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Sport for Life - カナダがマルチスポーツを推す理由(前編)

「二刀流」シンポジウム 記事特集 第2弾。今年1月に帯広で行われたシンポジウム「考えよう。みんなで『二刀流』− マルチスポーツの秘める可能性」( 日本アイスホッケー連盟主催)では、アイスホッケー大国カナダのアスリート育成についても取り上げました。その様子の前編は、明かされつつあるマルチスポーツのメリットについて、クイズも交えながらご紹介しています。

カナダにおけるマルチスポーツ推奨活動と日本におけるマルチスポーツ事情
講演者:
東京理科大学助教・日本アイスホッケー連盟企画委員会委員
新井彬子氏(写真左から3人目)

私からは、カナダのマルチスポーツ(※multiple sports=一つの競技に絞るのではなく、複数の競技を並行して行うこと)システムについてご紹介します。アメリカやカナダなど、スポーツ先進国と言われる国々では、既にマルチスポーツに焦点を当てたプログラムやスポーツ政策というものが存在しています。

では、どうしてマルチスポーツを取り入れるべきなのか。マルチスポーツにはメリットがある、という科学的なエビデンスを集め、それに基づいて広くスポーツに関わる人々を啓蒙しようという活動をしているのが、カナダのCanadian Sport for Life Soceity(カナディアン・スポーツ・フォー・ライフ・ソサエティ、通称「CS4L」)というグループです。CS4Lの最近のマルチスポーツに関する研究と、カナダにおける活動を紹介しながら、どうしてマルチスポーツを取り入れるべきなのか、そして取り入れるならいつ取り入れるべきなのか、ということを一緒に考えていただければと思います。

ところで、皆さんは「10,000時間の法則」(Ericsson, 1993)というのをご存知でしょうか?トップアスリートやアーティスト、熟練の匠といった、その道のプロと呼ばれるようになるには、10,000時間の練習時間が必要である、という法則です。10,000時間というのは、1日3時間トレーニングを行うとすると、約10年かかるので「10年熟達のルール」とも言われています。これは元々、1993年にバイオリニストを対象とした研究で明らかになったものですが、スポーツにもよく応用されています。これを受けて、スポーツ界においても、とにかくたくさん練習しなければいけない、天才と凡人を分けるのは才能よりも練習時間である、というような解釈がなされるようになりました。具体例として、タイガー・ウッズ選手は3歳からゴルフをやっていた、など英才教育を受けたアスリートのケースが強調されてきました。また、日本のシステム上でも、野球のリトルリーグのスカウトのようにタレント発掘の若年化が進んでいきました。子供達にとっても、早くから認められないと、早くから大会で良い成績を残さないと、その後恵まれた環境でスポーツができない、という風潮になっていきました。

ただ近年、この「10,000時間の法則」に反論するような研究成果が出始めています。ここで、皆さんのマルチスポーツに関する知識を知るための4つのクイズを用意しましたので、ちょっと一緒に考えてみてください。

まず1問目。

………

こちら、統計的には「×」といえます。最近の研究では、大学やプロのレベルまでトップレベルを維持したアスリートは、子供の頃に他の競技もしていたということが分かっています。

例えば、アメリカの大学スポーツの最高峰、NCAA Division 1 でプレーするアスリートのうち、小さい頃から今の競技だけをしていたという人はたった17%しかいませんでした(Malina, 2010)。残る83%もの学生アスリートは、他の競技もしながら育ったということです。

さらに、2016年にNFL(アメフト・プロリーグの最高峰)でドラフトされたプレイヤーの約90%が、高校までは他のスポーツにも取り組んでいたということが分かっています(USA Football, 2016)。かなり大きくなるまでですよね!

続いて2問目。自分の子供をアスリートに育てたいと思った時どうしますか?考えてみてください。

………

これも「×」です。先ほどの10,000時間の法則に直接チャレンジするような研究結果です。オーストラリアのナショナルチーム(ネットボール・パスケ・フィールドホッケー)で調べたところ、皆平均12歳ころからひとつのスポーツに絞り始めています。その後、一つの競技でその国の代表レベルに達するまでに平均約13年間をかけて計4000時間の練習をしたという結果が出ています(Baker, Cote & Abernethy, 2003)。これは10,000時間の法則よりもずっと短い時間です。

さて3問目。

………

これも「×」です。「常に」というのが違いますね。たしかに練習時間とスポーツスキルの上達には相関関係があり、高校生などの青年期のアスリートではその相関関係がはっきり出てきます。しかし、時間そのものよりも、自ら取り組むモチベーションや、夢中になってやる「フロー状態」でどの程度行えているか、といった他の要素の方が重要なので、一概に練習時間が上達に関係するとは言えない(Gonçalves et al., 2011)ということですね。

最後の問題、4問目。

………

もうお分かりですね。これも「×」です。早期に一つのスポーツに絞ってしまうと、バーンアウト(Burn-out、燃え尽き)や怪我のリスクを高めることになってしまって、その結果、スポーツを続けていけない可能性が高まります(American Academy of Pediatrics, 2000)。体操競技やフィギュアスケートといった、平均約15歳から17歳の間に競技のピークを迎えると言われているスポーツは例外ですが、一つのスポーツに絞ることで怪我のリスクが高まる、というのはかなり多くの論文で言われていることです。

このスポーツの専門化か多様化か(Specification or Diversification)、という問いは、スポーツにおけるコーチングやタレント発掘の研究で、長い間テーマになってきました。先ほどから紹介している「10,000時間の法則」が提唱された時は、「才能より努力だ」といういわば救いのある理論だったこともあり、ジュニアの時からスポーツ英才教育を受けてきたトップアスリート像が肯定的に捉えられてきました。

でも、実はそういう子供はむしろ特殊なケースであって、現在世界のトップレベルで活躍している海外のアスリートの多くが、小さい頃はたくさんのスポーツをやって育ったということが分かってきました。そういったトップアスリートは、12歳から14歳ころの間に、一つのスポーツに特定し始める例が多いのですが、それまでは絞り込まず色んなスポーツをすることで、包括的な運動スキルとメンタルスキルを身につけてきた、という考察がなされるようになってきました。このような研究で得られた科学的なエビデンスに基づいて、アスリートの育成を行っているのが、この後紹介するカナダのアスリート育成プログラムです。
(後編に続く:https://note.mu/jihf/n/n5252d7b4e745

※講演の内容を記事にするにあたり、一部内容の省略、順序の変更等を行っております。

※当該講演を含む「二刀流」シンポジウムの全編映像はこちら:
https://www.youtube.com/watch?v=oIC2he0fmKE

1. 2019女子U18アイスホッケー世界選手権・大会チェアパーソン(国際アイスホッケー連盟理事)による開演挨拶(0:01〜 )
2.「USA Hockeyの育成モデル」(USA Hockey エミリー・ウェスト氏)(8:17頃〜 )
3.「カナダにおけるマルチスポーツ推奨活動と日本におけるマルチスポーツ事情」(本記事・33:35頃〜)
4.「スタンフォード流 日本スポーツへの提言」(Stanford Football 河田剛氏)(58:30頃〜)
5. パネルディスカッション「語ろう。私たちの『二刀流』」(1:57:40頃〜)
登壇者:河田剛氏、杉浦稔大選手(北海道日本ハムファイターズ投手)、桑井亜乃選手(ラグビー女子セブンス日本代表・ARUKAS QUEEN KUMAGAYA)、志賀葵選手(アイスホッケー女子日本代表・TOYOTA CYGNUS)

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