「地獄」を継承するということ
はじめまして、千壽智明(せんじゅ ともあき)と申します。大分県別府市にある明治43年創業の国指定名勝「海地獄」の5代目の代表をしています。別府で育ち、大学進学を機に上京後、大手印刷会社へ就職。6年間働き、2014年にUターンしました。2017年、先代である父が他界したのを契機に5代目の代表へ就任し現在に至ります。(その辺の経緯はまた別の機会でお話させてください。)
「地獄」とは何か
千壽家は、明治43年に曾祖父が開業して以来、代々「地獄」を経営しております。そこで「地獄って何?」というお話になりますよね。地獄とは温泉の熱泉のこと。温泉が身近にある地域に住んでる方は馴染みのある言葉かもしれませんが、別府では、温泉が吹き上げている様や湯煙がもくもくと昇っている様を、はるか昔の人達が地獄のようだと形容して以降、地獄という言葉が地域に定着していきました。
そんな「地獄」を経営しているんです。と言っても、まだ具体的に何をしているのかが不明瞭ですよね…(笑)とてもシンプルに言えば、僕達が所有している「地獄」をお客様にご覧いただき楽しんでもらう、そういった空間の施設を運営しております。別府の観光スポットですね。
さて、このnoteでは、僕が地獄という独特な世界観の中でどのようなことに取り組み、また4代にわたって継承されてきた地獄という資産に対しどう向き合っていくのか、自分なりに整理して綴っていこうと考えています。地域の魅力を多くの皆さんと共有していくという作業に、新たな可能性が生まれることを期待しつつ、なるべく長く続けていきたいと自分に言い聞かせております。
なぜ、noteをはじめたのか
2020年は日本中(世界中ですね)のほとんどの皆様が苦境に立たされたと思います。これほど常識が通用しなくなる社会変革は経験したことがなく、僕らの観光施設も人が移動することが前提となってくるので、打ち手をどうしようか、4~5月はかなり震えました。とはいえ、前を向いて走らなければならず、社内体制を見直したり、オフライン型の施設としてお客様にどう価値提供していくべきか、あれやこれや考えをめぐらしながら僕自身の価値観も変わってきました。
そのような中で、僕らなりの打ち手はいくつか検討し仕込み中のものもあるのですが、何より思ったのは、僕らのような観光施設も、来てくれたお客様とその場限りの消費という関係性ではなく、継続的に関係を築いていく必要があるのではないかということです。関係性が構築できてはじめて、「海地獄に行こう」、そう思ってもらえるような施設になっていけたら嬉しいです。ジャストアイディアの段階から戦略に落とし込む過程を赤裸々に綴り、皆さんと一緒に海地獄を体感してもらいたい。その媒体の1つとして僕のnoteが機能できるように、無い知恵を絞って頑張っていきます。
あとついでに、先祖代々「地獄」を経営してきた一族の元に生まれた話って、ちょっと気になりませんか(笑)
幼少期に地獄の中で鬼に抱かれることを経験する人は少ないでしょう。そういった話も、皆さんと共有していければと思っています。
作り手の魅力もパッケージの1つ
スーパーに行くと野菜や卵の産地の声が紹介されていたり、伝統工芸品にはその職人の想いが併せて展示されていたり、モノの作り手の物語というのは商品の魅力を向上させるのにとても大切な要素となっていますよね。それはモノづくりに限定される話ではなく、全てのジャンルに通用するものだと感じています。
経営者は、消費者のニーズを分析しつつも、直接対峙するのは金融機関であったり、株主であったり、取引企業であったり、目線のバランスがモノの作り手(=職人)とは少し異ってくるかもしれません。ただ、現代の仕組みを考慮したら、経営者がお客様と直接セッションしながら自社のサービスを洗練させていくという作業は可能だし、とっていくべき方法だと思います。もっといえば、経営者の思想がより生々しく開示されるべきだし、それがお客様にとって購入を左右する重要な要素になってくるとも思います。つまり、おこがましくも言えば、僕の魅力が直接お客様に伝わるようになれば、施設の魅力も更に向上することになるのです。まだまだ磨きに磨きぬかないといけませんが...
前職で印刷会社に勤めていた頃、別々のメーカーのコーヒーを同じ紙コップに入れて飲み比べるという実験をしたことがあります。僕の舌が馬鹿なのか、確かに違いが分からず、要はパッケージ(包装)によるイメージの大切さを教えられたのですが、企業の質についても同じことが言えると思います。企業を装飾するパッケージの大きな要素は経営者となる訳ですから、海地獄の魅力を向上させるパッケージとして僕が機能していかなければいけません。需要があるか分かりませんが、いつか僕が直接、ウザい程の熱量で地獄をガイドする企画を行いたいものです。
最後に簡単な自己紹介
改めて簡単な自己紹介をすると、僕は3人男兄弟の末っ子で、妻と息子が1人います。長男は東京でアパレルデザイナー兼ショップのオーナーをしており(お近くにお越しの際はぜひのぞいてみてください)、
次男は沖縄で料理人をしております。
結果、特に秀でた技能がなく、平凡に社会の階段をのぼっていた自分が、事業承継の候補として白羽の矢がたち、現在に至りました。
長男とは15歳、次男とは13歳差、年齢の離れた末っ子で、父が52歳の時に産まれた子どもでした。なので、少し家族観に特殊な部分があるかもしれませんが、間違いなく言えるのはしっかりと甘やかされました(笑)。少し心残りなのは、高齢の父であったので、僕が別府に戻ってきて経営者として向き合えた期間は3年程と短かったことですね。
一般的には、末っ子って家族というものに無責任になる傾向があると思います。(責任感のある末っ子の方すみません)僕自身も千壽家とか家業とかいったことに対する未来への責任感みたいなものは、他人事に捉えてたように記憶しています。とりあえず、僕の人生頑張ろう、みたいな気持ちで大学から上京しました。父が他界して、事業承継をして、息子もできて、コロナで当たり前が当たり前ではなくなった社会がきて、やっと最近、ご先祖様が培ってきた歴史を未来へ繋いでいくことへの責任感がかなり芽生えてきました。(遅いですね)
なので何より、父が本気で愛し僕達にバトンを渡してくれた「地獄」という資産に、僕も本気で向き合っていこうと思います。繰り返しになりますが、地域の魅力を多くの皆様と共有し、そしてファンになって頂く、そんな未来に期待して、根が甘えっ子のずぼらな人間ですがしっかりと頑張っていきます。