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安倍晋三がネット勢力を切り離したのか?

安倍晋三元総理と言えば、総裁に復活し総理になってからマスコミや野党、またリベラルの過激な方々からネトウヨの王の様に扱われている時期がありました。
流石に野党はそこまで露骨じゃないってのはありますが、しかしその安倍元総理は、政権を奪還の後、ネット勢力を切り離したと言う状況に近いと言えます。

つまり、ネトウヨとの決別が有ったと言って過言ではないんですが、なぜそうなったのか?
総裁選を見ていると、というかこの10年近くをみていると納得すること仕切りだったりしたり状況であったりします。

親安倍ネトウヨは役に立たない

ネット右翼とネトウヨはまあ大体別物ですし、ネトウヨにだって流派?と言うか宗派はある訳ですが、少なくとも2009年の自民党下野以降、力を強くもったのは親安倍ネトウヨと言って良いかと思います。
谷垣さんが居たりなんだったりはありますが、安倍晋三と言う人物をより強く好いていたと言っても過言ではないでしょう。

この下野している間に、安倍晋三さんは多くの一般人やネット界隈でそこそこ名を売ってる人に接触してる時期もありましたし、自民党の議員でも若手が率先して接触するなんて話もありましたが、ネトウヨと言うカテゴリ、というかジャンルに組み込まれている人達はネットの世論に対して声を大きく発言をしている事だけは認めらました。

この多く発言をしている層を味方にすることができる、または戦力にすることができるならば、自民党の現状を変える事はできるかもしれないと言う希望は若い世代程強かったなんて話もあります。
言い換えれば自民党の大敗は、旧態依然とした昭和政治家の悪い部分が凝縮されていた事による自家中毒的なものだと言う判断になるんですね。
ところがネトウヨでは役に立たないと言う事が実際に接触していればわかってしまいます。

知識や情報、これは及第点から合格点を備えていても、冷静な分析や感情を抑えての意見を言えない、だせないと言うのはネトウヨとされた一団の弱点となりますし、知識や情報そのものが知ったかぶりによるもの、と言う問題も抱えていると言う事になるんですね。
となるとそれは、戦力として役には立たない。
ブログやSNSでの発信をしていても、その知識や情報が現実とは違う、思い込みでできていると言う事になるとその集団は戦力とならないジャンクでポンコツ、と判断されてしまうのですよね。
その様な集団を味方として国政与党として戦えるかどうかと言うと、それは無理と言うのは素人でもわかるってところでしょう。

ネット右翼とネトウヨは違った

当初、安倍晋三さん以下ネットとの接触を多く持った自民党政治家の皆様はネット右翼の様な存在を意識してたと言う説、噂話もあります。
ネット右翼は朝日新聞のコラムなどで多用されて名前が知られてきましたが、「ネットとデジタル、ITに長けていて、情報とそのソースの確認、またそこからの分析や解析などを行い、情緒的な右翼と違いネットとITによる論理的な右翼」みたいに分けられていました。
要はマスコミの教えに染まらない人達をそう言ってただけでネットの右傾化がと言う事を言ってただけですが、これは比較的リベラルになる、と言う事だったりします。

情報や知識などをちゃんと使う事ができるので、中道左派右曲がりふつうににっぽんじんみたいな存在になるために、左派系知識人には右傾化してると見えただけなんですが、いわばデジタル原始人ですからね。
それまでのアナログ文明人とは違う考え方や安全に関して、国に関しての知識を持っていてもおかしかないんです。
 
このネット右翼と呼ばれるいわば中道の一種過激と言っても良い面々を、下野した自民党は使いたかった、利用できるなら味方にと言う事があったとききますが、過激なあるいは自分たちの代弁できない何かを代弁していると言う事で同じ様な事を言ってるつもりのネット右翼の劣化量産品のネトウヨってのが台頭してきたって感じになります。
それらネトウヨって存在に関して言うとネットから来て、知識や情報、歴史や事実をちゃんと学ばない、自分の都合の良い様に解釈して、違えば癇癪を起こす、相手を馬鹿にする事や誤謬をさそって論破した気になる様な連中が増えると古くからの右翼、行動右翼とでもいいましょうか、が危機感を憶えて意外といろんなところで勉強会やらを行います。

そこからより過激な極右に行くならまだマシですけれど、古い右翼が駄目なんだ!(いや駄目なのはお前だろ?)な状態で、ちやほやしてくれる戦力として使いたい政治家や集団に執着していく、と言う流れができあがった様なものです。

この辺は、左翼の歴史をなぞっている

かつて左翼と言えば、知識人枠でしたが80年代ともなると左翼としての知識に貪欲な意識は薄れた世代が左翼だからクレバーです!みたいになってきます。
コレに対して、左翼重鎮はファッション左翼なんて言ったりして嫌悪してる人も多かったりしますし、自分の知識や地位に固執する世代がでてくるとカタカナで「サヨク」と書いたりしたりする左翼重鎮系がでてきてもいました。
左翼の場合は、印刷機が右翼におけるネットの役割をしています。
印刷機が安価になった(でも高いけど)、ガリ版刷りも楽に手に入る、また同人誌文化が花開いてくると印刷所もそういう対応ができるようになるって事で、多く自分達の機関紙などを作るようになってくるんですね。
この辺の歴史は「パソコン創世記」の名前で出てる本(青空文庫である)などを読むと理解が早いかもしれません。

この時も知識の断絶や軽視を嘆く世代がいるにはいる、と言う事になるんですね。
左翼の方はこの、ファッション左翼やサヨクの存在による弱体化というか世間からの不信(それまでに極左ゲリラ等の事もあったとは言え)を買っていくと言う事になったりしました。
これを他山の石とせずに自分達が間違えない様にした、という点では安倍自民党のブレーンは、左翼の歴史にも通じている人が多かったのかもしれないと思ったりします。

ネット賢者のネトウヨは期待してしまった

ネット右翼とネトウヨの違いはネットは空中戦と言う理解があるかどうか、とも言えます。
ネットがこれからの世界、と思ってしまうような視野の狭い事をせずに、現実での対応や行動、運動、人との接触や実際に成果を出す事をしていく、と言う点では、ネットの中だけが世界のすべてのネトウヨにはついていけない物がでてくるのですね。

それは信頼であってかつて左翼がサヨクに見切りをつける際にもその信頼と言う物をものさしにしていた、とか。
新しい世代の左翼であっても実際が追い付いていなければ見捨てる、切り捨てると言う冷徹な判断をする、と言う事になるんですが人としての付き合いで切れない、と言う悲しさもあったんだそうで?
その失敗を繰り返さない事が大事と言うのはあったのでしょう。
自民党の幹部関係の事務所から自身のブログにアクセスがあった事や、会った事、またいくつかの飲み会などで自民党政治家に会う事ができれば自分が何もしないでいても、重要な役回りをしていると言う意識はでてきます。

実際には重要な役回りは知識や情報をひけらかす(それも間違っている)様な事ではなく、地道な根回しなんかも必要ですし、正しく情報や知識を理解し解析し、意見を言える事は大事です(これは政治だけに限らんけど)。
それが出来てないままで、自民幹部事務所からのアクセスがあったとか、なになにの会合で誰それさんに会った!話した!と言う事だけで、ネットで駄文を書き散らしていては、現実の政治闘争にはまったく関わってないわけですね。

例えば、選挙の時等は事務所の手伝いなんかを少しでもできるのか?やったのか、また応援となる活動を何かできたのか、等はあるし正しい情報の提供ができるのかできないのか、それは思い込みではないのか、等様々な事がでてきます。

が、現実にはブログや動画、SNS等で管巻いてる状態となるとこれは無力な存在でしかないんですね。
如何に、大手の事務所が見に来ても、それはネットオピニオンの動静を見ているに過ぎず、実際には数ある情報の1つにしか過ぎなかったのです。

が、そういう事を理解できず誰それさんの事務所が見に来てるから安倍晋三が総理になったら自分は呼ばれる、スタッフになれると思い込んで自慢してる人は、あの時期結構いました。
私自身、飲み会(これは政治系+社会活動系の飲み会)等でそういう自慢話を聞かされる事になるのは多かったですがそういう人の多くは、それほど立派なものではありませんでした。

確かに目の付け所や発想の光る人もネトウヨにはいましたし、これは左翼におけるファッション左翼の頃でも同様だったりするんですが、そういう人は磨かなければ珠にならない状態。
欲しいのは、オピニオンの即戦力と考えると政治家として立つスタートラインにもたどり着けてない人は、切り捨てるしかないんですね。

そしてネトウヨは安倍を憎む

安倍自民党で政権を奪還した後、マスコミ特にワイドショーの悪口雑言はひどかったと憶えている人も多いでしょう。
病気を揶揄する事で同じ病気(同じ病名)の人を傷つける事を数多く行ったり犯罪者か悪の秘密結社の総統の様に言ったりと大騒ぎでした。

でそれはサヨクもご同様なんですが、ここで親安倍ネトウヨ関係は泥沼の戦いをしてたのもネットを見てる人には記憶に新しい事と思います。
その時にも親安倍ネトウヨは頑張っていたのですが、罵倒合戦ですから政治的にはネガティブな要素。
寧ろ、関係があったら選挙でやばいレベルなのですが選挙後、距離を取っていた事もあり、ダメージは最小、もしかしたら無いかもしれない状態なんですよね。

そういう戦いにおいても安倍晋三のために頑張ってる、自分は重用されるはずだ、そうでなくとも地域の自民党が頼ってくると言う、根拠レスな自信と言うか願望を持っていた人達は、勝手にハシゴ外された!と思ってしまう訳でして、徐々に安倍晋三を憎む様になります。
かと言って、それでリベラルあるいはサヨク陣営に行けるかっていうとそんな訳もなく一部の変なの以外は自称保守・愛国の徒として安倍晋三さんを罵倒し自民党に誹謗を浴びせる形になっていくんですね。

実際には、玉石混交なら光る珠が欲しい自民にしてみれば「ネトウヨ無能論」を徹底的に印象づけたと言うのはあります。
ネット右翼やネットを発表の場の1つとしている政治活動家、社会運動家または研究者、学者等とは別の存在としての駄目なネットの側面としてのネトウヨ、そして後に対になるパヨクなんて存在もでてきましたが、この現実での活動や信頼がかけらも無い状態の存在を切り捨てる事で長期政権になったとも言えますが、それは一部の反安倍ネトウヨを誕生させたりもした訳です。

が、これは勝手に期待して夢をみてそれを実現する努力、行動をしなかった自分の責任だったりしますし、自分は動いた!努力した!と言っても基本的に目の前の光る箱のついたキーボードを叩いているだけとなると、努力したウチにも入りません。

現実での成果、そしてネットでの評判を加味してこそお声もかかろうってもんですが自分達で動かないならそれは無意味なんです。
その無意味の結果、自分が重用されなかった誰も声をかけてこないし実績も無いのに同等かそれ以上のつもりのネット賢者の存在が、一般人から政治を遠ざけ社会への接点を減らすってのも、また左翼の歴史の焼き直しって感じですけれども、ネットと言う普遍的コミュニケーションツールがある中ではその勝手に期待して勝手に絶望して憎悪燃やしてる存在は目立つだけ、なんですね。

巧くリベラルに取り入れれば、政治芸人的に生き残る事も可能ではあるんでしょうが、それだっていつまで持つやら、なのです。

つまり、実力がなかったと言う評価

結局ネット賢者の問題は、現実であれ仮想空間といわれたネットであれ実力がなかったという判断をされたって事ですね。
ここで実行力があればまた別ですけれども、実行力もない。
ネットでさわぐだけ、となるとそれは雑音と同様になります。

もしかりに実行力がある、またネットだけで記事をだしていても他のこと、例えば介護のプロ、社会学のプロ、また表現、創作のプロ等であれば、味方として呼ばれる事も多いでしょう。
さらに、自分達で政治サークルもしくはアナリスト的な集団を作っている、シンクタンク的に動いて政治家へ提言している、また自分らの企画で何かを行っていれば、評価は違ったでしょう。

個人ででもできる事はあるし、集団を作り何かをする発表する等ができてればまた信頼も別です。
好悪はあるでしょうが、例えば民主党本部前座り込み抗議をした人達は政治的には素人でもその行動力で評価を得ています。
コレに対してもネット賢者の多くはそんな事しても無駄だ、もっと賢い意見をネットでだせ!というような事を言ったりしてましたが、その人達の意見は人を動かす事なかったのですね。
まあ、上から目線で目を覚まさせるなんて言ってりゃそりゃ一般人気はでませんから。

そういう目覚めた人としての上から目線のあれやこれやに加えてほぼデマ的なネット記事(読みづらい)なんてのもあると余計に使い物にならないポンコツ軍団と言う判断がされていったのは、想像に難くないと思います。

ただこれ、あれだよね。

で、そういう人たちってのは結局どうなるかっていうと、今もみな見てると思うんですよ。
去年だったらQanon系列の陰謀論、今は反ワクチンカルト的な存在。
反ワクチンだって別に全員が全員おかしな人って訳じゃないのはあるんですが、行き過ぎて駄目になった人達もいるんですけれど、これがこのネトウヨ界隈とかぶってるのも多い。
どころかいわゆるパヨクと言われるのとかぶっているのも多い。

Janonって呼ばれるのがでてくると右翼的な感じでしたけど反ワクチンやコロナウイルス生物兵器説等が増えてきた時に、それこそ今までは共産党の市議が陰謀論にハマってるpgrしてた人までもハマって右も左も同じ様な集団と化しつつあるんですよね。
そして自民党がシャドーキャビネットに操られてっるとか影の世界政府がどうのこうの。

いや、そりゃね、あるよ?シャドーキャビネットとかね?
でもそれあんたらが言うショッカー(原作漫画版)的なのと違うから!
今ならノバショッカーだから!と突っ込みたくもなる状況。
そして共通項としての悪の象徴安倍晋三がいる訳ですからねえ。
まあ、ネットで駄目になった知性と記憶を手元の端末に頼る様になって駄目になっていった人が多い、なんて感じなんですよね。

私自身も、noteなどで記事を書いているしブログもまだやっているし(たまにだけど)と言う状態だから人のことを笑えなくなる日は来るかも知れないと言うのはあるにはあるんですけれど、記憶と知性は自分の物として頭を使う努力、行動する労力は惜しんでいないつもりです。

何かに対して求められる信頼される重宝される様になりたいならば、少なくとも自分の知性のすべて、記憶のすべてをパソコンやスマホ、タブレットやネットに委ねるようになってはいけないよね、と。

この点では安倍晋三ブレーンはネット、ITの持つリスクを回避する事に対して知識がすごかったのではないか?と思っていたりする次第です。

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