11/3 アメリカ大統領選当日 最終面接前

まさかあの編集長面接の次の日に、社長面接の連絡が来るとは予想だにしてなかったので素直にびっくりした。

今から数時間後に面接が始まり、30分程度と知らされている。

前の編集長面接時に、

”今募集しているソーシャルメディアコーディネーターは特に急ぎで探している訳でもないからゆっくり時間をかけて探したい”

という旨を聞かされ、なら当分は連絡が来ないだろうなと思っていた反面これである。

なので、もしかすると全員に社長面接の機会が与えられていてもおかしくないのではないだろうか。私以外の応募者が35人ほどだったので不可能ではない。

もちろん他にも進行して受けている会社はたくさんあるのでここが第一志望かは自分でもわからない。それでもたとえ全員にそのチャンスを与えられているとしても、30分でも私が志望している会社の社長が割いてくれるのなら、その会社で私が一人の人間として貢献できることを伝えたい。

私が志望している会社はメディアの会社だが、この情報社会の世の中、誰しもが情報の発信源になりうる環境でメディアの必要性を再確認できるような話がたまたま今日学校の授業のディベートで行われた。議題はアメリカ大統領選挙にちなんで、

アメリカの国民が再び一つになって団結するにはどのようなニュースが必要なのか

というものだった。

私のチームは ニュートラル性 を答えとして発表したが他のチームもほぼ同じ回答だった。このニュートラル性と一言にしてもこれほどメディアにとって難しいものはないだろう。

まず、ニュースは人間の手で人間の思考を通じて書かれているものである。よって、意識してなかろうが潜在意識にある筆者の意見や価値観などが自然と記事に反映されてしまう。

次の理由は、メディアは営利組織だということ。利益を生むのが第一の目的なので人が食いつくような記事を世の中に提供しなければならない。閲覧数や購読数を意識し、広告で利益を作らないと筆者自体の生活が危ぶまれてしまう。そこで情報量がここまで飽和している中より面白い突飛な記事を書かないと競合には勝てないのだ。読者は必ずしも情報を得るためにメディア購読をしているとは限らず、むしろ自分の思想や価値観が正しいことを再確認するためだと言われている。よって、バイアスのかかっていない記事は読者の意見に寄り添わないので読まれたり好かれたりすることが少ない。その風潮がアメリカ国民の分断をより促している傾向にある。

授業が終わった後教授に質問して見た。

ニュートラルニュースネットワークを営利組織として立ち上げることは可能なんですか?

教授は、「私にもわからないがそれがこの情報飽和社会に必要だということはわかる。情報が錯綜しすぎて混乱を生む中 ”絶対中立” のメディアの価値は高くなる。」と答えてくれ、私がやりたいことを端的に話すと関心を示してくれた。

ニュースの価値ではなく、”メディア”としての価値。世論や賄賂に惑わされずにただ淡々と真実を述べていくプラットフォーム。

少しやりたいことの片鱗が見えた気がする。

そして今日の30分はそこの話をしようと思う。




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