見出し画像

桜の季節

プロローグ


この世には、様々な生物が存在する。

人間、動物、植物、神々や妖精等も。

このお話は、桜の木が起こした……。

いえ、願った奇跡のお話です。


第一章 桜のある中庭

某年4月19日

  蓮山小学校2年2組の教室に終業のチャイムが鳴り響く。

「はい、今日の授業はここまで。日直!」

「起立、礼。」

  若い教師らしき人物が授業の終わりを告げ、教室を後にする。

  すると教室は急に賑やかになり、様々な話し声が飛び交う。

  しかし、楽しげな雰囲気を1人の少年の声が一蹴する。

「嘘じゃない!嘘じゃないよ!」

  そう大きな声を上げたのは1人の少年。その声に周りは静まりかえっている。少年の前に座るクラスメイトが教室の雰囲気に戸惑いながらも口火をきった。

「嘘だ!お前のじいちゃん、この間見たけど、ヨボヨボで全然強そうじゃなかったぞ?」

「本当にじいちゃんは強かったんだって!今でも強いんだ!」

  誰が強いの弱いのと、如何にも小学生らしい言い合いだ。

  なんだそんな事かと言わんばかりに、静まり返っていた教室は再び賑やかになり、会話を続ける者、帰路につく者、様々である。

  少年とクラスメイトの言い合いはまだ続いていた。何度か言い合った末に、少年は泣きながら教室を飛び出して行った。

  少年の名前は谷山一雄。彼は学校から歩いて15分程のマンションに両親と3人で暮らしている。しかし、今一雄が歩いている道はマンションとは逆方向である。

  彼が向かう先は、先程言い合いに出てきたおじいちゃんの住む家である。この辺りでは珍しく中庭に大きな桜の木がある立派な家が見えてきた。

  この家に1人で住む老人、名前は桜庭庄之助。一雄の母方の祖父である。

  一雄の父は医師でいつも忙しく、母も病弱で通院している為、家を留守にすることが多かった。

  一雄の相手はいつも近くに住む祖父の庄之助であった。その為か極度のおじいちゃんっ子になってしまっていた。

  学校からは自宅よりも、庄之助の住むこの家へ帰る事の方が多かった。

  今日もクラスメイトと喧嘩し、泣きながら祖父の家へと帰宅した。


庄之助宅、中庭

  一雄の祖父、桜庭庄之助が1人縁側にて日記を読んでいる。

  日記を見ながら過去を振り返っているようだ。ページをゆっくりとめくりながら、笑ったり、頷いたり、時には涙ぐみながら、1人思い出に浸っている。

  すると、一雄が大きな声で呼びかけた。

「おじいちゃん!」

  裏の勝手口から中庭へ走り込んでくる一雄。庄之助は少し驚いたが、一雄である事が分かると満面の笑みを見せた。

「なんじゃ、なんじゃ?騒々しいのぉ。」

  一雄は庄之助の横に腰掛けると直ぐに問いかけた。

「おじいちゃんは、昔すごく強かったんだよね?」

  庄之助は当然だと答えようとしたが、一雄の目に涙の後を見つけ。

「なんじゃ?また、泣かされたのか?」

  一雄は首を横に振ったが、当然嘘である。庄之助はため息をつきながら言った。

「確か約束したはずじゃったな。人前では泣かない、強い男になると。」

「泣いてない!人前では泣いてないよ。」

「本当か?」

「うん。」

「そうか、ならいい。」

  そう言って庄之助は一雄の頭を撫でた。

  庄之助はゆっくりと立ち上がり、一度伸びをすると何があったのか一雄に質問した。

  一雄は学校で言い合いをした事を話した。

「なんじゃ、そんな事か。」

  庄之助は笑いながら言った、一雄の横にもう一度座り、一雄を自分の方へと向かせて話を続けた。

「いいか一雄?よく聞きなさい。わしはな、見た目が強そうとか、喧嘩が強いとか、そんな事を強い男と言っとる訳ではないんじゃよ。」

「どういう事?」

「わしが一雄にも、他の子達にも1番強くあって欲しいと思う所はなぁ、ここなんじゃよ。」

  庄之助は自分の胸に手を置き、そう言ったが、一雄は分からないと言った顔をしている。

「わからんかのぅ、心じゃよ。」

「心?」

「どんなに苦しい事があっても、どんなに辛くても、何度でも立ち向かえる、強い心じゃよ。」

「……。」

  一雄は黙って庄之助の顔を見上げている。

「まだ、ちょっと難しかったかのう。」

  一雄は首を横に振っている。

「今はまだ分からなくてもいいんじゃよ。わしの言ったことは心の隅にでも覚えておいてくれ。」

「うん。」

「いい返事じゃ。」

  庄之助はこの時思った。一雄に本当に強い心を持った姿とはどんなものか見せてやりたいと。簡単に逃げたり諦めたりせず、どんな困難にも立ち向かう強く、勇ましい後ろ姿を。その姿はどんな言葉よりも、一雄を強くし、勇気を与えてくれるだろうと思った。しかし、今の庄之助ではそれを示せるチカラがなかった。若さが……。身体は重たくて思うように動かない。少し走れば息は直ぐに切れてしまい、腰は痛く、足も上がりにくくなってきていた。

『情けない…。何が強い心だ!』

  庄之助は心の中で、そう叫んでいた。

「おじいちゃん、どうしたの?」

  急にうつむき考え込んだ庄之助を心配した一雄が声をかけた。

「ああ、すまんすまん。」

「大丈夫?」

  一雄は庄之助がどこか苦しいのではないかと心配そうにしている。

「大丈夫じゃよ、心配はいらん。」

  一雄は安心したのか笑顔になった。

「心配かけてすまんな。お詫びに面白い話をしてやろうかのう。」

「うん。聞かせて!」

「この桜の木について話してやろう。」

  そう言うと、庄之助は庭にある大きな桜の気を見上げ、語り始めた。

第二章 神木

「一雄は神木と言う言葉を知っとるか?」

「知らない。」

「神木とはな、神社などで大切に祀られている木の事を言うんじゃ。」

「へー。」

「それ以外にも100年以上生きた木には神が宿るとされていて、その木も神木と呼ばれておるんじゃ。」

「木に神様が?」

「実はな、うちのこの桜の木も100年以上生きてる立派な神木なんじゃよ。」

「え!?本当!?」

「詳しくは分からんが、この木は江戸彼岸という種類でな。かれこれ300年は花を咲かせ続けとるんじゃ。凄いじゃろ!」

「300年!?すごい!」

「実はな、わしは一度だけこの桜の木と話をした事があるんじゃよ。」

「桜の木とお話?」

「はは、可笑しいか?」

「木が喋ったの?」

「いやいや、木が喋った訳じゃなくてな。正確にはこの桜の木の精に会ったんじゃ。」

「気のせい?」

「いやいや、木の精じゃよ。今から大体50年程前の話じゃ…。ここにある日記にも書いてある。聞かせてやろう。」

「うん!」

「50年前、わしもまだ若かった。世話をしてくれていた伯父さんにはよく迷惑をかけたもんじゃ。あの時も確か喧嘩して追い出されてな。裏から入ろうと中庭に来た時だった。風が吹いたんじゃ…。」

─50年前

  中庭へ入ってきた若かりし庄之助。

「クソ!ちょっと喧嘩したくらいで締め出す事ないだろうが!」

ガチャガチャ

「ダメか!裏も鍵がかかってやがる!」

  強い風が吹き抜け桜の木の方向に気配を感じた。

「誰だ!そこにいるのは?!」

  庄之助が目を凝らし、よく見るとそこには白い着物姿の人が立っていた。

「お前誰だ?ここで何してる?」

「しぃ~。落ち着いて下さい。私はここに住んでる者ですよ。」

「嘘をつくな!泥棒だな!」

「嫌だな~。いつもここに立ってるじゃないですか。この桜ですよ?」

「はぁ?桜?何言ってるんだお前、あたまおかしいんじゃないか?」

「ひどい!相変わらず口が悪いですね、庄ちゃんは。」

「どうして俺の名を?」

「覚えていますか?7歳の時、私に登って下りられなくてピーピー泣いていた事を。」

「な!どうして!?」

「17歳の時には女の子に振られて私の下で泣いてましたよね。」

「どこで見てやがったんだ!人前では絶対に泣かないと親父が死んだ時に決めたのに…。見られてたのか…。」

「あ、大丈夫ですよ。私は人ではなく桜の木ですから。人前ではないですよ。桜前ですね(笑)。」

「まさか…そんな馬鹿な…、本当に桜の木なのか?」

「鈍いですね。さっきからそう言ってるじゃないですか、庄ちゃん。」

「気持ち悪い!そんな呼び方するな!」

「ええ~?庄ちゃんは庄ちゃんでしょ?」

「知るか!…でも信じられない。桜の木なのに人?そんな話聞いたことない!」

「そりゃそうでしょ。こうして人前に姿を見せるのなんて初めてですから。話しかけるのも初めてですよ。他の木もこんな事してないでしょうね。」

「他の木?」

「ええ、私たち木は100年以上生きるとこうして自由に動けるんですよ。」

「知らなかった。それは驚きだな。」

「フフ。」

「でも、どうして話しかけて来たんた?他の木は話しかけたりしないんだろ?」

「他の木の事は分かりませんが、私が話しかけた理由はあなたがとても寂しそうだったから、話しかけて欲しそうだったから。」

「俺が?バカバカしい!俺は寂しくなんてねぇよ!」

「本当にそうですか?」

「しつこいな!」

「私はずっとここであなたを見ていたのですよ?」

「だったら知ってるだろう。俺はずっと1人だったんだ!1人でいる事にはもう慣れてる。」

「ええ、小さな時にご両親が亡くなり、自分の家なのに不自由な思いをしている事も。」

「それももうすぐ終わりさ!俺が成人したら伯父さん達には出て行ってもらう。俺は1人でやっていくんだ!」

「そうですか…。でも無理はしないでね庄ちゃん。辛い時は昔の様に泣きにおいで。私はいつでもここにいますから。」

  風が強く吹き桜の精は去ろうとした。ずっと1人だった庄之助は桜の精の言葉が嬉しかった。去ろうとする桜の精に庄之助は、

「ちょっと待てよ!」

「え?」

「これからも俺は人前では絶対に泣かない!これは俺の信念だ!」

「ええ。」

「それでも!…それでも、どうしても泣きたい事があったら…。泣きたくなったらここに来るよ!いいか…?」

「ええ、もちろん待っていますよ。」

  そう約束をしてニコリと笑った桜の精は消えてしまった。庄之助はいつまでも桜の木を見上げていた。



──場所戻って…

  現在の庄之助宅中庭。桜庭庄之助が一雄に語りかけている。一雄は庄之助の話に夢中で聞き入っている。

「そう約束すると桜の精は消えてしまったんじゃ。それから桜の精がわしの前に姿を現すことは無かった……。まぁ、この桜とは毎日会っていたがな。」

  そう言うと庄之助は桜の木を見上げた。真似をする様に一雄も桜の木を見上げる。

「いままでの人生、色々な事があったが、頑張って生きてこれたのはこの桜の木のおかげだとわしは思っとる。ずっと見守ってくれているとわしは信じとるんじゃ。この場所でな。」

「いつもおじいちゃんをここで見守ってくれているんだね。」

「そうじゃな。」

「桜の精か……。会ってみたいなぁ。」

「会えるといいのう。」

「うん!」

「じゃが、桜の精も今の一雄には会ってくれんかもしれんな。」

「どうして?」

「また、泣いておったじゃろ?桜の精とはわしは人前では絶対に泣かないと約束したんじゃ。一雄もわしと同じ約束したじゃろう?」

「うん。」

「その約束をちゃんと守れとるとは言えんからのう。」

「そんな!……分かった。僕もっと頑張る!」

「うんうん。その意気じゃ!男たるもの簡単に人前で泣いちゃいかんぞ。」

「うん!」

  庄之助は優しく一雄の頭を撫でた。

「約束、守ってたら僕も桜の精に会えるかな?」

「さぁなぁ。それはわしにも分からんのう。」

  そう諭された一雄は黙って桜の木を見上げた。すると玄関から女性が中庭に入ってきた。

「やっぱりここだったのね、お父さんいつもごめんね。」

「お母さん!」

  入ってきた女性に走り寄り抱きつく一雄。彼女は谷山葉子、一雄の母であり庄之助の娘である。辺りはすっかり暗くなっていた。なかなか帰宅しない一雄を心配して探しに来たようだ。

「おお、葉子か。いいんじゃよ、ワシの話し相手になってもらっておる。」

「本当にごめんなさい。よかったら今日は家で一緒に夕飯食べない?」

「いや、大丈夫じゃ。」

  庄之助は最近この家を離れようとしなくなっていた。一緒に夕飯を食べられると期待した一雄は少し不服そうな表情をしていた。

「それなら無理強いはしないけど、最近あまり元気無いように見えるから心配なのよ。」

「心配いらんよ、元気にしとるから。」

「相変わらず頑固ね。分かったわこれ以上は言わないわ。何か不自由があったらすぐ連絡してね。」

「ああ。」

「おじいちゃん、またお話聞かせてね。」

「ああ、いつでも来なさい。」

「うん、バイバイ!」

  葉子は頭を下げると一雄の手を引き自分たちのマンションへと帰っていった。一雄は何度も振り返り、桜の見える庄之助の家を見ていた。

第三章 死神スレイブ

  葉子と一雄が帰った後も庄之助は縁側に座り、桜の木を眺めていた。満開の桜は風でざわめき揺れていた。

「今日も元気じゃな、羨ましいのう。ワシにもその元気があればのう。」

  庄之助はうつむき溜め息をついた。

「昔に戻りたいのう。そうすれば一雄にも本当の強さってものを教えてやれるのになぁ。」

  そう言って庄之助は家の中へ入っていった。日は完全に落ち辺りは真っ暗になっていた。

  庄之助が家へと入り静まり返った中庭に少しの間の後、全身黒ずくめのスーツを纏った男が現れた。男は溜め息をつき庄之助の座っていた縁側へと近づいた。

「出てくるタイミングを逃したな……。」

  男は庄之助に用があったようだ。

「これは……?」

  縁側に置かれたままの日記を手に取った。

「桜の精か……。」

  先程の話をこの男も聞いていた様だ。すると庄之助が縁側に忘れた日記を取りに中庭に戻って来て男と鉢合わせた。

「ん?お前さんは何者じゃ?ここで何しとる?」

「あ!す、すいません!」

  男は突然戻ってきた庄之助に戸惑いを隠せない様子だ。

「勝手に入られては困るのう、何かご用かな?」

「あの、その、実は……。」

「ハッキリせんのう、とりあえずその本は大切なんじゃ返してくれんかのう。」

「あ!はい、すいません勝手に触ってしまい。」

  男は庄之助に日記を手渡した。庄之助は日記を受け取ると再度尋ねた。

「もう一度聞くが、お前さんここで何をしとるんじゃ?」

  男は冷静さを取り戻した様子で庄之助の問に答えた。

「すいません……、桜庭庄之助さんですね。」

「ああ。」

「申し遅れました。私はスレイブ、死神です。あなたを迎え来ました。」

「はぁ?」

  庄之助は耳を疑った。

「ですから、死神です。お迎えに上がりました。」

「……死神?」

「はい。」

  スレイブと名乗った男は満面の笑みだ、庄之助は冗談だと思い適当に流した。

「ああ、そうかいそうかい。死神さんのう。」

「はい!」

「すまんのう、宗教か何かの勧誘なら間に合っとるよ。」

「いえ、宗教のお誘いではなく。あの世からのお迎えです。」

  スレイブは変わらず笑顔だ、庄之助は少し不快になり。

「ははは、何を馬鹿な事を。」

「嘘ではありません、本当です。」

  庄之助は少し声を張り上げ。

「しつこいぞ!冗談でもしつこいと不愉快じゃ!」

  スレイブは冗談を言っている訳では無かった、彼は本当に死神なのだ。真剣な眼差しでスレイブは答えた。

「私の目を見て下さい。冗談を言っている訳では無いのです、信じてください。」

  庄之助はスレイブの顔をじっと見つめた。嘘をついている様には見えない。

「……いや、そうか……。」

  庄之助は信じたと言うより、納得した様子だ。

「桜の精がいるんだ、死神がいてもおかしくないか……。」

「信じてもらえましたか?」

「ああ……。むかしに娘も会ったと言っていたな……。」

「葉子さんですか。」

「知っているのか?」

「ええ、少し。」

「そうか、ワシは本当に……。」

「はい、すいません。」

「いつじゃ?いつワシは。」

  スレイブはスーツのポケットから手帳を取り出しページをめくった。

「えっと、4月20日午前10時12分に息を引き取る予定です。」

「20日!明日じゃないか!そんな急にか………。」

  死神の存在は容認したものの、急な死亡宣告に戸惑い容易に受け入れられるものでは無かった……。

第四章 死という現実…。

「本当に明日で間違いないのか!」

  もう一度手帳を確認し頷くスレイブ。

「間違いありません。」

「そんな馬鹿な……、こんなにも元気なのにか?」

「そう言われましても、私は貴方の魂を迎えに来ただけですから、お身体の事までは。」

「確かに最近妙に胸が痛むと……。いや!何かの間違いじゃ!スマンが帰ってくれ!」

  庄之助はここ数日心臓に違和感を感じていた、さらに倦怠感から家から出るのも億劫になっていたのだ。思い当たる節がある、そう思うと庄之助は余計に死神を信じたくなかった。当然である、自分の死などそう簡単に受け入れられるはずがない。

「大体、そんなスーツを来た死神なんて聞いた事がないわ!」

「そんな、さっき信じてくれたんじゃ……。」

  すると、先程葉子と家へと帰ったはずの一雄が走って戻って来た。

「おじいちゃん?」

  庄之助は一瞬驚いたが、一雄の顔を見て少し安堵した。

「どうしたんじゃ一雄?こんなに遅くに、葉子と帰ったんじゃなかったのか?」

  一雄は険しい表情の庄之助に一瞬戸惑ったが、直ぐにいつもの優しい庄之助に戻り安心した。

「あのね、おじいちゃんの日記を貸して欲しくて。お母さんに言って戻って来たんだ。」

「これか?」

  庄之助は手に持っていた日記を一雄に見せた。

「うん!」

「別に構わんが、読めるかのう?」

「ううん、読めなくてもいいんだ。おじいちゃんの何かと一緒なら明日も頑張って学校に行けるかなって。」

「そうか……。」

  一雄と話していると庄之助の頭には死神の言葉がよぎった。明日には死んでしまう、一雄にはもう会えないかもしれない……。

「あ、やっぱり駄目だよね。大切なものだもんね。」

「いや、違うんじゃ。構わんよ、貸してやろう。」

「本当にいいの!」

「もちろんじゃ、ほれ。」

  そう言って庄之助は一雄に日記を手渡した。

「ありがとう、おじいちゃん!」

「ああ、大切にしてくれよ。」

「うん。」

  一雄は受け取った日記を大切に背負っていたランドセルにしまった。すると一雄は不思議そうに当たりを見渡した。庄之助は不思議に思い問いかけた。

「どうかしたのか?」

「おじいちゃん、さっきまで誰かとお話ししてなかった?」

「ああ、実は今この人と少し話をな。」

「この人?誰のこと?」

「!?」

  さっきから一言も話さず庄之助の隣にいる黒ずくめの男、死神スレイブと名乗った男は一雄には見えていないのである。

「おじいちゃん?」

「一雄、ここには今ワシと一雄しかおらんのかのう?ワシの横に誰かおらんか?」

「え?誰かいるの?もしかして!桜の精さんがいるの?」

「本当に見えないのか?」

「うん、残念だけど。」

「そんな……、本当に……。」

「言ったでしょう、本当だって。」

  そう言ったスレイブの声も一雄には聞こえていなかった。スレイブを見る庄之助の視線の先に桜の精がいると思った一雄は死神スレイブに挨拶をした。

「桜の精さん、こんばんは。これからもおじいちゃんと仲良くしてくださいね。」

「一雄……。」

「あれ?もう、いなかったかな?」

「……。」

  庄之助は死神が本物である現実に突然寒気が走った。そして、色んな事が頭をよぎり目頭が熱くなるのを感じていた。

第五章 桜の精

「おじいちゃん……?」

「……ああ、すまんのう。ほれ、そろそろ帰らんと、すっかり暗くなってしまった。」

「……うん。それじゃ、また明日。」

「ああ……。」

  一雄はゆっくりと裏庭から外へと向かった。庄之助は複雑な心境だった、また明日……。今別れると明日にはもう会えないのだ、大好きな孫に……。

「……一雄。」

「!?」

  庄之助は外へと向かう一雄を呼び止め抱き寄せた。

「おじいちゃん?」

「……。」

「おじいちゃん、どうしたの?苦しいよ。」

「ああ、すまん。」

  急に抱き寄せられた一雄を何が何だか分からない様子だ。いつもと様子の違う庄之助に不安になった。

「おじいちゃん、何かあったの?」

「いや、何もないんじゃ。すまんのう急に、さぁお母さんが待っとるんじゃろ」

「うん。」

  一雄は素直に庄之助の言葉を聞き外へと向かったが、再び踵を返し。

「おじいちゃん、桜の精さん。さようなら!」

「ああ、さようなら。」

「あ、さようなら。」

  見えも聞こえもしていないがスレイブも挨拶を返した。一雄は中庭から門を抜け母の待つ方へと走って行った。

「勘違いしちゃったみたいですね。」

「ああ……。」

  庄之助に先程までの元気がない。

「よかったんですか?一雄君ともっとお話ししなくて。」

「ああ、いつも沢山話していたからな。今日も沢山話した。十分じゃよ。」

「すいません、お伝えに来るのが遅くなってしまい。やはり、お伝えしない方がよかったでしょうか?」

「いや、聞いておいてよかったよ……。少し1人にしてくれ……。」

  そう言って庄之助は重たい足取りで部屋へと戻って行った。

「やはり伝えるべきではなかったのかな……。」

  スレイブはそう呟き空を見上げた。空には無数の星が輝いていた。

  死神スレイブの仕事は命の尽きた生き物の魂を天界と呼ばれる場所へと導く事である。本来ならば対象の命が尽きてから魂を迎えにくれば良いのだが、このスレイブと言う死神は少々変わっていた。昔から対象が亡くなる前に宣告し、死ぬ前に悔いが残らぬ様に好きな事をして欲しいと思って行動しているのだ。死神の中では異端な存在だった。

  スレイブは顔を下ろし溜息をついた。その瞬間スレイブを春の暖かい風が包み込んだ。すると先程までいなかったはずの桜の木の横に白い着物を着た人らしき者が立っていた。

「キミは?」

  スレイブは急に現れた白い着物姿の人物に問いかけた。

「ふふ、初めまして。」

「私の姿が見えるのですか?」

「はい、もちろんです。」

  スレイブは驚いた、死神は死期の近ずいた者にしか姿が見えないのである。稀に霊感等の力が強いと言われる人間に見られる事はあるが、今回はどう理解すればいいのか。

「貴方は、庄之助さんの言っていた桜の精ですか?」

「ええ。」

  スレイブは初めまして遭遇する植物の精霊と言う存在に戸惑っていた。桜の精は凛とした姿で微笑みかけている。スレイブは戸惑いながらも問いかけた。

「私に何か用ですか?」

  桜の精はバツが悪そうに答えようとした。

「ええ、実は……。」

  スレイブは答えを遮るように。

「庄之助さんを殺さないで欲しいとでも?」

「それは……。」

「勘違いしないでください。私は庄之助を殺害に来たわけではないですから。ただ迎えに来ただけなのですから。」

「どうにもなりませんか?」

「これは天命ですから、私にはどうにも。」

「1週間!いえ、2、3日だけでも構いません。」

  スレイブは首を横に振りながら。

「私はお二人の関係をよく知りませんが、何故そこまで庄之助の事を?貴方にとってはただの人間でしょう?」

  桜の精は俯き目を瞑り、再び見開きスレイブを見た。

「庄ちゃんは私の恩人なんですよ。」

「恩人?」

「ええ。」

  そう答えると桜の精は語り始めた。

第六章 庄之助と桜

「あれは70年ほど前の事になります。涼しくなり始めた秋の事でした。庄ちゃんの住んでいるこの家を改装する事になり、庭も無くしてしまう予定の為私を切ることになりました。」

  過去の桜庭家中庭。桜の木の前に立ち塞がる1人の少年がいる、幼少期の庄之助だ。

『ダメだよ!この木は僕の友達なんだ!お願いだから切らないで!』

「当時まだ小さかった庄ちゃんは何度も訴えてくれました。しかし、伐採は中止にならず庄ちゃんのご両親立ち会いのもと工事が開始されました。すると。」

『やめろ!その木に少しでも傷つけてみろ! 僕は死んでやるからな!』

「なんと庄ちゃんは台所から包丁を持ち出しそう叫ぶと一目散に走り去ってしまったのです!庄ちゃんのご両親は血相を変えて工事を中止させ、全員で庄ちゃんを捜索しました。無事に庄ちゃんは見つかり怪我も無く保護されました。もちろんご両親にはこっぴどく叱られましたが。二度とそんな事をしないように私と庭は残して家を改装する事になりました。この庄ちゃん失踪事件により私は切られず一命を取り留めたのです。」

──現在に戻り、スレイブは呆れながら。

「はは、小さい頃の庄之助さん、やることが滅茶苦茶ですね。」

「ふふふ、本当ですよね。」

  二人は顔を見合わせ笑った。スレイブは一呼吸おき、咳払いした。

「話は分かりました。しかし残念ですが、私には人の死を左右させる様な力はありません。」

「私の命を使ってください!」

「あなたの?」

「はい、出来ませんか?」

「そんな事したらあなたは。」

「出来るんですね?」

「あ!いや……その。」

「出来ないんですか?」

  スレイブは観念した様に。

「多分、出来なくないです。」

「だったらお願いします!」

「代わりにあなたは消えてしまう事になりますよ?」

「私はいいんです。この辺りも近代化が進み、私たち植物には住みにくい環境になりつつあります。思った様に根もはれず、このままではもっても20年ほどといったとこでしょう。」

「しかし、本来死ぬ予定の人を生き長らえさせたら……。」

「未来が変わってしまいますか?」

「私たち死神には未来はか分かりませんから、そこまでは言えませんが。何かしら異変は出るのでは無いかと。(小声で)あと時間を司る奴に怒られるな。」

「2日!2日だけでも構いません!……但し、私の残りの20年をフルに使って、庄ちゃんを若返らせてあげて欲しいの。」

「若返らせる!?」

「庄ちゃんの夢を叶えてあげたいんです。」

「夢?」

「ハイ、若い姿で一雄君に伝えさせてあげたいんです。庄ちゃんの言う、本当の強さを。お願いします。」

  深く頭を下げる桜の精、スレイブは考え込んでいる。

「……、私も鬼ではありません。」

「それじゃ!」

「鬼すら恐れる死神ですよ。」

  その言葉に肩を落とす桜の精。スレイブはその姿を見て悩んでいる。桜の精の願いを聞く必要はないが、それが庄之助の為になるのなら。しかし、死ぬはずの人間を生かすなど……。スレイブの中で葛藤が続いていると桜の精が。

「賭けをしませんか?」

「賭け?」

  突然不思議な事を言い出す桜の精。

「私は今ここにコインを持ってます。」

  桜の精はどこで手に入れたのかコインを持っていた。

「このコインを投げてキャッチします。裏が出たら私の負け潔く諦めます。表が出たら私の勝ち、その時は私の願いを聞いてください!」

  スレイブはまだ悩んでいた、賭けのこともよりも庄之助の事を。

「もう!聞いてますか?いきますよ!」

  桜の精はそう言うとスレイブの返事を待たずにコインを投げた。

第七章 賭けの行方

  承諾も得ずに賭けを始めた桜の精にスレイブは。

「待ってください!」

「え?」

  桜の精は投げたコインを上手くキャッチした。

「ど、どうしたんですか?途中で止めるなんて卑怯ですよ!」

  許可も待たずに賭けを始めた自分は卑怯じゃないのかとツッコミたい気持ちを押えてスレイブは冷静に言う。

「すいません、しかしどちらが表でどちらが裏かちゃんと決めて頂かないと賭けは成立しませんよ。」

「ちっ!」

  桜の精は後ろをむき小さく舌打ちした。悪い顔だ。

「あ!いま舌打ちしませんでしたか?」

「はいはい、じゃぁこっちが表ね!桜の図柄の方裏は数字の方!」

  そう言って桜の精はスレイブにコインを渡し確認させ、すぐに取り返した。

「どうして怒ってるんですか?」

「怒ってませんよ。ルールを決めたんですから賭けは成立でいいですね。それじゃいきますよ。」

  桜の精は上手くスレイブを賭けへとのせる事に成功した、そしてコインは高々と空へ舞い桜の精は左手の甲と右手でキャッチした。

「開きますよ?」

「……。」

  ゆっくりと手を開く桜の精。コインは表を向いていた。

「私の勝ちですね。」

  スレイブはコインをじっと見て。

「そのコイン見せてもらってもいいですか?」

「え?なんでです?」

  焦る桜の精。

「いや、少し気になって。」

「嫌です。」

「え?どうしてですか?」

「どうしてもです。」

  スレイブの疑いは確信に変わった。桜の精から強引にコインを奪いにかかる。

「怪しすぎる、見せてください!」

「ちょっと待って!あ、ダメです!」

  スレイブは桜の精からコインを奪い取った。

  なんとコインは両面同じ図柄だった。両面が同じ図柄になるように2枚のコインを合わせて1枚にしたものだった、初めにスレイブに見せたコインとは別物だったのだ。

「やっぱり!神木の精ともあろうものがイカサマですか?」

「うっ……。」

「こんなの何処で手に入れたんですか?」

「昔に庄ちゃんが私の上に忘れて行ったものです。」

  観念したのか桜の精は初めに見せたコインを着物から取り出した。スレイブは呆れた顔で。

「庄之助さん、一体こんなの何に使っていたんだろう……。」

「きっと私と同じ様な事に使っていたんじゃないですかね。」

  スレイブは咳払いをして桜の精を睨みつけた。

「す、すいません。」

  スレイブは大きくため息をつき。

「いいでしょう、やってみましょう。」

「え!本当ですか?」

「ええ、賭けにも負けましたからね。そこまでする執念に負けました。」

「ありがとうございます!本当にありがとう!」

「2日!2日だけですからね。」

「ハイ!お願いします!」

  桜の精は深々と頭を下げた。

「頭を上げて下さい。まだ、上手く行くとは限りませんから。」

  桜の精はなんとも言えない表情をしている。

「そんな顔しないで下さい、全力は尽くします。」

「よろしくお願いします。」

「では、目を瞑って下さい。」

  そう言ってスレイブは桜の精の頭へ手を伸ばした。桜の精はゆっくりと目を瞑った。すると、辺りを不思議な光が包むと桜の精は消えてしまった。同時に今まで満開だった桜の木はみるみる花を散らし枯れていった……。

第八章 それぞれの思い

  スレイブは桜の精の魂を自分の中に取り込み、新たな力に変え庄之助に与える事にした。

  その昔、同じ様な事を行った覚えがあった。ある子供の魂を迎えに行った時だった、その子供の親に姿を見られてしまった事があった。子供が死んだら自分も自殺するつもりだったのだろう。その子の親はスレイブにこう言った。

「私の命はいりません、代わりに息子の命は助けてください。」

  そうせがまれたスレイブは親の寿命の半分を取り込み息子へと与えた。このスレイブの行動によりこの親子はその後10年以上生き延びる事ができた。しかし、天界へ魂を連れて行かなかったスレイブはこっぴどく怒られた。二度とやるまい、そう決めたはずだったがまたやってしまうようだ。人が、いや死神がいいにも程がある……。

「今回は代わりに桜の精の魂を連れていく。それで何とかなるだろうか……。」

  スレイブは1人呟いた。

「さて、庄之助さんは?」

  スレイブは桜の力を庄之助に与えるため庄之助を探したが、どうやら家には居ないようだ。

「一体どこに?」

  庄之助は死の宣告を受けている、向かうとすれば孫の住む谷山家だろう、スレイブは谷山家へと向かった。

──谷山一家の住むマンション

  マンションの一室、庄之助と谷山葉子と一雄がテーブルを囲んで会話をしている。

「でもびっくりしたわ、急に一緒に食事したいなんて。今まで誘っても断られてばかりだったのに。」

  葉子が不思議そうな顔で話している。当然明日庄之助が死んでしまう等思いもよらないであろう。

「ああ、ちょっとな……。迷惑じゃったかのう?」

  庄之助にいつもの元気がない。

「いいえ、迷惑なら初めから誘わないわよ。一雄も喜んでいるし。ねぇ?」

  一雄はまるで子犬のように庄之助の傍により。

「うん!おじいちゃんと一緒にいられる時間が増えて嬉しい!」

「そうか、ありがとうな。」

  庄之助は少し間をおき時計を見た、時間は19時を回っていた。

「正彦くんは今日も遅いのか?」

「あの人は目が離せない患者がいるらしくて、昨日から病院に泊まり込んでいるの。」

「そうか、大変じゃのう医者というのも。」

「そうね、大変なお仕事だけどやりがいがあるって。それにあの人が医者を目指してなければ私も生きていなかったかも知れない。あの人には感謝してるの。その仕事を支えて恩返ししているつもりよ。」

「そうじゃったのう。」

  庄之助と葉子は昔を思い出し物思いにふけっている。一雄は自分だけ除け者の様で面白くないといった表情をしている。

  葉子は急に立ち上がり。

「それじゃ、私は夕食を準備するわね。お父さんは一雄と一緒に待っててもらえるかしら?」

「ああ、分かった。」

「すぐに用意できると思うから。」

  そう言って葉子は台所へと向かった。一雄はテーブルの急須から庄之助にお茶を入れた。

「はい、おじいちゃん。」

「おお、ありがとう。」

  庄之助はお茶を啜った。一雄は目を輝かせ問いかけた。

「ねぇ、桜の精さんは来てないの?」

「ん?ああ、桜の精も死神も来とらんよ。」

「死神?」

「いや、言い間違えじゃ。桜の精は来とらんよ。」

「ふ〜ん、残念だな。」

  一雄は少しうなだれるもすぐに首を上げ。

「ねぇ、おじいちゃん。」

「ん?なんじゃ?」

「僕ね、明日学校の図書館で桜について色々調べて見たいんだ。」

  一雄はそう言いながら自分のランドセルからノートを取り出した。

「そうか、それは良い事じゃ。」

「でね、おじいちゃん家の桜はなんて名前だっけ?」

「あの桜は江戸彼岸と言うんじゃ。」

「えどひがん。」

  一雄はノートに[えどひがん]と平仮名で書いた。

「漢字はこうじゃよ。」

  庄之助は一雄が書いた下に[江戸彼岸]と書いてあげた。

  庄之助が[江戸彼岸]と書いたノートを見つめながら一雄は庄之助にお礼を言った。

「ありがとう!おじいちゃん!」

「確かな、ちゃんとした広い場所に生えて入れば1000年も花を咲かせるそうじゃよ。」

「え~!1000年も?」

  一雄は流石に1000年は信じられないと言った表情をしている。

「ハハハ、明日調べるんじゃろ?」

「うん。」

「そうしたら嘘か本当かわかるじゃろう。」

「うん、調べたらおじいちゃんにも教えてあげるね。」

「ああ……。楽しみにしとるよ。」

  明日にはもう……、そんな事はとても一雄には言えない。庄之助は明るく振る舞ってみせるしかなかった。庄之助は話を逸らすかの様にお茶を啜った次の瞬間。

「ブー!ゴホゴホ!」

  啜ったお茶を豪快に吹き出す庄之助。

「うわ!おじいちゃん大丈夫!」

「いや、ゴホゴホ。すまん、すまん。」

「僕タオル持ってくるね!」

  一雄はタオルを貰いに母のいる台所へと走っていった。庄之助の視線の先には壁から顔だけを覗かせて入るスレイブの頭があった。庄之助はその奇妙な光景を見てお茶を吹き出した様だ。

「この部屋でしたか、お邪魔します。」

  そう言いながらスレイブは壁をすり抜け部屋へと入ってきた。

「お前さんなぁー。」

「すいません、いきなり。」

「すいませんじゃないわい、あんな所から顔だけ出てたらびっくりするじゃろうが!もう少しで心臓が飛び出る所じゃたわい!」

「本当にすいません、一軒一軒確認しながら探してたものですから。」

  庄之助は大きく深呼吸して落ち着かせた。

「で?一体なんの用じゃ?」

「実は、大事なお話しがありまして。」

  そう言いながらスレイブは庄之助へと近づいた。庄之助はスレイブを無視するように背を向け自分が吐き出したテーブルのお茶を拭き取っていた。

第九章 死神の仕事

  庄之助はテーブルを拭きながらスレイブに尋ねた。

「大事な話し?ワシが死ぬのは明日なんじゃろ?それとも何か?もうワシの事を殺しに来たのか?」

  庄之助はそう言いながらスレイブの方に振り向いた。しかし、そこにいたのはスレイブではなく葉子と一雄がタオルを持って立っていた。

「殺すだなんて……。お父さんをどうして私が?」

「え?いや!違うんじゃ!」

  スレイブは葉子達の後ろにいた。あちゃー、と聞こえてきそうな顔をしながら頭を掻いている。

「あの、そのー。最近ボケて来てな。いやー、やっぱり歳には勝てんわい。」

  少し苦しい言い訳であったが。

「何を言ってるのよ、しっかりしてよ。悪い冗談はやめてよね。」

  葉子はそう言ってタオルを庄之助に渡した。

「すまんすまん。」

  庄之助はタオルを受け取り服についた自分の吐き出したお茶を拭いた。葉子はタオルを渡すとまた台所へと戻って行った。夕食の準備はまだ少しかかる様だ。

「はい、タオルもう1つ。」

  一雄が更にタオルを差し出した。

「おお、ありがとう。」

「大丈夫?」

「なに、大丈夫じゃよ。」

「よかった。」

  庄之助はチラッとスレイブを見て。

「ここはワシが片しておくから、一雄は向こうで母さんのお手伝いをしてきてくれんか?」

「え?うん、分かった。」

  一雄は何か言いたそうだったが、何かを察したのか何も言わず台所へと向かった。とても小学生とは思えない聞き分けの良さである。

「本当にいい子ですね。」

「ああ、ワシの孫じゃからな。」

  スレイブはニヤついている。

「なんじゃその顔は。」

「いえいえ、別に。」

「まったく!お前さんのせいでワシはボケ老人になってしもうたわい。」

「すいません。」

「まぁ、ええわい。お前さんの大事な話しとらやの前に1つ聞きたいんじゃが。」

「はい?なんでしょうか?」

「お前さん、ワシの娘の所にも1度来たことがあるんじゃったな?」

「娘さんですか?」

  スレイブは台所の方へと向いた、庄之助も一緒に台所の葉子を見た。

「ああ、あそこにいるワシの娘じゃ。」

  スレイブは庄之助の方を振り返り。

「まさか!娘さんはまだピンピンしてるじゃないですか!」

「しかし、おぬし葉子の名前を知っておったろう。」

「ええ、少しだけですが。ただ、私が担当した訳ではありませから。」

「担当?死神とは一体何なんじゃ?他にもいるのか?」

「ええ、沢山いますよ。死神とは簡単に言えば案内人ですかね?魂をあの世へと導く。」

「案内人か。」

「まさか、死神は私だけだと思ったんですか?だったらこんな事していられませんよ。こうしている間にも人はどんどん亡くなっているんですから。」

「そうか、そうじゃのう。」

  スレイブはもう一度台所の方を向きつぶやいた。

「お元気そうですね。彼も元気でしょうか。」

「ん?なんか言うたか?」

「いえ!そんな事より大事なお話しをそろそろ聞いて頂きたいのですが。」

「ああ、なんじゃい言うてみい。」

「はい、えーと。なんて言えばいいんですかね。」

「ん?」

「貴方は明日死んでしまいますが、貴方の願いを叶えてあげたいのです。」

「願い?」

「はい!あるでしょう?やり残した事が。」

「もっと生きていたいのう。」

「それは無理です。いや、できるのか?」

「どっちなんじゃ!」

「いいえ、どちらでもありません。明日から2日間だけ生きてもらいます。」

「2日?たった2日生き長らえただけで何も変わらんわ!」

「ただ生き長らえるだけではありません!その2日間貴方は昔に戻るのです。」

「昔に?」

「ええ!貴方は若返った姿でその2日を生きてもらいます。」

「若返る?昔の姿に戻れるのか?」

「ええ、見せてあげたいんでしょう?一雄君に強かった昔の姿を。強さとは何かを伝えてあげたいんでしょう?」

「一雄に……。」

「それが……。」

  スレイブは何かを言いかけたが思い留めた。

「それが?」

「いえ!なんでもないです。さぁ、早速取り掛かりますよ目を閉じて。」

「ああ、分かった。」

  スレイブは目を閉じた庄之助の額に手を伸ばした。すると、暖かな桜色の光が2人を包む様に光そして消えた。

「はーい、OKです。」

  目を開き自分の身体を見回す庄之助。

「なんじゃ?何も変わっとらんぞ?」

「すいません、明日までには変化があるかと思いますので。」

「なんじゃいケチケチするなよ。」

「ケチって!……仕方ないでしょう私にはそんなに力がないんですから。」

「ははは、すまんすまん。しかし、明日が楽しみじゃわい!」

  台所から葉子と一雄が部屋に入ってきた。

「おじいちゃん、ご飯できたよ~。」

「ごめんなさい遅くなってしまって、お腹すいてるでしょう?」

「いやいや、大丈夫じゃよ。ちょうど腹が減ってきたとこじゃ。」

  そう言いながら庄之助はお腹をさすってみせた。

「どうしたの?急に元気になったみたいだけど。」

「ははは、ちょっとな。」

「よかった、おじいちゃんが元気になって。」

「ん?心配かけたかのう?」

「ううん、全然!行こう!今日はご馳走だよ!」

「一雄!お父さん、いつもと変わらないからね。」

「あー、お母さん嘘ついてる。いつもより豪華だよ。」

「こら、一雄!」

  楽しそうにリビングへ向かう3人、香ばしい香りが漂ってくる。その姿を見つめるスレイブは庄之助の後ろ姿に向けてつぶやく。

「しっかり一雄君に教えてあげてくださいね。それが……、それがあの桜の願いですから。」

  そう呟くとスレイブの姿が消えた。部屋には一家団欒の楽しげな声が響いていた。

第十章 枯れてしまった桜

──次の日4月20日、庄之助宅。

  桜の木はすっかり枯れてしまっている。中庭にものすごい勢いで走ってくる青年、どうやら本当に若返った庄之助のようだ。

「ウォー!すごく体が軽い!こんなにも早く動けるものなのか!」

  スレイブが追いかけて中庭にやってくる。

「ちょっと!もう少し静かに!」

  庄之助は立ち止まり。

「ん?なんでじゃい?」

「一人暮らしの老人の家で見知らぬ若者が暴れてたらおかしいでしょう!」

「あー、なるほどのう一理ある。」

「でしょう?とりあえず落ち着きましょう。」

「そうじゃのう。それに言葉遣いもこのままではおかしいしのう。よし!」

  庄之助は早口言葉を言い始めた。

「なまむぎなまごめなまたまご」「あかまきがみあおまきがみきまきがみ」「東京特許許可局」「バスガス爆発」

  呆れてため息をつくスレイブ。

「はぁ……。人間って若返るとこんなにも変わるものなのかな?」

「よーし!治ったな!」

  庄之助は早口言葉で口調が変わってしまった。

「そんな事で治るものなんですか?自分のさじ加減では?」

「お前、さっきから五月蝿いな。」

「すいません……。で?これからどうするですか?」

「んー…。そうだな、せっかく若返ったんだまずは…。」

「まずは…?」

  庄之助はスレイブの顔を見てニコリと笑った。

「遊んで来るぜ!」

「え?!」

  ものすごい速さで走り去る庄之助。

「ええ!!ちょっと!一雄君はどうするんですか!」

  しかし、スレイブの声は庄之助には届かなかった。スレイブはため息をつき枯れてしまった桜の木を見上げた。

「これが貴方の望んだ結果ですか?」

  スレイブの脳裏に桜の精の言葉が蘇る。

『庄ちゃんの夢を叶えてあげたいんです。』

  俯くスレイブ。

「あー!もう!しょうがないな!」

  そう言いながらスレイブは庄之助の後を追いかけていった。

第十一章 怪しい二人

──時間は流れ。

  スレイブが庄之助を追いかけていってから10時間以上が経っていた……。辺りは茜色に染まりつつある。スレイブと庄之助は一体どこで何をしているのやら……。取り残された様に枯れ果てた桜の木が、風に枝を泳がせている。

  すると、そこに怪しげな影が2つ忍び寄ってきた。

「すいませ~ん。誰かいらっしゃいますか?」

  男はさしあし忍び足で中庭に入ってきた。後を追ってもう1人入ってきた。

「どうだ山路、(やまじ)誰かいそうか?」

  先に入ってきた男は庄之助宅を覗き込んだ。

「いや、どうやら誰もいないようでっせ。」

「油断するなよ、奥にはまだ誰かいるかもしれんからな。」

「へい。しかし、東(あずま)兄貴…。」

「なんだ?」

「なんとも立派な木ですね。」

「あん?まぁそうだな、こんな木があるくらいだ結構な金持ちだろう。」

「下見の時にもそう思ってここに決めたのは覚えているんですが……。」

「何が言いたいんだ?はっきり言え!」

「へい、確か下見に来たのは4日前だったんですが。」

「ああ。」

「その時はこの木、確か桜が満開に咲いていたんですよね。」

「そうなのか?」

「へい。桜の木ってこんなにも急に枯れてしまうものなんですかね?」

「さぁな、お前の見間違えじゃねぇのか?」

「そんなはずはないと思うのですが……。」

「そんな事はどうでもいい!さっさと金目の物を頂いてずらかるぞ!」

「へい!」

  玄関へと向かう山路。

「待てバカ!」

  山路を追いかけ頭を叩く東。

「何するんすか!痛いじゃないですか!」

「お前は本当のバカか!そっちは玄関だろう!」

「へい、中に入ろうかと。」

「なんのために裏から庭に入ったと思ってんだ?」

「そうでした!こっちからですね。」

  山路は土足のまま縁側にのぼり納戸に手をかけた。

「ダメです、開きませんぜ兄貴。」

「どけ、こうするんだよ。」

  東が納戸に手をかけた瞬間、玄関の方から誰かが走って来る足音が聞こえた。

「兄貴!誰か来ますぜ!」

「何!」

  うろたえる2人の前に足音の主が現れる。

「おじいちゃん!」

  足音の主は一雄だった。怪しい2人に気づいた一雄は問いかけた。

「おじさん達誰?」

「お!おじさんだと!」

  見つかった事よりも、おじさんと言われた事にショックを受ける東。彼はまだ28歳であった。そんな事とは露知らず一雄は2人に。

「分かった!あなた達が桜の精さんですね!」

  一雄はこの2人を庄之助の話していた桜の精と勘違いした。

「はぁ?なに言ってんだこいつ、泣かしたろか。」

  一雄に近づく山路を東が制止する。

「おい!いいから話を合わせとけ!」

「え?何でですか?」

  2人は一雄に背中を向けコソコソ話し始めた。

「あいつは多分この家のジジイの孫だ。」

「へい。」

「あいつを使って身代金巻き上げるってのはどうだ?」

「それって、誘拐ですか!」

「バカ、声がでかい!」

  山路の頭を叩く東。

「いて!すいません。」

「空き巣なんかよりも金になるぞ。」

「流石!兄貴!」

  一雄の前へ戻る2人。そして山路が。

「そうです~。私が桜の精で~す。」

「わーい!僕にも見えたんだ!初めまして僕は山本一雄です。」

「はいはい、初めまして。俺は山路……、痛い!」

  また頭を叩かれる山路。

「じゃなくて桜の精です。」

「わーい!よろしくお願いします!」

  山路は東に耳打ちをした。

「ところで兄貴、桜の精ってなんですか?」

「知るか!」

  一雄が何かに気づいた。

「あれ~?!」

山路は焦った。

「え?ど、どうしたんだい?」

「桜が枯れちゃってる!」

「みたいだね。」

「桜の精さんは大丈夫なんですか?」

「はぁ?いや、何がだい?」

「だって、桜が……。」

  東が横から。

「大丈夫だよ、俺らがここにいるから枯れてるんだ、戻れば元に戻るよ。」

「そうなんだ、良かった。」

  一雄は東の言葉を信じた。

「ふ〜ん、そうなんだ。」

  山路も何故か納得してる。

「痛い!」

  一雄に分からないように東が山路の頭をまた叩いた。

「しっかり話を合わせろ!」

「すいません……。」

  そんなやり取りをしていると、玄関の方から騒ぎ声が近づいてくる。

「もう、はやく!こっちですよ、戻りましょう!」

「おい!離せよ死神!」

「いったい何のために若返ったと思ってるんですか!」

「いいだろうが少しくらい、せっかく若返ったんだから。」

  言い合いをしながら庄之助が死神スレイブに引っ張られながら中庭に入ってきた。

「なんだお前は!?」

  東は庄之助に問いかけた。庄之助は一雄が知らない男達といることに驚いた!

「か、一雄!」

「一雄君!」

  スレイブも共に驚いたが、一雄は見知らぬ大人に名前を呼ばれた事に戸惑った。

「お兄さん誰?どうして僕の名前を?」

  その時東が山路に怒鳴った。

「山路!ガキを逃がすな!」

一瞬の間……。

「あ!へい!金づる、金づる!」

  一雄を捕まえる山路。一雄は何がなんだか分からず。

「え?何?どうしたの?離してよ。」

「一雄!その子をいったいどうする気だ!」

  庄之助は東達に問いかけた。

第十二章 強さとは…

「その子をどうする気だ!」

「はぁ?なんの事だ?お前には関係ないだろうが。」

  東はすっとぼけている。しかし、何やら山路の様子がおかしい。

「クソー!まさかこんなにも早くバレるとは!どうしますか兄貴!」

「おい!まて!お前は何を言ってるんだ?ちょっと黙ってろ!」

  しかし、全く話しを聞いてない山路は続けた。

「俺たちがこの家に空き巣に入ろうとしたら、」

「お前!馬鹿か!」

「空き巣?!」

「そこにこのガキがノコノコやってきやがったから、このガキを使って金を巻き上げようとしていたなんてよく分かったな!コノヤロー!」

  全てを話してしまった山路、その頭を叩く東。

「あ痛い!」

「コノヤロー!じゃない!バカかお前は!」

「なんだと!それってまさか誘拐?」

「え?誘拐ですか!」

  山路の言葉で全てを理解した庄之助とスレイブ。東は呆れ果てている。

「やっぱりお前はバカだ!ベラベラとなんで喋っちまうんだ!」

「え?おれ、またやっちまいました?すいません!」

  東は開き直った。

「ちっ!誘拐だったらどうするってんだ?」

「くそ!」

  スレイブが庄之助に話しかける。

「庄之助さん。」

「あん?」

「チャンスじゃないですか?」

「何がだ?」

  庄之助の言葉に答える東、スレイブの声は聞こえていないようだ。

「何がだ?じゃねぇよ!質問はこっちが質問してるんだろうが!」

  スレイブは構わず続けた。

「一雄くんに見せたいんでしょう?強いとこを!」

「しかし...」

  東とスレイブの言葉が重なる。

「しかしもカカシもねぇ!」

「しかしもカカシもないでしょう!」

  スレイブは続けた。

「あなたの望なんでしょう?」

「分かったよ!くそ!どうにでもなれ!」

「てめぇ!さっきから何ブツブツ言ってやがるんだ!俺をコケにしてやがるのか?!」

  庄之助に殴りかかる東。

「庄之助さん!危ない!」

  東の攻撃をひらりと躱しさらに反撃した。よろける東。

「兄貴!大丈夫ですか!」

「うるせえ!黙ってガキを捕まえてろ!」

  さらに殴りかかる東!庄之助は何発か躱したが避けきれずにダメージを受けた。

「庄之助さん!」

「ぐっ!痛ってぇ!やっぱり無理だ!昨日まで年寄りだったんだぞ!身体も思うようにうごかねぇ。」

「そんな弱気でどうするんですか?一雄君も見てるんですよ?さぁ!庄之助さん!」

「また独り言か?余裕じゃねぇかよ!なめるのもいい加減にしろよ!」

  再び庄之助に襲いかかる東。

「オラオラ!」

  東の拳が庄之助の頬を直撃して倒れ込む庄之助。

「庄之助さん!」

「くっそー!」

  立ち上がる庄之助。東は苛立ち。

「こいつ!弱いくせにしぶといんだよ!」

  東は容赦なく殴る蹴るを繰り返す!再び倒れ込む庄之助。スレイブが声をかける。

「庄之助さん!立って!」

「うるせー!分かってんだよ!」

  再び立ち上がる庄之助。

「なんなんだよ!こいつは!」

  明らかに怯む東、庄之助はその隙を見逃さない!

「どんなに殴られようとも、罵倒されようとも、俺は諦めない!それが俺の強さだ!」

「いけ!庄之助さん!」

  力を振り絞り東に向かう庄之助!

「ぐわ!くそ!馬鹿な!」

  庄之助一撃に倒れる東。

「兄貴!てめぇ!よくも!」

  山路が庄之助に襲いかかるが、一瞬でやられる。

「あひ~ん!」

「とっととうせな!」

  逃げ出す東と山路。

「くそ!てめぇのせいだぞ!」

  逃げながら山路の頭を叩く。

「そんな?俺のせい?俺のせいか~。」

  慌ただしく2人は逃げていき辺りに静寂が戻った。

第十三章 別れ…

  一変して静まり返った中庭。呆然としている一雄に問いかける庄之助。

「大丈夫か?」

「え?あ、はい。あの、その。」

  スレイブが庄之助に。

「ほら、庄之助さん。」

「ああ……。」

  庄之助は少し考えて一雄に。

「もう大丈夫だ、早く行け。」

「え?それだけ?」

  うるさいとばかりにスレイブを睨みつける庄之助。

「うん、でも…。」

「ん?どうした?」

「この日記をおじいちゃんに。」

  手に持っていた日記を差し出す一雄。

「……そいつはじいさんがお前にやるってよ。」

「え?でも…、おじいちゃんは?」

「遠くに行っちまった。よろしく言ってたぜ、元気でなって。」

「え?どこに言っちゃったの?」

「それは…、遠いところだよ。」

「いつ帰ってくるの?」

「もう帰ってこねぇ。」

「どうして?」

「そのうち分かるさ。でも悲しむ事はない、この桜の木からいつでも見てるってよ。」

  そう言うと庄之助は枯れてしまっている桜の木を見上げた。一雄は俯き今にも泣き出しそうだ。

「そんな…、帰ってこない…。」

「一雄君…。」

  スレイブは心配そうに近づき声をかけるがその声は聞こえていない。泣き出しそうな一雄に庄之助は。

「また、泣くのか?」

「庄之助さん!」

「言ったろ、じいさんはこの木から見てるって。笑われるぞ。」

「ううん、泣かない。約束したから。」

  庄之助は笑顔で一雄をなでた。

「そうだな、偉いぞ。」

  庄之助はもう戻らない事に気づいたが、こぼれそうな涙を拭い無理に笑ってみせる一雄。

「さぁ、母さんが心配するぞ。」

「うん、ありがとうお兄さん。」

  自分の家へと向かう一雄、一度振り返り庄之助にお辞儀をして桜の木を見上げた。スレイブは大きく手を振っている。そして一雄は再び帰路につく、その背中を庄之助は悲しげな表情でいつまでも見送っていた。

  再び静まり返った中庭。その静寂に堪えきれない様にスレイブが庄之助に問いかけた。

「あれで良かったんですか?」

「ああ…。」

「一雄君、泣いてましたね。」

「賢い子だからな、何となく気づいたんだろう。」

「そうですね。」

「……。」

「……どうしますか?」

「ん?」

「残り時間はあと1日程ありますよ?」

「そうか…。」

「また、遊びにでもいきますか?」

「…………なぁ。」

「はい?なんですか?」

「1つ聞いてもいいか?」

「ええ。」

「どうして桜の木が枯れてるんだ?」

「えっ……?」

「何か知ってるんだろ?」

「いや、その……。」

「教えてくれ。」

「それは…。」

「まさかこの命は。」

「そうですよ!あなたを若返らせたのはこの桜の命です。」

「やっぱりそうなのか。」

「いまこうして生きているのもこの桜の命のおかげです。」

「じゃ、この桜が枯れてしまったのは俺のせいか……。」

「それは違います。」

「じゃぁ、なぜ!」

「この桜の願いです。」

「桜の?」

「言わない様にと言われたのですが、この桜の精に。」

「お前、会ったのか?」

「ええ、自分の残りの生命をあなたに与えてくれと。」

「どうしてそんな馬鹿な事を。」

「それがあなたの望みだからと。」

「望み?」

  庄之助は昨晩の自分の言葉を思い返した。

《庄之助は縁側に座り桜の木を眺めていた。満開の桜は風でざわめき揺れていた。

「今日も元気じゃな、羨ましいのう。ワシにもその元気があればのう。」

  庄之助はうつむき溜め息をついた。

「昔に戻りたいのう。そうすれば一雄にも本当の強さってものを教えてやれるのになぁ。」》

「まさか、あの言葉を聞いて?」

  庄之助は桜の木に手をついて。

「馬鹿野郎…。」

「庄之助さん……。」

「いや、馬鹿なのは俺の方だ。そんな事とも知らずに、こいつの命を無駄に使っちまったんだな。」

「だから私は何度も言ったんです!遊んでないで早くと。」

「なんでもっと早くに本当の事を……!いや、お前はこいつとの約束を守っただけか……。」

  再び沈黙する2人、またスレイブが耐えきれずに。

「で、でもほら!一雄君には十分伝わったんじゃないですか?まぁ、あなたがお爺さんだとは気づいてないでしょうが。」

「そうか…、伝わったかな?」

「大切な事は伝わったと思いますよ、あなたの姿を見て。」

「そうだといいんだがな。」

「そう信じましょう、賢い子なんですから。」

「ああ…。」

「でもやっぱり、早く行け!なんて言わずにもっと話すべきだったんじゃないですか?」

「……。」

  何かを考え混んでいる庄之助。

「庄之助さん?」

「なあ。」

「はい。」

「戻すことはできないのか?」

「え?」

「この命を返すことはできないのか?」

「それは……。」

「どうなんだ!」

第十四章 約束

  スレイブに桜の木に命を返すことが可能なのか問いかける庄之助。スレイブは一瞬考えて答えた。

「可能です。」

「そうか。」

  安堵した表情で笑う庄之助にスレイブは。

「まさか戻せって言うのですか?」

「ああ、すぐに戻してくれ。」

「そうですか……、でも本当にいいんですか?」

「ああ、もう夢は叶った十分だ。それにこの木がこのまま枯れちまうと約束を守れない。」

「約束?」

「一雄に言ったろ、この木からいつも見守っていると。」

「そうでしたね……。」

「さぁ、戻してくれ。」

「わかりました。しかし、あなたは本来すでにこの世にいない。戻してしまうとその瞬間あなたは……。」

「分かってる。でも、わしが死ぬよりこの桜の木が枯れてしまう方が辛いんだ。」

「一雄君はどうするんです?あんな別れ方で本当にいいんですか?」

「一雄なら分かってくれる。今は分からずとも大きくなればワシが言いたかった事を分かってくれるはずじゃ。今まで沢山、沢山話をしたからのう」

「そうですか。」

「それに生きた所でどうせあと1日なんじゃろう?」

「はい。」

「ならばこの木に少しでも生きて一雄を見守ってもらった方がいいじゃろう。」

「そうですね…。」

  庄之助は桜の木に再び近づき。

「すまんのう、それからよろしく頼む。」

「庄之助さん……。庄之助さん言葉使いが戻ってますよ。」

「ん?ああ、そうじゃな。死ぬとなると気持ちまで戻ってしまうのかのう。」

「そんな言い方しないで下さいよ。」

「ははは、すまんすまん。お前さんを困らせるつもりで言ったんじゃないんじゃが。」

  スレイブは真剣な眼差しで。

「本当にいいんですね?」

「そういうしつこさは不愉快ではないのう。もういいんじゃ、頼む。」

「そうですか、わかりました。では目を瞑って下さい。」

「わかった。」

  庄之助はゆっくりと目を瞑り、スレイブは庄之助の顔に手をかざした。庄之助の身体が桜色に輝き出した。

「さよならです、庄之助さん。」

「ああ、迷惑かけたのう。」

  庄之助を包む桜色の光はスレイブに吸い込まれる様に消えた。そして庄之助はスレイブに倒れ込み支えるスレイブ。

「迷惑だなんてそんな事言わないで下さいよ。楽しかったですよ、庄之助さん。」

  スレイブは庄之助の身体を室内へ移動させ布団へと寝かせた。そして再び中庭の桜の木の前へと出てきた。

「あなたの命を戻しますね。半分ほど使ってしまいましたが。」

  スレイブの身体が桜色に輝きその光は枯れてしまった桜の木へと吸い込まれた。しかし、桜の木は依然枯れたままである。

「さて、私の仕事は終わりですね。天界へ帰りますか……。」

  スレイブは庄之助と一雄の言葉を思い返していた。

《「いつ帰ってくるの?」

「もう帰って来ねぇ。」

「どうして?」

「そのうち分かるさ。でも悲しむ事はない、この桜の木からいつでも見てるってよ。」》

《「ああ、もう夢は叶った十分だ。それにこの木がこのまま枯れちまうと約束を守れない。」

「約束?」

「一雄に言ったろ、この木からいつも見守っていると。」》

  スレイブは寝かせた庄之助の方へ向かって語りかけた。

「庄之助さん、一雄君との約束は守られる事はないですよ。魂となった人間には意思はありません。ずっと見守る、そんな事は不可能なんです。」

  スレイブの身体が天界へ戻るため浮遊する。

「……でも、その約束が少しでも守られる様に。あなたの魂の欠片をこの桜の木に残して行きますね。」

  そう言って微笑むとスレイブの姿は消えてしまった。辺りは静寂に包まれ、桜の木だけがいつまでも取り残された様に佇んでいた。

最終章 それから…

  庄之助の葬儀から10年後…。

  庄之助宅の桜の木はまだ健在であった、昨年までしっかり花も満開に咲かせていたようだ。しかし、今年はついに花を咲かせなかった……。ちょうどあの時の桜の精が言った寿命の半分を使い切ってしまったのだった。

  枯れてしまった桜の木に近づいてくる1人の青年。

「こんにちは、爺さんの桜。」

  青年は桜の木に話しかけている。

「もう秋になると言うのに、今年はついに花を咲かせていくれなかったね。」

  悲しげに俯く青年。

「爺さんが死んでからもう10年だよ、俺ももう18歳立派な大人だよ。」

  なんとこの青年は成長した谷山一雄だった。父である谷山正彦は庄之助が亡くなってから落胆する一雄と葉子の為に庄之助の形見で溢れたこの家で暮らすことにした。そして、取り壊されることなくこの家も桜の木も残す事ができたのだ。一雄は桜の木に話しかけ続けた。

「いつも寂しくなったらこの日記とここに来た。いつでも爺さんに会えるような気がしたから……。この木と一緒に爺さんがそこにいるといまでも思っているよ。」

  一雄は桜の木を庄之助と思って話しかけているようだ。

「今更だけど今日は爺さんに言いたい事があるんだ、聞いてくれてるかな?」

  桜の木は変わらずに佇んでいる。

「ずっと謎だったんだ、あの時助けてくれたお兄さんは誰だったのか。」

  一雄は手に持っていた日記をめくりはじめた。

「この日記に挟まっていた写真で謎は解けたよ。」

  日記から取り出した1枚の白黒写真。そこには満開のこの桜の木と引きつった笑顔の青年が写っている。写真の裏にはこう書かれていた『大親友の下で庄之助20歳』と。

「あの時、誘拐犯から助けてくれたのは爺さんだったんだね。」

  一雄は悔しそうに俯き。

「どうして若返った姿で現れたのかは分からないけど、今は後悔だけが胸でいぱいなんだ。どうしてちゃんとお礼を言えなかったのか。」

  一雄は桜の木を見上げた。

「あの時は爺さんとは知らずにちゃんとお礼できなくてごめん。それに爺さんが伝えたかった事、本当の強さとは力が強いだけじゃない、心が強いことだって!今更気づくことができた。だから今なら言えるよ爺さん!何度でも、爺さんに届くまで!ありがとう!おじいちゃん!ありがとう!」

  一雄の頬を一筋の涙がつたう。

「え…!桜が!咲いた!」

  枯れてしまっていた桜が急に満開になった、まるで一雄の言葉に桜と庄之助が答えている様だった。

終わり



サポートして頂けましたら、新しい本を買ったり、講習会に参加したり、知識を広げて皆様に必ずや還元します!!