樺太~ロシア。残留日本人の過酷な運命を辿ってみた…


日系ロシア人

日系ロシア人(にっけいロシアじん、ロシア語: Российские японцы)とは日本人の血を引いたロシアの市民である。

「最初にロシアへ移住した日本人は1696年に日本のカムチャツカ半島へ漂着し、後にロシアへの帰化と正教会への改宗を行った漂流民の伝兵衛



1,中川義照さん  (96歳没)
(以前TVで放送していたのを見たことあり)

山形県→北海道→サハリン→シベリアで強制労働→各地を転々
→カルムキヤ共和国のユージヌイ村(1972年~2017年)

「過去に3回日本へ帰国し、北海道に住む姉妹や家族と会った」

2015年5月08日の記事

カルムイクは一番西の仏教国。こんな ↓ 所


2,平沼ニコライさん(1944年生まれ)ろう者(78歳)
  ↓ 2019年10月26日の記事から

「敗戦後、サハリンに約四十万人いた日本人の多くは段階的に引き揚げた。終戦までの三十五年間、朝鮮半島は日本の統治下で、サハリンには各地から連行された朝鮮半島出身者が四万人ほど住んでいた。日本風の姓を名乗った人も多い。だが終戦後、日本国籍が外され、三万人余りは取り残された。」



3,降籏英捷さん(現78歳)
長野→サハリン→レニングラード(現サンクトペテルブルク)で工業大学
→71年~ウクライナ西部ジトーミル→北海道

非難民として来日後、
無事、日本人に…
『旧ソ連とウクライナに続き「人生で三つ目の国籍取得となった」』

「市役所で住民票を日本国籍に書き換えた。
支援者に感謝した上で「今まで習った日本語を復習し、
兄弟に会ったり希望者にロシア語を教えたりしたい」と話した。」               ((↑ 勝手に太字に))



日本で幸せに暮らしてほしいと思う。



・・・が、避難したお陰で日本人に戻り、
支援者にも守られ、
日本でちゃんと生活も出来る。
”戦争”がなければ日本に戻ったかは分からない。
もしかしてロシアのお陰ともいえるのかも…
運命とは不思議な物である。




西部の方は、現在戦地とは言えない…。
ロシアからの砲撃目標は、ウクライナ軍の施設や生物兵器施設である。


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