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【読書レビュー】政官攻防史 金子仁洋

渡瀬裕哉氏が参政党のスクールの中で推薦されていました。私は、高校、大学と理系で、そのまま会社員となり、歴史自体に疎いのですが、本書で語られる日本政治の歴史ドラマについては、背景知識が無しでも十分に読み応えがありました。

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明治から始まった官僚と政治家のまさに攻防が、戦後55年体制に至るまでドラマティックに語られており、歴史ドラマを観たような読了感でした。

帝国議会が始まるに伴い、薩摩、長州出身の藩閥官僚が「超然主義」という、政党、議会の意見を顧みず、独断での政治を主導します。それに対抗する形で、板垣退助の自由民権運動を皮切りに、官僚と政治家が国政における主導権を争う攻防の歴史が始まるのですが、私は今回「超然主義」という言葉を初めて知りました。また、民撰議院設立建白書とは、(元々どのようなものか知りませんでしたが)、その「超然主義」に対抗すること、それを国民に促すことを主旨として起こされたものでした。

*同書の口語訳を渡瀬裕哉氏が、下記サイトに掲載して下さっています。

結局、現代に至るまでこの「超然主義」に準じるものは、官僚の中に残っており、「レジ袋の有料化」のような効果を問わない、国民を教育するという意図で作られたような超然主義法令も多くあるようです。今の官僚も、学生の頃から超然主義に憧れた方は少ないと思いますし(そう思いたい)、所属した組織で働き続けることによって、その文化に染まることはやむを得ない。おかしいと思っても、色んな理由でそこから離れられない、その文化、それを生み出す組織を変えられないという現実もあるのだと思います。

私は、著書を読み進めていく中で、超然主義に対抗できる「自然主義」について考えました。

自然主義(本日の造語)とは、簡単に説明すると「自然の摂理に逆らわないことを前提に、自然の流れに乗っていく、気持ちの良い効率性の高い考え方」となります。「超然主義に捕らわれた官僚組織」に対しては、権力を得て、それを振りかざしてしまうのは、生物として当たり前の本能(自然の摂理)によるものとして捉えます。その自然の流れに対して、逆らうのではなく、受け入れて、また別の方向に自然の流れを踏まえて変えて行くことが、ここで言う「自然主義」です。

こちらも渡瀬裕哉氏のお話ですが、米国トランプ大統領は各省の規制改革にあたり、「2対1ルール」というものを作ったそうです。1つ新しい規制を作るには、2つ既存規制を撤廃するという決まりに従い、現在米国では不要な規制の削減が進んでおり、実際経済効果も生まれているそうです。(各規制で発生する経済損失は大きく、米国では家賃の次に重い家計負担と扱われているとのこと。)現実を受け入れ、規制廃止のために官僚と真っ向から対抗するのではなく、官僚が仕事をしながらも(抵抗しない)規制は減らす方向に流れを変えていくトランプ大統領のまさに「自然主義」の試みだと思いました。

「自然主義」は、事象を自然の中でのあり得ることと受け入れて、それを否定するのではなく、別の流れに仕向ける動きであると言えます。走る電車の勢いは止めず、新たな方向にレールを組んでおいて、そちらのレールに進行方向を変えるようなイメージです。90度進行方向は変えられなくても、徐々に方向を変えながら、最終的には目的地に辿り着きます。政治に限った話では無く、社会人としても仕事や家庭での在り方においても、超然主義ではなく、自然主義で在りたいと思います。自然の摂理として事象を受け入れること、自然に逆らってエネルギーをロスするだけにならないこと、徐々に次元の高い方向へ事象を向けていくこと、更に自分も高い次元に一緒になって進むこと。時間はかかるように感じますが、自然に対して効率性が高いことの積み重ねが、最終的には人間、生物としての正解(心身ともに健康で元氣に生きられること)に繋がっている気がします。

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