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文化的な「地獄」の歴史は価値になるのか?(前編)

最近は息子の成長速度に驚かされる新米お父さんとしての日々を過ごしています。昨日まで手が届かなかったものや登れなかったものに、手が届くようになってたり登れるようになってたり、1日でこんなにも進化するんだと、キャッチアップするのに精一杯です。

さて2021年は、そんな息子が1歳、僕は36歳、そして海地獄が111歳となる年。息子に負けじと、僕も海地獄も成長していきたいところですが、細胞の活性化レベルでは息子には到底及びません。では何を武器にするか?というと積み重ねてきた経験と実績、そして背景にある文化的な歴史(物語)だと思います。(なにを赤子と張り合ってるんだと…)

今回は、地域で継承されてきた文化的な歴史は、価値になるのか?について日頃僕が思っていることを綴っていきます。

海地獄がそこにあり続ける理由

施設としての海地獄を創業したのは、僕の曽祖父である千壽吉彦(せんじゅよしひこ)です。当時、千壽家は大分県竹田市を故郷としており、東京を拠点に曽祖父は鉄道技師として活躍する一方でいくつか不動産を保有してました。別府には仕事の傍らで保養も兼ねて訪れることがあったそうで、その時に鉄輪(かんなわ)の地獄エリアに着目し、この壮大なエネルギーを何か活用できないかと海地獄一帯を購入したのです。東京でも不動産管理をしていたので、そういった開発には知見があったのでしょう。ちなみに、海地獄がある土地の前保有者は安藤さんという方なのですが、安藤さんが購入した時の価格の数倍の値で曽祖父が交渉した結果、喜んで売って頂けたとのことです。当時は、海地獄のような広大な湯だまりをどう活用して良いか分からず、更には保有しているだけでトラブル(動物や人が落ちて大けがをして訴訟問題になることもあったり)が発生して、早く誰かに譲りたいという気持ちもあったみたいです。そういった意味で我らが曽祖父は、素晴らしく先見の明があったのですね。(ひいおじいちゃん、ありがとう。)

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さて、晴れて海地獄の保有者となった千壽吉彦は、広大な湯だまりと、そこにとめどなく湧出してくる温泉を活用して、別荘地を整えつつ、海地獄から今の鉄輪通り近辺一帯の新別府エリアを開発しようと計画しました。そんな折に運命の分岐点が訪れます。開発の過程で湯だまりの周囲に安全策などを設置して整備したところ、通行人が海地獄の景色を興味深そうに眺めたり、中にはお賽銭をする人も現れたそうです。そのシーンをヒントに、曽祖父達は計画を一部変更して、海地獄そのものを価値ある景観と評価し、遊覧する施設に整備していくことを決めたのです。景勝地としての海地獄の誕生ですね。

景勝海地獄

僕はその話を父から聞いた時に、この稀有な話を海地獄を訪れた人とも共有したい!と心から思いました。そして、この歴史は海地獄にとってきっと大切な価値になると確信しました。

そもそも海地獄は、地獄と形容されるくらい、1000年前はこの世のものとは思えない恐ろしい現象で何の価値も見いだせないものでした。それが先人達の知恵によって、地獄は価値を見出され続けて今も地域の貴重な資源として活かされてる訳です。この解釈の変遷という独特な系譜がなければ、とっくに埋め立てられて、海地獄も存在することは無かったでしょう。まさに地獄という文化は価値ある歴史的背景を継承しながら今に至ってるのだと思います。

「地域の文脈」を的確に捉える

様々な地域の土地や建物には、文化が紡いできた価値ある歴史的背景があると、最近改めて実感しています。ある人はそれを「地域の文脈」と称していて、とても良い言葉だなと思いました。僕達ローカルプレイヤーは、その「地域の文脈」を理解した上で様々な取り組みをしなければいけないし、そこから逸脱すると、ちょっとした違和感が訪れた方にも伝わってしまいます。100年、1000年と続く歴史の延長線上に僕達は立っていて、更に未来へと繋げていくんだという意識を根底に持っておかないといけないですよね。

そしてこの「地域の文脈」を、受け手がどれだけ想像できるか?ということも大切なポイントだと思います。

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例えば、大分県竹田市にある岡城跡、僕は訪れた時にとても素敵だなと感じたのですが、城跡ということでそこにお城が存在する訳ではなく、見た目だけで表現すれば眺望の良い広大な野原といった感じです。岡城は800年程前に建立され、周囲の断崖絶壁や石垣造りの構造において、非常に攻めづらかったそうです。案内してくれた方の説明が上手だったのか、その情景が細かく思い浮かびました。必死に城を守り抜いたんだろうなとか、この辺から矢を撃ったりしたのかなとか。本当に何もない野原であったら味わえない感覚です。けれどこれは、僕が一人でふらっと訪れて、ただこの景色を見ただけでは感じられなかった感覚だったと思います。その歴史的背景をきちんと説明してくれた案内の方の存在は、とても大きい。

さて、ここまで熱量もって綴りましたが、施設運営者として一番大切なのはこの背景を訪れた人に伝えて、想像を膨らませてもらうことです。海地獄も岡城に負けず劣らず施設として100年、地獄として1000年程の歴史があります。その歴史的価値を感じて頂きたいと切に願っています。しかしこれがとっても難しいのです(笑)

 来訪者の皆様に、ただ今を感じるのではなくて、文化と歴史が多層に折り重なった時空の延長線上として、訪れた瞬間の海地獄の景色を噛み締めて頂くのが理想ですが、この手法について考えていることを次の記事で整理したいと思います。長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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