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イマジン、それは絶望の歌

毎度、毎度戦争が起こるとイマジンをかけたり、イマジン歌ったりしますし、ネットではイマジンが平和を作ったみたいに言ってますが、そんなこたあねえです。
ビルとテッドの新作でもネタにされるように、歌で世界が変わった事はないというのも有ったりしますが、ジョン・レノン本人はあれを本当に平和の歌として希望の歌として作ったかもあやしい。

むしろ、自身と人への絶望ソングだという話も結構あったんすよね。

ジョン・レノンっていうのはね

ジョン・レノンは言わずとしれたと思っている人も多いと思いますが、実際にビートルズの事とか知ってる人はどれだけ居て、その上でレノンを語っている人はどれだけいるんだろう?とイマジン信奉の方々を見てると思います。

私の親世代(2022年で80歳前後)や、私より10歳ほど上の世代などはビートルズ含めてロックを聞くと不良になると言われていた世代だし、ゴーゴー踊ると腸捻転になるとか言われていた世代です。
で、そのような世代になると、ビートルズやレノンの楽曲は名曲とは言えども世界平和の力とか平和の象徴というとなんかな、と思ったりしてる人は結構見てるんですよね。

実際、ビートルズは不仲で解散し(まあバンドにはよくある)、レノンや他のメンバーはしばらくは仲違い状態が続いた等ありますしね。

また、インドに言ったりして麻薬礼賛したとも(ルーシーイン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンドはLSDの事とか)。
なので、いうような聖人と見る事事態おかしいし、平和がどうのというよりは息子もまともに愛せない偏った人物という印象はあるんだそうな。

ヘイ・ジュードなんてのは、ジュリアン・レノンへの歌という話ですしね。
これはマッカートニーがジュリアン・レノンを慰めるために作った歌なんてのもファンの間じゃあ普通に判ってる訳ですよ。
そもそも、なーんで、バンドメンバーがジョンの息子のジュリアン・レノンを慰める事になったのかい?ていうと、そこにはジョン・レノンとオノ・ヨーコの不倫があるんですよね。

ジョンとヨーコは不倫をしてシンシア婦人との不仲があってのジュリアンの不安定や見捨てられ恐怖等があり、ビートルズのメンバーもその不倫をなんとかしないさいよ、と忠告していたそうですけど、なぜかオノ・ヨーコ2首ったけになったジョンは話を聞かないし、スキャンダル的行動も止まらん、と。
そりゃ息子は有名人の子と言っても多感な時期。
不安になるよねー、というのもありポール・マッカートニーが慰める曲をつくり、ジョンとの共作ってしたとかなんとか。

ところが、結局レノン夫婦は離婚し、ジョンとヨーコはご承知の通りの流れがあるんですよね。
ジョンとヨーコはベッド・インなんてアクションを起こしてるし、不倫からの略奪婚(今でいうなら)をして我を貫き通すっていう事では、左派系やリベラリストには受けが良い面がありますが、反面子供の心を苦しめたって事では否定的な人も結構いるにはいるんですね。

後に、様々な楽曲を作るジョンとヨーコですけど、愛と平和や反戦というよりも、自身の行動は自己愛とワガママ、諍いの人生というのはあるんですね。
今も、日本人ファンの間でもまだ言われているけど、ジョンはヨーコの芸術というののどこが良かったのかさっぱり不明、というのはあるそうで、オノ・ヨーコの芸術やアートってのはレノンの妻、ジョンに認められた女性という看板が無いと成り立たないものだというのもあるとか。

結果、彼と彼女は様々な話題を振りまく事はありますけれど一貫して怒りやヘドがでるような事を綺麗な言葉に置き換えるなんて感じでやってる感じで。

たしか、キタナイはキレイとかいうのがあったけど、それもジョンとヨーコの有る種の思想なんてのはあるとなると、ジョンはヨーコによって破戒者になったというキリスト教の方々もおるのだそうですね。(殺される切っ掛けもこれとかいう話も)

ジョンはさほど平和に貢献していない

ジョン・レノンは平和のために活動したという大きな記録はないんですよね、ゲンジツには。
上にも書いたけ問題発言で、キャンセルされそうなキリスト発言とかありますし寧ろ、アナーキストの面が強いですし有る種の世界破戒願望はあるような人。
これも言わば第二次世界大戦によるロスト・ジェネレーション関係かい?と思うくらいには現世への嫌悪は強い人なのだそうで。

これが戦争を憎む、愛と平和の人の印象を作る事になったのかもしれませんが、アメリカではキリスト発言による右派キリスト団体によるビートルズ排斥とか起こっているんですよね。
そのため、ツアーはしなくなったとか言われていますがジョンが映画を作ることでビートルズの活動が困難になったという説もあります。

ビートルズファンもメンバー夫々に付いていますから、ジョンのわがままで他のメンバーが苦しんでいるとか、ジョンの身勝手さ、ヨーコのふしだらさによるビートルズの崩壊なども巷間噂されイマジンに対しての嫌悪、今で言うヘイトだって割とあった訳です。
イマジンそのものがジョンとヨーコの合作扱いなので、ビートルズの曲ではないのにビートルズの名声を利用しているなんて話も、ジョンを利用する悪女って話もあるんですね。

先にジョンの平和活動で大きな記録はない、と書いてジョンとヨーコでベトナム反戦運動をしていたじゃないか!という話がでるとおもいますが、参加しただけなんで、自身がその知名度を使ってイベントや催し、また大きな何かを起こしたってのは、無いといえるのです。
実際に、ジョンがオノ・ヨーコに対してもっていた思慕の念は後に愛情に変わったと言われていますが、東洋や日本などのある種のオカルティズム、神秘思想に寄る所も大きいという話もありまして、何か勘違いした謙虚をもって動いた可能性はあれど、自身がまっさきに立って何かをするアーティストとしての動きがなく、いうほど反戦平和家ではないと批評する人もおるにはおったのですね。

また、FBIやCIAに暗殺されたという説が流布された理由になる1つに国際マルクス主義グループとの関係を持ったとwikiにも書かれるほどに所謂ソ連系の団体との接点が多くなったのも批判される対象でした。

ベトナムの悲劇、ベトナムでの惨劇をアメリカのみの事として批判しだした時点でおかしい!という評判もなきにしもなんですけれどね。
実際に、ソ連との関係や親ソ活動をしているなんて話が出る頃には、ビートルズの他のメンバーにも疑惑がかかったという事もまあ、まことしやかに流れていた80年代の私の青春期、なんて感じです。

メンバーと不仲と言われても不仲レベルに違いはあるので、一緒に活動するメンバーもいまして、そうなるとメンバー不仲説を疑う事もできちゃうんですね。
実際に、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターなんかも参加したのもあるんで、寄り共産主義者疑惑は増えるし、スパイ説もまああれこれ出てくるのは理解の範疇ですし、今左派系がやたらイマジンを持ち上げる事でのその噂の強化ってのも加速してるのかもしれんですね。

まあ、ネットもない時代なので雑誌や新聞(タブロイド紙)等の記事が唯一の情報源な世界では噂の独り歩きは大仰になることもあまりなかったという話も聞きはしますけど、やはり噂に尾ひれはつくもの。
なかなかどうして、右派、左派問わずレノンってのは殺されるまでは割と嫌悪されてる対象でもあったりはしたてのはあります。

バンドの不仲はお約束事、的な?

ビートルズのメンバーは不仲になるのは致し方ない状況は、超人気者なので始終一緒にいるわけですよ。
人気バンドは大体、不仲になるメンバー多いのはこの四六時中一緒で、しかもツアーだコンサートだ新作だと意見を戦わせる立場にある。
気があって始めたバンドでも有名になると方向性の違いで解散するバンドも多いのですから、人のパーソナルスペースの維持、プライバシーの確保ができない事でのストレスが不仲の要因てな話もあります。

実際、ビートルズでのツアーをやめてから関係は徐々に改善していきオノ・ヨーコ問題(というほどか否か)の影も鳴りを潜めていくって流れがありましたが、活動が停止というか休止の間にまあ、完全に仲が冷え切った相手もいる訳です。
マッカートニーは、ジュリアン・レノンに同情的だったのでヨーコがいる限りは関係改善は難しいでしたし、愛こそすべてに対しても否定的な層を生むには十分な感じではありました。

とは言え、ビートルズでやっていくことは関係が良好な人も含めて不可能。
ビートルズは1970年に解散する事になりまして、後には各メンバーはソロ活動をする事になります。
で、このソロ活動におけるジョンとポールの確執が面白い。

イマジンは絶望の歌

イマジンの発表は1971年で、タイトル曲のイマジンが今も歌い継がれている平和の歌、なんですが実際には税関で足止め食らっている時に怒りに任せて作ったとも言われている作品。
税関での足止めはまあ、麻薬問題などもあって薬物の関係やまた反戦運動における過激な団体(テロ団体)との関わりなどもあっての事なんて話も流れていたりしましたが、どちらにせよ前衛芸術家オノ・ヨーコとの付き合いがある以上、当時の前衛芸術が才能の無い人ほど薬物を乱用するなんて話もでていたりで厳しいのはあったりしましたね。

また、これはダリなんかもそうですけどあの異常な感覚や視覚の分解てのは正常な神経ではできない、と言う事から常に前衛芸術家=薬によるトリップなんてのは付きまとっていましたし、実際にヒッピー文化後の精神世界的なもの、オリエンタリズムの誤解なんてのからドラッグによる瞑想や新次元、高次元へのトリップが謳われていた時代でもあるから、より厳しいのは事実。

ただ、高次精神を持つ事で戦争をしなくなるという夢想論は結構あちこち根強く、アメリカのSFでもそういうのを描くものがあったりしました。
禅銃(ゼンガン)なんていう小説は、本当にトリップして書いたんじゃろ?wと言いたくなるような筋だったりしますしねw

そういう世界、まあ今より混乱しているし戦乱もまた戻ってきている時代においてジョンは絶望する訳ですよ。
税関での怒りの作詞作曲なんてのはそれまでの絶望と怒りがないとできんかったであろうな、みたいな話もしてたとかラジオなんかでは聞きましたから、彼は大きく絶望を取り扱う事にしたんでしょうけれど、あのクソみたいな怒りと絶望を超絶感動ソングにした部分だけは最高の天才ですよね。

歌詞自体は、想像してごらんという感じですすみ国境がなかったり宗教がなかったりしたらどうだろうね?というふうに言ってますけど、あれを税関での感情でストレートに書くとそれまでの怒りもあいまって

糞が考えろ、天国なんかねーんだろ!空だぞ!飛行機できたんだ!
あほか考えろ、国境なんてもう無意味だろうがよ!俺を通せ!

みたいになるよね、なんてのはビートルズファンでも言ってる人は居ますし。
なので、いうほど平和的な歌でもないです。
しかも、レノンがそこから発展させたのは結局人類いつまでも不信だよねえ、俺ちゃんも仲間と全然上手く行かなくておわったもんなー、という感じの事を昇華し、故に仲良くしたいとか平穏とか想像して夢見てるの俺だけじゃねーけど、全員不仲、糞笑える!てのを、よくもまあ、感動的に歌い上げたもんだw、自分と人類への絶望ソングだよという事になるんですよね。

ただ、そのような面が有ったことからジョンはそれほどイマジンへの愛着あないとも言われていて、さらにそれを推し進めて作ったMind Gamesなんてのを作っているということだそうで。
これは、もう自分と人類への絶望っていうより、もう自分と人類と社会への絶望からの決別だよね、と言う事になるのだとかなんだとか。

そもそもそれは、イマジンって言うアルバムの成り立ちとその後によるらしいけどな?

イマジンはポールとの非難合戦でもある

マッカートニーがジョンを非難、批判する歌を作る反面、ジョンもまたポールを非難、批判する歌を作っているのはあるのですね。
イマジン収録曲でストレートに批判するはハウ・ドゥ・ユー・スリープ?はポールに眠れるのか?と言ってる批判ソングとしても有名なようで。
また、イマジン収録曲は多かれ少なかれポール非難が入っているという事はありまして要は中傷合戦を商売でやってたようなもの。
それも考えてイマジンの歌詞をみると、ジュリアン・レノンの事で喧嘩腰だったポールへの批判でもある、という面は否めなくなるんですよね。

だから、ジョン・レノンが平和のためにこの歌をってのは段々と背景をしってくると嘘くさくなるし、ファンはそうも思ってないけど勝手にそういう話を信じた人が平和の歌として歌っていると歌詞の意味や、込められた事実なんてのを見ると、あれですよ。
堂々と世界中でポールを批判してるんですよ!
ということにもなるんじゃないかな、というのはあるんですよね。

もちろん、歌詞にはそんな事を感じさせる言葉はない!という風にいうかもしれませんが、現状の書いてもない事、言ってもない事をアニメやマンガや小説やゲームやらに見出すポリコレやフェミ系やリベラル系のキャンセルカルチャーの使い手が暴れた今では、書いても居ない言っても居ない裏を勝手に読み込んで思い込んでキャンセルするくらいには危険なアルバムや歌、歌詞とも言える代物にはなっているし、ポールと和解するまでの間の歌にそういうヘイトを見出す事をされてもおかしくはないですよね。

また、そういうのに浮かれスピリチュアルが混ざったような連中が影の某だ闇のなんとかだと言い出したら、戦争が発生し続けるのはレノンのイマジンに込められた呪いとか言い出してもおかしくはないなあ、と思うのですよねえ。

和解後の歌こそ、本来の意味で平和の象徴になるもの。

本当に平和の象徴としてジョン・レノンの歌を使うならば、和解後の歌こそがその意味があると思うのですよ。

実際、イマジンはビートルズという商業活動に疲れオリエンタリズムや日本のめんたりずむに触れる事で「別の価値観と可能性」に頭が向いた時期であるのですから、ジョンがビートルズに嫌悪をもち、憎悪を感じ始めた時期の歌は恨み節でありこそすれ真に平和だ愛だを歌っているとは思えないモノ、自分や人への絶望や嫌悪をキレイな言葉にして紡ぎ出した糞みたいな美術であるという事に気づかないといけないよねえ、と。

実際、先にも書いたキレイはキタナイ、キタナイはキレイみたいなのはジョンとヨーコが度々言葉を変え、ネタを変えて出してきた概念ですからね。
たしか、元はシェイクスピアで大衆化させたのは不思議の国のアリスなはずですけどその概念の裏表で同一である的な考えがオノ・ヨーコと日本や東洋への傾倒をジョンに産んだとなるならば、なによりもイマジンなんぞとっくに投げ捨ててソロ活動とポールと和解後の歌にこそ、ジョンとヨーコの真意を見る必要は出てくると思います。

実際、ビートルズ時代の終盤は、バンド活動を別にやってもそれほどの名作はないと断ずるファンも居るようですし、イマジンだけを神格化する事自体がジョンの意志に反するといえる行為に感じるのですよね。
実際、ジョン・レノン単体としてならば、彼は歌で世界は変わらないという意志を強くしていった晩年の様ですし。
殺されなかったらどう変化したかは気になるところですけれどね。

でも、すくなくともオノ・ヨーコはどうか知らないけど、ジョン・レノンが生きていたら、イマジンを反戦や平和の象徴にされることに嫌気をみせていたと思うのです。
また、ヨーコ自身内心ではどう思っているかは不明ですよね。
ジョンの権威化はあまり好ましいものではないのでは?


と、ジョン・レノンが存命の頃を少しは知っていてそういう話をするアーティストやミュージシャンが多かった時代を体験したおっさんは思うのです。


白井貴子はもう少しジョン・レノンを語った方が良い。


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