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わたしのまま、あなたのまま生きていくために。白黒つけない特性の受け入れ方。

このインタビュー連載では、自分の特性を言語化していく「ジブン研究」の運営メンバー3人に、ジブン研究を始めた・関わったきっかけや、どんな想いで運営しているのかを聞いていきます。第3回は、運営の宮本夏希(みやもと・なつき)さん(なっちゃん)にインタビューしていきます。

ーどうして「ジブン研究」に運営として関わりたいと思ったんですか?

わたしは、まず参加者として参加して、そこから運営としても関わるようになりました。

運営をしようと思ったきっかけは、「みんなが自分の心を自分で大事にしてそれに沿って生きられたらいいな」と思っていたことです。

わたし自身も、「他人から見て価値があるか」や「世の中的に正しいか」といった基準に囚われてしまって、自分の心にしたがえない時期が長くありました。

ジブン研究やその他いろんな人やプログラムと出会ったおかげでだんだんと自由になることができたので、わたしもそういう、人が自由に生きるきっかけのようなものを届ける側になりたいと思っていました。

自由になるために「スキルを付ける」とか「人のためになにかをできるようにする」プログラムもあって、もちろんそういうプログラムも必要だとは思うんですど、わたしは「どうならなきゃいけない」とか「なにかをできるようにしようとする」のではなく、純粋に一人一人が自分の感じ方や価値観を見つめることが大事な気がしていて。

そこで、それを大事にしている「ジブン研究」に関わりたいなと思いました。

ーそもそも「ジブン研究」に参加者として関わったきっかけはなんだったのですか?

参加者として関わった一番のきっかけは「SOKOAGE CAMP」という合宿型の対話プログラムに参加したことでした。このプログラムは、他者との対話をとおして自分を深く見つめ直したり、ありたい自分に近づく術を探ったりしていくものでした。

それまでも人と話すのが苦手というわけではなく、周りの人になにかをすごく隠してたというわけでもなかったんですど、そのときに初めて、深く、これまでのつらかったことやモヤモヤしたこと、「本当はこうしたい」という話を他の参加者や運営の人とすることができました。

内省はもともとする方だったんですど、ひとりで内省するよりもたくさんの「本当は思っていたこと」に気づけました。自分で気づけるよりたくさんのことに気づかせてもらえるのもよかったし、自分だけしか知らなかったことを一緒に知ってくれる仲間がいることが心強く、安心する感覚がありました。これが「ジブン研究」に興味を持った原体験にもなっていて。

もちろん、自分のことを知ってもらうだけではなくて、こちらも他の参加者から話を聴くんですけど、人の弱い部分をたくさん聞いたのに全然嫌いにならなかったんですよね。みんなそれぞれ弱い部分とか悩んでいることはあるんだけれど、「自分は自分だしその人はその人なんだなぁ」と感じて。

理屈としてはわかっていたんですけど、その人が感じていること、強い面だけじゃなくて弱い面も知ると、自分のことも相手のことも、その人自身としてありのまま尊重できるなぁという感覚がありました。その感覚自体、ひとりひとりの心を大切にできているということだと思って、そういう関係性や対話というものに興味を持って、それをしている「ジブン研究」にも興味を持ちました。

ー他人を「愛おしいと思える」みたいな感覚ですかね?

キャンプ中も、参加者は初めて会った他人同士だから、「自分とは違うな」みたいな価値観にももちろん出逢いました。その人のことをよく知らなかったら、そこだけ見て「なんか嫌だな」とか「この人とは合わないな」っていうジャッジや嫌悪感に変わったかもしれません。

でも、対話を通じて「どうしてそうなのか」ということまで徹底的にわかることができたし、逆にわからなくても「その背景になにかあるんだろうな」と思うことができたので、その人をひとりの人間として、厚みを持って見ることができました。その人の特性の一部は自分と合わなかったとしても、存在としては認められる、愛せる、という感覚でしたね。

ー「SOKOAGE CAMP」で得た、「他者を尊重できる感覚」は、ジブン研究をしているうえでも大事にしていることなんですか?

そもそもプログラムとしてすごく違って、「SOKOAGE CAMP」の方は数日間寝泊りして過ごす一方で、「ジブン研究」はオンラインで月1なんですよね。

でも、共通してるのは「その悩みや弱さ自体がその人だし、結局は弱さもその人が大事にしたいことと繋がっていたり、そのひとの魅力や強みにつながっていることが多い」と認識していることで。

そういう「悩みや弱さのもとになるもの自体が、その人の大切にしたいものなんだ」と認識する姿勢は、「SOKOAGE CAMP」でも大切にしていることだと思うし、「ジブン研究」に運営で関わるときに大切にしていることでもあると思います。

ー「弱さはその人が大切にしたいことだから、変わることがすべてじゃない」というのは、前のふたり(ゆかさん・ももさん)のインタビューでも、意図せずまったく同じことを言ってました(笑)だから3人が「ジブン研究」をやるうえで共通して持っている価値観なんだなと思いました。


ーなっちゃん自身は、自分の特性で悩むことはありますか?また、それにどんな風に向き合っていますか?

わたしは、人の評価を過剰に気にしてしまうという特性があります。「常に正しくあろう」とか「間違えないようにしなきゃ」という意識が強くあって、その分人からマイナスの評価をされたりされたんじゃないかと思えることが起きると、反射的に傷ついてしまうというか、刺さりすぎてしまうんです。

そうなると傷ついた自分にベクトルが向く状態になって、まっすぐ相手と向き合えなくなると思うんですよね。なので、その特性が出ているなと気づいたときには、「相手はどんな意図でそれを言っているか」をちゃんと想像することと、自分を守るためではなく「双方にとっていいコミュニケーションてなんだろう?」と考え直すことを意識しています。

この特性自体は今もあるのですが、以前はしていた、その特性自体に良い悪いの白黒をつけることをしなくなりました。褒められたことでもないけど、悪いことでもないって思えるようになったんです。

常に「ちゃんとしてよう」「相手に悪く思われないようにしよう」と思っているからこそ、「小さいミスはあんまりしない」とか「人の気分を害することは多くはしない」みたいな、この特性があるから避けられてきたことや生み出せてきたいいこともある。

自分のできてることって自分にとって当たり前になっているから気づかないんですよね。

わたしは自分の特性を「人にどう思われるか気にしちゃう」って認識しているけれど、「人のことを気にすることができなくて、言い過ぎてしまう」という悩みがある人もいると思うし、わたしのその特性を話して「わたしはそこまで考えられないからすごいと思う」といったフィードバックをもらったりすることもあって。

他人がどう思うかを考えられるのは強みでもあるんだなという風に思えるようになって、100%良いことでも100%悪いことでもない、という風にバランスをとってきたというか、長所と短所の両面あるという風に見れるようになってきた気がします。

ー特にどういうときに人の評価を過剰に気にしてしまうのですか?

特に目上の人になにかフィードバックやアドバイスをもらったときに、指摘を過剰に解釈して受け取ってしまいます。小さな指摘をひとつされただけでも、そんなこともできなかった自分はなんて甘い考え方なんだろう、とか、失礼なやつだと思われたんじゃないかなどと思って、すごくショックを受けてしまうんです。ジャッジをされているのではないかと敏感になってしまったり、言われたことを気にしすぎて落ち込んでしまったりするんですよね。

しかも、傷つくだけではなくて、自分が傷ついていることに落ち込んじゃうという特性があって。

相手は悪気がないどころか、成長の糧にすべきことを言ってくれているんだから落ち込んじゃだめだと思っているからこそ、何気ないことで傷ついたときに、そう反応してしまった自分にさらに落ち込む、という二次被害の方が大きくて(笑)

その二次被害は徐々にやめることができてきたなと思います。指摘にショックを受けすぎてしまうという一1次被害は変わらないんですけど、「わたし、こういうとき落ち込んじゃいがちだよなぁ」「真面目さや向上心の裏返しでもあるしなあ」って、

傷ついちゃうこと自体を認められるようになった。「なんで落ち込んじゃうんだろう、そんな自分はダメだ」っていうループから抜けられるようになったんですよね。

自分の気持ちを受け止めるのが早くなるほど、目の前の相手とのコミュニケーションの方に目を向けられるようになって、自分を責めなくていいという意味でもいいし、相手との関係性においてもいいことだなって思います。

ー自分の特性とうまく付き合えるようになってなにか変わったことはありますか?

自分のネガティブな気持ちを否定せず受け入れられるようになったことで、人に対しても「この人は本当はこうしたかったのかな?」と想像できるようになりました。

例えば、相手が自分に対して怒っているように見えたときに、以前だったら「自分が相手に嫌なことをしてしまったから怒られているんだ」「自分が間違っているんだ」と思ってしまったり、逆にムカついてしまったりしていたと思うんですけど、

怒りって、人を攻撃したい気持ちというよりは、満たされなかったなにかがあるという証なんだと思うんです。

怒りをぶつけられても、なにか満たされなかった痛みがあったんだろうなと思えたり、相手の奥にあるニーズに気づけたりすると、相手が悪いとジャッジすることもなくなるし、自分のせいだと責めることも必要なくなる。

相手の気持ちも受け止めたうえで、自分が「怒りをぶつけられて傷ついた」ということもそれはそれで認めてあげる。そこは両立できるんだって思えるようになりました。

ー人に対する見方が変わったのは、自分に対する見方が変わったからってことですかね?

自分が変わったからっていうのもあるけれど、「SOKOAGE CAMP」やジブン研究での対話をとおして「自分がなにかを深く考えたり思ったりしているのと同じように、他の人もそう」という前提ができたことも大きいですね。深く対話したことのある人たちの深みを知ったから、「他のみんなにもそれがあるんだろうな」と思えるようになったというか。

他者理解を一度でもしたことがあれば、どんな人にもその人独自の背景があるってことは想像できるので。まぁ実際に目の前の相手を理解するには、その人のことを聴いたり知ったりしていくしか手立てはないんですけど。

人のことって基本的には言動など外側から見えるものだけで判断してしまいがちだと思うんです。

でもそれが、その人の全部はわからないけれど、「なんかいろいろある存在」として見れるようになったんですよね。表面上の言ってることややっていることの奥に、ものすごくいろんなものがあるってことを前提としてわかったから、

「相手にもニーズがある」「なにかが満たされなかったんだな」と他者に想いを馳せられるようになったんだと思います。

「自分に優しく」って時に甘えと捉えられてしまうこともありますが、自分を見る目と他人を見る目は実は同じなんだと思います。自分も周りの人も、ときにはネガティブな感情をもったりうまくコミュニケーションがとれなかったりするけれど、それぞれにいろんな理由や背景があることを忘れずにそれぞれの感じ方や考え方を受け止めることができるようになってきたことで、毎日が生きやすくなってきているなと実感しています。


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