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そういえば、待機児童のハシリだったのかもしれない

園長ゴリラ、の園長先生と出会う前、わたしは半年ほど、待機児童という身分でした。

その頃、新しい土地で、待機していた時に経験したのは、
なんと、イジメでした。

人生初。
そりゃそうか。まだ5歳でしたわ。

「ねぇ、なんさい?」

それは、家の前で一人で遊んでいたら、相手の家の2階から話しかけられた、というシチュエーションで、
どちらの親もいない状況でやられました。

呼ばれたので、しかたなく行ったら、
きょうだい数名がかりで、
「5歳なのに、園に入ってないなんておかしい」
と、ひどい言いがかりをされ、
あまりのいじわるに、帰ろうとしたら、
片方の靴を隠された挙げ句に、
「こっちの部屋入っちゃだめ」
と、明らかに靴がありそうな場所を封じられました。

泣いて、片方の靴だけを履き、ケンケンして帰りました。
途中、案の定転んで、膝がズルンと剥けました。
痛さよりも、悔しかったし、悲しかった。
そんな気持ちだけが残っています。

いや、気持ちだけじゃないな。
あそこの家の玄関、あの先の封じられた空間。
今でも、鮮明に思い出せます。

待機児童が終わったら、まるで関係を持つこともなく、
あっさりと、イジメは幕引き。
その数カ月後、わたしはまた引っ越していきました。

あれはなんだったんだろう?
どのくらい続いていたのだろう?

隠された片方の靴は、我が家に不法侵入された挙げ句に、
勝手に玄関に置いていかれました。

これ、犯罪じゃね?
あ、未成年だから、ちょっと違うか。

と、今のわたしなら、悪たれつくでしょうが、
当時のわたしは、ただただ傷ついて、終わりました。

幸い、秋になって、やっと入園(転園?)が許されました。

登園開始直後、園でぬりえをはみ出したところを、
「やだー、はみ出してる」
と、クラスの子にディスられ、緊張が走る場面もありました。

が!!!!
「しょうがないでしょ!はいってきたばかりなんだから!!」
と、漢前な発言で守ってくれた子がいたのです。
そして、その子のその貴重な一言のおかげで、
わたしは平和に園生活を再スタートできたのでした。

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(しかし、そんな素敵な漢前女子の○○ちゃんは、
次の年、大型トラックの右折に巻き込まれて、
あっけなく、この世を去ります。

あー、ホント、いろいろ起こるな・・・

でも、わたしは忘れない。
わたしを守ってくれた、あの子の一言を。
あの子が、もうこの世に存在しなくても、
ずっとずっと、感謝していくんだ。)

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