアとして〈輸血医療〉の分野に飛び込んだのも自然の成り行きだったのである。血液型不適合妊婦の血漿交換や感作予防プログラムなど、アメリカでの情報に基づいて日本で始めたのもこの頃である。
 これらの実績を元に、『産科婦人科領域の輸血』や『症例で学ぶ輸血』など執筆したのも貴重な思い出だ。
 産科医療におけるリスクマネジメントの観点から、インターネットを利用した大規模臨床研究として、臨床産科情報ネットワーク(CОIN)を開設運用したのもこの頃だ。
 これがきっかけで、国立国際医療センターで〈医療情報〉や〈国際医療協力〉という三足目のワラジを履くことになる。幅広い交友の輪が広がったことに加えて、
*戦争直後のバグダッドへ外務省の医療調査団として出かけたり、
*JICAの医療指導としてマダガスカルに二度も滞在したり、という得難い経験もできた。
願はくは医者つづけゐる日常に一瞬の〈時の錘〉を詠みたし

ゆりかごから墓場まで

 この「ゆりかごから墓場まで」は、私にとっての〈人生行路〉でもある。介護老人保健施設へ勤務していたころの元産科医にはピッタリのフレーズだと思う。
 親の介護を機に老人内科を勉強したが、必要に迫られて〈何でも科〉の看板を掲げている。手当てが済むと両手を合わせるおばあさんが多い。そんな時は、照れ隠しに両手を取り
「まだ仏様でねぇんだがら、それほんど拝まれでも……」と握手をする。
診察後に握手をすれば恥ぢらひて笑む媼らは母にもおぼゆ
 施設での〈看取り〉を望む家族が増えてきた。
「最期までお願いします」と頼まれれば、爺医としての〈一分〉も立つ。死亡診断書を書いた後も家族との語り合いは大切だ。入所中の様子を振り返りつつ、労いの言葉を添える。
「長い間の介護、大変でしたね」の一言は、自宅で看取れなかったという家族のわだかまりをとかすと信じている。更に言えば、同席する看護介護スタッフに対する感謝でもある。
老いたれど医はわが天職ぞこののちも地域医療のささへとならむ

医者人生五十年、その後

 「人生は一度きり」と、後先考えずに生きてきた。白い巨塔を離れた頃、国際医療協力に取り組んだ頃、両親の介護で老人医療に転身した頃、東日本大震災の医療支援に飛び込んだ頃など。後悔はないが、そのたびにリセットしていたら、今は何番目の人生になるのだろう。
週一で健生病院に勤るも爺医われにはディケアならむ
 毎週金曜日に続けてきた健診医としての半年を振り返ってみる。
 団塊世代の女性たちは、健診の後「あの~せんせい」と遠慮がちに尋ねることが多い。大概の方は、2~3分の遣り取りで笑顔となり診察室を去っていく。
『健生』とふ理念に同じ津軽にて認知行動療法をせむ
弘前で健康寿命を延ばさむと『健生塾』にて養生訓を垂る
それとなくナッジ理論をひそませて健診のあとで養生訓を垂る
生きるとは動的平衡。食べ物で明日の我が身を再構築せむ
家系より栄養・環境に気を配り健康長寿で日々過ごしたし
何にせよ健康長寿の秘訣とは「You are what you ate.」に尽く

自家薬籠

 老健施設長をしていた頃のある日の診察室でのこと。
「ふらつきやすい」とか「食欲がない」とか(入所する姑の脇で)嫁は訴える。
 持参した薬袋には十九種類も!
 こんな状況は大概、複数の医療施設へ通院していた方に多い。
「大切な薬なのでキチンと飲むように」と、それぞれの医師から説明されたのだろう。お嫁さんは医師の指示をキチンと守り……結果は〈多剤併用〉である。
 持参薬のなかには(飲み始めた時期も理由も不明で)前医の処方を代々の医師が引き継いだと思われるものまである。
 世間で言う「薬の副作用」を、医学用語では『薬物有害事象』と称する。
「この薬物有害事象が、七十五歳以上の高齢者では(六十歳代までの1.5~2.0倍に)増える」と教科書にある。
「服薬数が六種類以上の場合、さらに薬物有害事象は増加する」とも。
 高齢者には、薬の減量も重要である。薬物代謝機能の面から見ても、高齢者にとって成人量は多すぎる。
「若いころから飲み続けてきた薬だから大丈夫」という思い込みに気を付けたい。
副作用! 十九種もの持参薬「医は算術」と吾は引き算
 高齢者には〈非薬物療法〉を工夫することも大切である。その点をバランスよくできるのが老健施設だと自負する。
 入所して一か月も経つ頃、姑に面会してきたお嫁さんは驚いて言う。
「ずいぶん元気になってぇ」と。
「持参薬を休んだだけですよ」と、医師たるものが得意顔で答えてはいけない。薬に対する高齢者の思いを考慮すること、処方した前医へ配慮すること……これらが地域連携の潤滑油なのだ。
足し算のポリファーマシーに立ち向かひ「医は算術」と吾は引き算
 「自家薬籠のモノ」とは、含蓄に富む表現だと思う。自分の薬籠にある薬を知り抜き、適当な匙加減もできる。と、爺医は(文字どおりに)解釈したい。

クィーンズ・クリニック

 令和六年元旦、「これを機に何か始めたい!」と詠む。
喜寿の朝「健康余命一年」のつもりで詰め込む年間計画
 新年の夢として、爺医はこんなことを思う。
 女性は男性より長寿であり、同じ病名でも頻度や臨床的経過などに差がある。が、これまでは男性を対象にした多くの臨床試験データを、そのまま女性に流用してきた。
 また薬物療法においても、効能や副作用に男女差が現れる。
医療にも多様性を! と唱へれば『女性老年科』こそ新年の夢
 詭弁を弄するわけではないが、「老年」と詠っても「お年寄り」のつもりはない。
 女性のライフステージは、大きく4つに分けられる。初潮を迎える「思春期」、女性ホルモン(エストロジェン)の分泌が安定する「性成熟期」、閉経を迎える「更年期」、そして更年期が終わった50代半ば以降を「老年期」と呼ぶ。
「老年」と聞いてネガティブな印象を受けるかもしれないが、日本女性の平均寿命をみると、時代とともに「老い」の意識や高齢者の定義も変わってきた。
「人生百年時代」と言われる今、個人差はあるものの「老年期」が人生で最も長いステージになりつつある。
 しかし元気な高齢者のなかには、こうおっしゃる女性も多い。
「孫でもないあなたから、『おばあさん』だなんて、呼ばれたくないわ!」
 そこで捻りだした言葉が、
『クィーンズ』である。これなら、女王様たちにも文句はあるまい。
 看板の「女性老年科」も、こんなふうに言い換えよう。
「クィーンズ・クリニック」と。
 
医療にも多様性を! と唱へれば『クィーンズ・クリニック』こそ新年の夢

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