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支える人に寄り添うとは?支援者への支援を行う鈴木和さんが信じる、「言葉」と「つながり」の力

みなさんこんにちは。ジブン研究編集部です。

日々の中で、「人を支えるって難しい」と感じることがあります。
力になりたいけれど、どう関わればいいのかわからなかったり、相手にうまく伝わらなかったり。

「誰かを支える・支えられる」ということがとても身近で必要だからこそ、ときに戸惑い、悩むことがあります。

そして、「支える」ことを仕事として行う「支援者」にも、その立場ならではの苦しみや悩みがあります。

今回話し手を務めていただいた鈴木和(すずき わたる)さんは、精神保健福祉士として「さまざまな生きづらさ」を抱えた人と関わりつつ、現在は「支援者への支援」も行っています。
多様な角度から「人を支える」ことに関わり続けてきた和さんの支援の形、その奥にある、「人とのつながりの中で生きること」への想いをお聞きしました。

日常生活の中で感じる違和感や疑問についてオープンに語り合える場を、当事者との対談形式で実施するオンラインイベント「Original Life Talk」。

第6回「支援者への支援ー『支える人』に寄り添うとは?ー」

どうぞ、お付き合いください。

「支援者への支援」こんなことをしています

はじめまして。鈴木和(すずき わたる)といいます。
私は北海道医療大学で、「べてるの家」の理事である向谷地生良(むかいやち いくよし)先生のもと、精神障害を抱える方たちへの支援として、「当事者研究」や「SST:社会生活技能訓練」などを学びました。卒業後は精神保健福祉士として精神科の医療機関で働き、その後、専門学校で教員をしました。
現在は母校である北海道医療大学で教員として勤務するかたわら、生活上の様々な悩みを抱える人のサポートをしたり、対人援助職に就いている方への支援として、支援者が語れる場をつくったりしています。

支援者が語れる場をつくろうと思ったきっかけは、精神科医療の現場で働いていたころ、支援をする側の人たちが疲弊していく姿を見たことでした。生きている時間のすべてが仕事ではないはずですが、対人援助を仕事にすると、仕事が終わってからも相手のことを考えてしまい、自分自身へのケアがおろそかになってしまう人も多いような気がします。
ですが、私は「支援者自身も自分の人生の主人公」なのだから、その人自身にも楽しくあってほしい。支援者本人が心身ともに健康であってこそ、その人らしい支援ができるのではないか、そのためには、支援者こそ悩みや苦労を語るべきだと思い、支援者への支援を始めました。

「人を支援する」という職業の性質上、支援者の中には聴き手に回ることに慣れてしまい、実は「自分のことを語ること」が苦手な人も多くいると思っています。そのためあえて、支援者が集い、語ることを目的とした場をつくって話をしています。
そこで実際に語られる内容は、支援者として仕事場で出た悩みだけではありません。結局、私生活、一個人としての悩みが仕事での悩みにつながっていることが多いので、私生活も含めての支援者支援だと思っています。語る内容はなんでもよく、人生まるごと含めて支援して、結果的に人と関わる仕事の面白さや醍醐味を感じながら支援者として働き続けていくことができたり、パフォーマンスの向上につながったりすれば嬉しいなという想いでやっています。

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場をつくる以外にも、メールやLINE、zoomなどでつながりをもって、その人の生活リズムに合わせた個別サポートもしています。

支援者が苦労や悩みにのまれてしまうかどうかの分かれ目は、「人とのつながりがあるかどうか」、それに尽きると感じています。これは支援者に限らずですが、信頼し合える関係をなかなか見つけられない人、関係性を保ち続けることが難しい人は、しんどさを溜め込んでしまいがちです。場づくりでも、個別サポートでも、そういう人に対して私が最初の仲間としてつながり、そこから少しずつ外に向けて関係性を築く橋渡しをしています。

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言葉との出会いが思考を広げるきっかけになる

私が支援者への支援をするうえで一番に提供できることは、様々な言葉をなげかけることによって思考を広げるきっかけをつくること、だと思っています。

言葉はその人が経験してきた世界に基づいているように感じていて、言い換えれば、「言葉はその人を表す」と思っています。そのため、悩みや苦労によって言葉が限定されてしまうと、その人らしさが見えにくくなると思うのです。
そこで私は、物事の見方や考え方を変えるスイッチになるため、その人がもっていない言葉に出会う瞬間をつくることを意識しています。他の人とは違う言葉をなげかけることで、思考が変わるきっかけを生み出したい。そのために日頃から、さまざまな表現や見方に触れることを意識しています。

具体的な関わり合いとしては、私の頭の中にストックされている言葉の中からその人に合った表現方法を選び、会話の中にちりばめていきます。その中から相手が自然と「自分に合うな」「なんだかしっくりくるな」と感じた表現を取り入れてくれることで、結果的に思考が広がっていくと思っています。
悩みや苦労は本人の大切なものなので、最終的にその苦労や悩みとどう向き合うかは本人に委ねるようにしています。私が相手を変えるのではなく、本人が自分で決めていくきっかけをつくりたいと思っています。

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支える人に寄り添うとは?

◇全力で肯定する・信じる
「鈴木を仲間として選ぶかどうかはあなたが決めることだけど、選んでくれたら全力で応援する。肯定する。」ということを、発信し続けることが大切だと思っています。

私がイメージする「全力で肯定する」とは、「今のあなたはそう思っている」という事実を、「それも1つ」と認めようとする姿勢でいることです。
その悩みや苦労に対して本人がなんとかしたいと思っているときは、どうしていくかを一緒に考えます。けれど本人がそのままでいいと思っているなら、「じゃあ、そのままで」とはっきり言える存在でありたい。「周りがなんと言おうと、鈴木はそのままを認めてくれる。応援してくれる。」そういう安心感を伝えたいです。


言葉にするのは簡単ですが、実際に相手の意思を「それも1つ」と認め、「全力で肯定する」ためには、その人を信じる気持ちがないと難しいなと思いますし、私自身も揺らぐことがあります。

「信じると信用するは違う」

これは、向谷地先生の『技法以前』という本に出てくる言葉で、私はこの言葉がすごく好きです。信用するというのは、信用に値する何かがあってできるもの。信じるというのは、信用できるものは何もないけど、とにかく信じる。そういう姿勢のことなんだと、自分なりに解釈しています。

私たちは誰かを支援しようとするとき、特に仕事として支援するときには、一方的にその人を信じるということも時として必要なのです。
その意味では、期待もしないという考え方もあると思います。期待をもってしまうと、信じたのにどうして?という気持ちになってしまいます。あくまで、私たちの支援や振る舞いに対してどう受け止め、どう反応するかは、相手次第。それでも私はできることを一生懸命するということなのかなと思います。

◇思考の軸を社会から自分に戻してみる
これまで聴いてきた悩みや苦労を振り返ると、人が悩みや苦労を抱えているときは、思考の軸が自分ではなく社会になってしまっていることも多いので、軸を自分に戻すお手伝いをすることもあります。

例えば、みんなはできるのに自分にはできないことがある、という悩みがあったとして。
軸が社会にあると、当たり前のように、「できないことはできるようにならなければならない」と思ってしまうことが多いです。そういう時は、「そんな”できない”を抱えるあなたはどうしたいのか」ということから話して、軸を自分に戻していきます。

気持ちとしてはとことん「その人の想い」を大切にしたいと思っていても、私たちは社会の中で生きていて、多くの時間は社会に軸を置いています。私自身も、完全に自分軸で生きることはできていません。自分としては良いと思っていることが、世間とはずれていることもあります。そういう「価値観のはざま」で生きてきたことが今の自分をつくっていると思いますが、今でも自分軸と社会軸をいったりきたりして悩み続けています。

ですので、自分軸で生きろ!とは言えません。

それでも、社会に軸を置いている時間が多いからこそ、私との時間ぐらいは自分を軸にしてほしい

「いつもと違う自分軸で生きるとおもしろい、ほっとする、生きやすい。」
「こんな瞬間もあるから、社会で生きるときもちょっとがんばれる」

そんな感覚が、社会の中で”ちょっとしんどい”を生き抜くためのエネルギーになることを願っています。

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軸を社会から自分に戻したり、「あなたの人生はそれでいい」と全力で肯定したりする、私とのほんのわずかな時間にどんな意味や価値をつけていくか。そこに私自身とてもエネルギーを注いでいて、日頃から言葉や表現にはアンテナを張っているつもりです。


僕がいて、あなたがいることで

「支援する」と聞くと”与える側”であるという印象を持たれるかもしれませんが、人を支援するという仕事はそういう、”与える側”と”与えられる側”というような関係性で成り立つものではないと私は感じています。

今の私の価値観や言動は、支援という仕事を通してたくさんの人と出会い、積み重ねてきた経験からうまれたものです。
精神科医療の現場で出会ってきた人たちのおかげで、1つ1つの言葉や振る舞いが相手にどう見えるか、コミュニケーションをいかに円滑にするか、そういうことを意識する力がつきましたし、専門学校で出会った福祉とは違う領域を学ぶ学生たちに、今まで全く知らなかった言葉や感覚、文化を教えてもらったおかげで、私自身が知っている社会はほんの一部なのだと気づくことができました。


支援者への支援も、「大事だと思っているからする」というのももちろんありますが、私がやりたいことだからやっている、というのも本当のことです。「支援を必要とする人」「相談してくれる人」がいるから、私もいろいろなことを学べる時間をもらえている。その時点でwinwinな関係というか、協働関係だと思うのです。

私はよく、「お互いに人生を削りながら、時間を共有する」という表現をつかいます。
学生時代、「人は日々死に向かって生きている。」というような言葉を聞いたことがあり、いつの頃からか、お互いに限られた人生の時間を削り合って共有しているのだと意識するようになりました。今では、「鈴木との時間なら、人生を削ってもいい」と思ってもらえるような関係性を築いていきたいと思っています。私と過ごす時間にその人が求める価値があるから、私を選んでくれる。そのために、自分にできることはなんだろうといつも探している気がします。

そして、人との関わり合いを大切にするうえでもう1つ、好きな言葉があります。

「人生から自分たちはなにを求められているのか」

これは『夜と霧』の著者である、フランクルという精神科医の言葉です。
「なんでこんな人生なんだ」という捉え方ではなく、「自分たちは人生からなにを求められているのか」という人生に対する視点の転換を教えてくれる言葉です。
人との出会い、そこには2つの人生があり、タイミングが重なり合ってはじめて出会うことができる。そういったタイミングを授かったことがありがたいと感じるし、きっとなにか意味があると思うのです。だからこそ、その関係や時間を大切にしたいと思っています。

出会ってくれてうれしい。やりたいことができてありがたい。

ありがたいと思うだけでなく、それを少しでも周りに広げていくことが今の僕の人生の役割なんじゃないかと想いながら、人と関わり合う日々を過ごしています。

おわりに

「支援者」といえば、人を支援する仕事をして給料を得ている人をイメージすると思いますが、家族だって互いに支援しているし、みんな自分自身のことを支援しながら生きている。支援している人という意味では、社会に生きるすべての人が「支援者」で、意図していなくても、社会は支援関係で成り立っていると思っています。
日常の中で、周りにいる人への感謝の気持ちにふと気づいて、人とのつながりを大切にしていけば、ほんのわずかでも生きやすくなるんじゃないかと思います。それが絶対ではないし、しなきゃいけないわけでもないですが。それでも私自身は、人とつながることが楽しいと思えるし、人とのつながりに救われてきたから、ちょっとでもそういうふうに思える人を増やしたい。

人と関わり合うなかではもちろん傷つくこと悩むこともありますが、曖昧で答えが出ない過程を楽しみながら、支援者への支援の模索を続けていきます。

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最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

「誰かを支える」ということはきっと、相手とのつながりを心から大切に思えた瞬間に始まる。

今回のインタビューを通して、私自身そう気づくことができました。

支える・支えられるということに対して感じる難しさはなくならなくても、人とのつながりは、それをはるかに超える豊かさを人生にもたらしてくれる。そう信じるためのエネルギーを、和さんから受け取った気がします。

和さんと、この記事に出会ってくださったみなさんに、心から感謝しています。


和さんのお話をもっと聴きたい方は、ぜひイベントにご参加ください!当日は、和さんへの質問タイムや、参加者同士の対話の時間もご用意しております。
支援職に就いている方、支援職に興味のある方、「支える」ことについて考えてみたい方、是非一緒にお話ししましょう。
みなさまにお会いできることを楽しみにしております。

イベント参加は、
以下のイベントページ内の応募フォームよりお願いいたします!

https://www.facebook.com/events/389553195408333

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話し手
鈴木和
https://youtu.be/mcO0gSoGz_Y
↑支援者の当事者研究【フクシのみらいデザイン研究所】

聴き手・編集
宮本夏希




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