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子どもが好きで先生になった人応援します 6 先生の道

暑中見舞い申し上げます。
元気ですか?

 暑すぎる毎日が続きますが、今年度の特別支援教育を必要とする子どもたちへのWeb教材作りもいよいよ、具体的なコンテンツ制作に取り組んでいます。

 事象として「不登校」や「引きこもり」という用語がありますが、そうした事象も含め、ASDの傾向を持つ子どもたちが「それも個性」「それでも生きてます」って、思える世の中には、まだまだ、なってはいないように思っています。

 全国「学テ」の結果(いつの間にか「学テ」という文字がためらいもなく新聞やテレビで使われる時代になりましたね)がこの間発表されましたが、各地の教育委員会の関心事は、保護者の関心と同じで「全国平均値との差」でしかないようです。

 穿った言い方れば「学テの点数がとれる地域にすんでいるかどうか」が関心なのですよね、それが「そこに住んでいる自分の子どもの学力」に影響があるのかどうかが最大の関心事と言うことですよね。

 まだ昔の学校の廊下のように「順位」が示されることはなくなったのは幸いですが、「素点」を「学力」と同一視する感覚は、「令和」の時代になってもまだまだ根強いもののようでね。廊下に張り出された一覧表の代わりにテレビの速報や週刊誌の記事で一喜一憂が始まります。

 特別支援教育でも、テストの点数がとりにくいっていうか、取れないという特性を持つ子どもたち(LD)への支援アプローチは、ずいぶん進んでいますね。デスレクシアというとりすぎることができる子どもたちへの関心も高くなってますが、なぜか特別な支援を必要とする子どもたちとして、とらえられていることに何か、わりきれなさを感じることがあります。
 「飛び級」制度は受け入れないという前提での議論のように感じるのは僕だけなのでしょうか。飛び級と学年留置がないのは、先進国と呼ばれる国では、どちらかというと珍しいケースだったように思いますが。

 一定の範囲のなかで収まりさえすれば安心し、大多数とよばれる「中間層」の範囲に収まってくれれば「義務教育」の責務は免れる、ということなのでしょうね。だから「個性的な教育」ではなく「個別最適化」の教育なのだそうです。

 親たちや教育委員会の意向を受け、もともと成績をあげることの大切さを知っている(中間層の環境と学歴社会のなかで育つた)真面目な先生たちは、「いかに教科学習の知識の獲得とその活用」を行うかという技術が教師の資質のすべてだと勘違いしているのかもしれません。教師という仕事も「福利厚生が安定した選択肢」の一つであっていいわけですからね。

 特に小学校や義務教育とされる中学校の先生は「平均値という枠」の外の子どもたちへの対応が苦手なのも仕方のない時代なのかもしれませんね。
幼いころのあこがれと身近な平均値の枠の中で選べる先生は、ある意味でお手頃な職に見えたのかもしれませんね。

 最近は「期待する保護者像」の枠から外れた保護者は○○ハラと言うそうですが、僕たちが出会った「モンスターペアレント」とよばれた、ちょっと過干渉で、ちょっと親の側が子どもとの分離がしにくくて、ちょっとだけ愛情を伝えるベクトルが違った親たちが、いつしか「毒親」と呼ばれ、「親ガチャ」と諦められて子どもたちとの距離に迷うような時代ですか。

 子どもと親の関係に先生が口を入れられなくしたのは誰なんでしょうね。
たしかに個人情報は保護しておかないといけませんよね。先生もそんな煩わしいことに関わらなくてもよいことになった時、ほっとしたかもしれませんね。

 でも、先生が人として成長できる場所が一つ消えたのは確かなことだったようにも思います。自分に家族ができる前から「先生」と呼ばれた若いころ頃、そうした場面がずいぶん僕には役立ちました。
 今では大学の心理学の先生が教えてくれるのでしょうね。
時代は変わるものだし、いつしか都会の玄関の二重ロックが当たり前の世界が過疎地の住宅にも流れ込み 安全を守るためといううたい文句がスマホでの施錠システムが当たり前になる時代を作るのでしょうね。

 「マイホーム主義」という言葉が生まれたときから、道徳は学校だけで教えられるものではなくなったことに気付けなかっただけのことです。

 特別の教科「道徳」では「道徳心」を評価する時代かきているのですが、学校の評価基準は行動評価できる余裕などないから、やっぱり市販テストかバターン化された記述式の評価なんだろうな。
 行動観察即評価なんてICTが進んだ現在なら先生が評価しなくても「監視カメラ」を学校中に「安全のため」に入れておき、行動を「AI」が判断することで評価すれば「正確な」判断ができるし枠から外れる行為に関して予防にもなるのにしないのは、なぜなのかな?
  「監視することは良くない」「学校は競技のルールを守らせるところではない」確かにそうですよね。
 この間、ICTの顔認識システムの話題になった時、「順法意識や規範意識をつけさせるためには機械の評価に任すより人間のmoralに依存したほうがいいか否か」で年寄りたちが盛り上がったけれど、法や規範が「なぜ必要なのか」を吟味議論できるという前提が必要だよなということで落ち着いた。
 
「ICTの利活用」という言葉が生まれた時から、知識は学校だけで学ぶ必要がないということに気づいた人たちもいるようですね。 
 
 いっそうのこと、高校入試の科目に特別の教科道徳をいれてくれたほうが、今の子どもたちの「道徳心」は向上するかもなんてことを考えている中学校の先生もどこかにいるかもしれませんね。

キーワードは「なぜ」ですね。子どもたちが解決したくなるような「なぜ」(問いとか発問とかいいますが)を作ることができる先生にはあまり「知識」はいらないように思うのです。「考える時間と空間」を提供すればいいだけだと思うのですが?

「知識が必要だと思うのはこどもなのです」(必要な知識を獲得するための手段さえ子供が手に入れれば獲得できる時代になっているはずですよね)

 僕にとっては、点数をあげることだけの先生生活はあまり面白いものではないものだと感じる出来事に何回か出会いました。(守秘義務があるので話すこともできません)
 だから、勉強が苦手な子どもたちや成績が悪くて困っている子どもたちにも有効なアプローチとしての指導方法はないかと考えられたのかもしれません。

 鳥栖市で上野一彦先生にであってLDという特性を持つ子どもたちへの支援アプローチを知ったのは随分前ですが、いつかこうした教育相談的なアプローチが義務教育のなかで必要になり、言葉は悪いかもしれませんが「流行る」のだろうなと考えてきました。

 昭和の時代以降に必要になるのはカウンセリングマインドを持った臨床心理学的知見を有する人材なのですが、規則によりどこまで許していいかという判断が必要だった「指導」になれていた昭和の僕たちは、すべてを受け入れる「受容」には、すこし戸惑いがありましたし「特別権力関係」などという言葉も知りませんでした。

 でもそんな状況のなか、先生の中でも「いかに楽しいクラスをつくるのか」みたいな「安心できる空間としての集団(学級)」づくりを夢みる先生たちや「同一の価値観でひとつの集団を作り上げるのではなく、多様で混沌とした状況のなかで、それぞれが認め合う」という理想の「子どもの社会」づくりを夢みた先生たちも数多くいたけど、今、令和の時代はどこかに行ってしまったのかなと思ってしまう時もあります。
というか、学校現場の大量退職の後世代間の乖離は深刻な事態だったようですが、あまり誰も気にしなかったのだと思います。人間関係の希薄さは時代の流れであり仕方のないことだと「離れていった人たち」にとっても関心のないことだったのかもしれません。
 かつての団塊の世代の共同幻想は「学級」という時間や登場人物が限られた空間での共同生活の中で演じられたドラマとしてテレビや映画で紹介されて久しいのですが、決してそれらは創作されたものではなく、リアルとして存在したことを忘れてはいけないと、老人たちは遠く離れた安全な場所でせいぜい呟いているだけなののかもしれませんね。

 「学校」という映画でシンボリックに表現される「教室」の中の多様性との対応(いわゆる集団づくり)も「これが正しい」なんてものはなかったように思います。

 ただ目の前の「一人の子ども」に「僕が今」何ができるかしか考えられませんでした。その対応を周りの子どもたちが「子どもたちの純粋な感性」でみていること、そんな感性は小学校のある時期を過ぎると「諦め」や「嫉妬」で曇っていきやがて「理想」という幻想に置き換えられてしまうのではと思ったのは先生をやって5年もしない頃だったと思います。

 やっぱり「今」何をしているか、何をやろうとしているかがとても大事なんだろうね。久しぶりに会う孫たちと何をするか、それで頭のなかが一杯な老人はあなたの言う「平和な日本」の勝ち逃げ(価値逃げ?)世代の典型的な生活なんだろうね。

 でも、現場を離れてから、密かな楽しみができましたよ。
知り合いの若い先生たちのの活躍を報道で知ると元気がでます。
なにげにインターネット検索していたら若い先生の実践記録を見つけることがあります。学生の頃の無垢な顔が甦り、若い先生たちの頑張りを勝手に「自分のしてきたことは間違いではなかった」と思い込むための理由にしているだけですけどね。

 あなたの質問に少し真面目に答えておきます。

 授業へのアプローチは2方向あるように思います。子どもたちに「新しい(未知)の知識に触れさせ、それをもとに新しい考えを生み出させる(引出す)」専門性と「ひとつの問い」から「ICTやAI」という「便利な道具を使いこなすことで知識を獲得させ」それをもとに新しい考え」を身に付けさせるかみたいなことでいろいろ考えたこともありました。

でも、どちらかが万能な対応策ではなく、目の前の子どもに「あう」やり方を選べる力(僕の場合は直感と経験則しかなかったけどね)と子どもたちが目を輝かす問いを作る力が必要なのだと思う今日この頃です。

ただ、目の前にいる困難な状態にある子どもや困った感を持った子どもへの対応を周りのもたちが「子ともたちの純粋な感性」でみていること、そして、そんな感性は小学校のある時期を過ぎると「諦め」や「嫉妬」で曇っていきやがて「理想」という幻想に置き換えられてしまうのではと思ったのは先生をやって5年もしない頃だったと思います。

だから、どうしたかですか。

 青い鳥をおいかけることより、自分を素直に吐露できる人との出会いを求めるようになったのはその頃からです。

 旅することが好きになりましたね。自然との出会い、人との出会いはリフレッシュするたてめに必要なことでした。ついでに教材もつくれるし。

 他人に、いや肉親にすら、自分を吐露できない人間が、子どもたちに「素直に自分のことを語りなさい」「人のきもちを理解しなさい」「頑張りなさい」なんて励ますのは、ある意味で傲慢だとおもったのかも知れませんね。

 あなたが言うように「自信を持って教師してた」なんて考えてもいませんでしたよ。「しなやかではなくしたたかな教師になろう」とは思っていたかもしれません。

 ただ「先生っていう仕事は面白い」って思ってましたけどね。

何であなた達に伝えなかったかですか、

 「自信を持って」「自分を主張できて」「前向きに仕事をこなしている」人には助言など必要ないのです。

 楽しんでいるかいないかは、わかるときもあるけど、余計なお節介と思われるのが嫌だし、今と昭和とでは「人と人の距離感」が違います。

 (訳のわからない)「自信を持って」
(他人のことは考えずに)「自分を主張できて」
(言われたことだけは)「前向きにきちんと仕事ができる」真面目な後輩。
があなたなら、何かを伝える努力はしないと思います。

伝える側が
(誰かに助けてもらわないと)「自信がもてなくて」
(誰かのことを気にして)「自分のことはあとまわしにして」
(言われたことよりやりたいことを優先して)「なんとか仕事をしている」先生だったからなのかもしれません。
大量退職したあなたたちが入る前に先生だった人たちは「だから」伝えなかったし、一太郎に蓄積していた教育資産も「ワード」に置き換えられることなく埋没していったのだと思います。

 学校の管理職には「業務引き継ぎ書」という引き継がなければならないことをきちんと引き継ぐ書類がありますが、小学校では学級経営や指導内容(指導技術やスキル)」に関しては紙ベースで引き継がれていた時代からデジタルベースでの引継ぎが行われた変化の時代でもありデジタルスキルが獲得できなくて指導技術を持っていた人たちが「世代間乖離(人間関係の希薄化)による職員室の静寂の時代」に何も伝えなかったとしたら家に持ち帰られた個人パソコンにそうした資源は埋没したままになっているはずです。

 ワードを使う後輩のために一太郎をコンバートするのにも専用ソフトがいる時代でした。ワープロで文書作成をしていた世代ですから一太郎の習得は多くの先生ができていましたけどNECのパソコンが姿を消し一太郎やロータス、桐などというソフトが公式文書作成から使われなくなり、新たにワード、エクセルを習得することをよしとする先生は少なかったように思います。費用や作業時間のことを考えると、よほどのことがないと「データ」特に指導技術に関しての伝達は難しかったのです。

なぜやめなかったか、ですね。

 僕も、若い頃、昭和の時代でしたが、面白くなくなれば辞めればいいとなんとなく思ってましたが、明治から昭和まで続いた聖職という倫理観や善き家長としての「家族は養わなければならない」「嫁は大切にしなければならない(上から目線で)」に縛られたことや「亭主関白」というノスタルジックな憧れもあって先生という仕事をやめられなかっただけです。

 長い電話でしたがまだあなたのような「昭和の呪縛から解き放されてない先生」もいることがわかりちょっと安心しました。

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