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よりよく生きる知恵の源流-エピクテトスの二分法-


記事を開いていただき
ありがとうございます!

いつもnoteでは心理学、特に認知行動療法を
より多くの人へ知っていただくための
記事を書いております。

今回は、私のもう一つの立脚点
哲学の方の内容に
少し触れてみようと思います。

といっても、
「認識論」や「形而上学」といった
学問的なことではなく、

ソクラテスが
「善く生きる」と言ったような
人間の生き方に関わるお話です。

私が愛読している
エピクテトスという哲学者の思想と
その影響についてです。



「ニーバーの祈り」


このような一節を聞いたことは
ありませんか?

神よ

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

これは、ニーバーの祈りと呼ばれる
言葉です。

アメリカで結成された、
アルコール依存症克服のための自助グループ
「アルコホーリクス・アノニマス」が利用したことで
広く知られるようになった言葉です。

元の文はもう少し長い散文で、
アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー
作者であるとされます。

上記の訳で「冷静さ」と訳されている
serenityという言葉から
「平安の祈り」「平静の祈り」とも言われます。

3つの文で、
とても真理をついているように
感じますよね。

繰り返すと

①自分が変えることのできるものを
 変える勇気
②自分が変えることのできないものを
 受け入れる冷静さ
③変えることのできるものとできないものを
 識別する知恵

この3つを
「祈り」として唱えることで
この人生を生きようとする。

とても穏やかに力をもらえるような
言葉だと思います。

変えることのできるものと
変えることのできないものを
区別すること。

それは、人生を生きるうえで
とても重要ですね。


「ゲシュタルトの祈り」


もう一つ
有名な「祈り」を紹介します。

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと(仕方のないこと)。

これは、
ドイツの心理学者フレデリック・S・パールズが
妻のローラと共に創設した「ゲシュタルト療法」で
使われる「祈り」です。

通称、「ゲシュタルトの祈り」と
呼ばれます。

特に人間同士において
あるがままに受け入れるという心構えの
重要性を示したものとされています。

ちなみに最後の
「それもまた素晴らしいこと」は
若干意訳で、英語からの訳だと
「仕方のないこと」になります。

「仕方のないこと」に
諦めや冷たさを感じる人がいるので、
「素晴らしいこと」という訳があるのでしょう。


この「ゲシュタルトの祈り」も
その根底は「ニーバーの祈り」と
共通していると考えます。

つまり、
他者というのは結局
「変えることのできないもの」

「変えることのできるもの」は
自分である
という前提のもとで、
「私」と「あなた」が出会えたことの
素晴らしさを感じましょう。

そのように
読むことができます。


2つの祈りの根底にある哲学


実はこの
「変えることのできるもの」
「変えることができないもの」
という分け方
にはルーツがあります。

それが、
古代ギリシャの哲学者
エピクテトスです。

エピクテトスの想像画(Wikiより)

エピクテトスは、
ストア派と呼ばれる立場の
代表的な哲学者です。

おそらく、ストア派の哲学者の中で
もっとも広く影響を与えた人物。

ローマ皇帝マルクス・アウレリウス
エピクテトスを敬愛しており、
現代でもその思想を愛する人は多くいます。


エピクテトスの有名な一節が
次のものです。

もろもろの存在のうち、あるものは私たちの権内にあるけれども、あるものは私たちの権内にはない。意見や意欲や欲求や忌避、一言でいって、およそ私たちの活動であるものは、私たちの権内にあるけれども、肉体や財産や評判や公職、一言でいって、およそ私たちの活動でないものは、私たちの権内にはない。

中公クラシックス『エピクテトス』より

権内」というのは、
私たちの限の範囲にあるということ。

現代風に言えば、
「コントロール可能」「自分次第」
ということです。

最近よくSNSで見ますよね。
「コントロールできる/できない」という分け方。

その大元は、このエピクテトスの言葉です。
(そう意識している人は少ないかもしれませんが)

現代のストア哲学者は、
これを「コントロールの二分法」と呼びます。


私は、これをよりよく生きるうえでの
黄金律だと思います。
それくらい重要なもの。


例えば、
世間の評判というのは、
コントロールできません。

真面目にやっている人でも、
ほんの一瞬が切り取られて炎上する。

ひどい場合はフェイクの情報で、
世間がこれでもかと非難をする。
(スマイリーキクチさんの件など
 ひどいものでした。)

炎上がさらに強まるのは、
炎上そのものを鎮めようとして
感情的に反論したり、非難をさらに非難すること。

これは、評判自体を
コントロールしようとする行為です。

そうした行為が不幸な結果になるのは
よく見ますよね。

しかし、
評判を下げない行動をとり続ける
それはコントロール可能です。

事実を、誠意をもって伝える
誠実に謝る

そうした自分の行動は
コントロール可能
です。

その結果、炎上がおさまるかは
わかりません。

でも、私たちにできるのは、
結局のところ
自分の行動に注力することだけです。

最初の「ニーバーの祈り」は、
まさにこうした事態への直面を
心の中で備えておくことですよね。


他にも、
このエピクテトスの「二分法」は
いろんなところへ影響を与えています。


アドラー心理学への影響


『嫌われる勇気』のヒットで
日本でとても有名になりましたね。
アドラー心理学。

ウィーンの心理学者アルフレッド・アドラーにより
提唱された「個人心理学」の通称です。

ユングやフロイトと同時代の人物ですが、
日本で普及したのは、タイムラグがあったように思います。
(個人的な感想です)


アドラー心理学のキーワードに
課題の分離」というものがあります。

「課題の分離」とは、
「他人の課題に介入しないこと」、
「自分の課題に他人を介入させないこと」という考え方です。

あらゆる対人関係のトラブルは、
 他者の課題に土足で踏み込むこと
 (あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること)
 によって引き起こされる

という言葉に由来します。

他人の課題とは、
他人が解決すべき、
他人がコントロール可能な課題です。

これは、自分にはコントロール不可能です。

エピクテトスの言葉を思い起こしていただければ、
これも「コントロールの二分法」の一種であると
すぐに気づきますね。


『7つの習慣』への影響


『7つの習慣』は、
スティーブン・R・コヴィー博士の世界的大ヒット著作です。

タイトルを聞いたことない人はいない
というぐらい有名ですね。

この本の中にも、
隠れエピクテトスを発見できます。


7つの習慣のうち
第一の習慣「主体的である」の中で、
「関心の輪」「影響の輪」という考え方を示しています。

HRドクターHPより

「関心の輪」とは、
自分では変えたり影響したりすることの
できない事柄
のこと。

天気や景気、他人の態度や考え方などです。

「影響の輪」とは、
自分で変えたり影響したりすることの
できる事柄
のこと。

自分自身の態度や言動が入ります。

これもまさに、
「コントロールの二分法」ですね。


おわりに


いかがでしたか?

聞いたことがある有名な心理学、著作に
エピクテトスという聞いたこともない
哲学者が隠れている。

影響の広さに少し驚きますよね。

もちろん、ここまであげた人全てが
エピクテトスを読んでいたなんて
証明はできません。

ご自身がしっくりくる考え方を
選択するのが一番でしょう。

しかし、
約2,000年も前にエピクテトスは、
「コントロールの二分法」を
重要なものと考えていたのです。


実は、私が主として取り組んでいる
認知行動療法という心理療法も
源流はエピクテトスをはじめとする
ストア派哲学にあります。

個人的な話ですが、

学びを深めていった結果
私のなかで哲学と心理学が
つながった感動のあった部分でもあります。


エピクテトスの思想については、
弟子が遺した『語録』と『要録』で
読むことができます。

中公クラシックスの
次のものが比較的読みやすいかと思います。
(広告ではありません)


ただ、数年前に出た
こちらの本が漫画つきで
かつ専門家が監修していて一番読みやすいです。


ぜひ、一度手に取ってみてください!

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