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「わたし、ここにいても良いのかな?」という手紙

一度だけ、ややスピリチュアルな自己啓発系の講演会に行ったことがある。

参加費3000円で、1時間半ほど。何かを売りつけられたり、勧誘されたりはしなかったから、悪徳な講演会ではなかった…と思う。

ただちょっとだけ、崇められている講演者の話に涙を流す人が多かったり。

講演者が「みなさんも声に出して」と呼びかけて、聴講者の中で今月が誕生日の人に向けて「生まれてきてくれてありがとう!」と全員で大声で叫んだり。

そんな感じで、ほんのちょっと異様な雰囲気だっただけ、、である。

わたしはというと、強い好奇心半分、怖い気持ち半分で、この1000人近く収容できる杉並公会堂に来ていた。

講演者は、当時わたしが頻繁に読んでいたブログの人で、著書も3冊出している女性。

ブログ自体も「ちょっとあやしい感じがする」と思いつつ、毎日更新されるブログを読んでは「がんばろう」と前を向けていたから、つまりは割と強く影響を受けていた人だったのだ。

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「今は変化の激しい時代です」から始まり、そんな時代を自分らしく生き抜くためにはどうすれば良いか、といった話が続いている。

一番後ろの席に座ったわたしは、話の内容どうこうよりも前方のお客さんが盛大に鼻をすすりながら聞いていること、前方だけアットホームな雰囲気で正直に言えば「内輪感がすごい」ことなどの方が気になっていた。

それもそのはずで、この人は定期的に連続コーチング講座を開講していて、4回で30万円以上もするその講座の参加者同士の絆は強くなる、といったことが頻繁にブログに書かれていたから、きっと卒業生の人達なのだと思う。

講演のあとは、ヒーリング音楽の生演奏。これはふつうに心地良かった。

そして最後は、誘導瞑想。

文字通り、誰かの誘導によって瞑想をするというものだ。

「ここからは誘導瞑想の時間です」と言われたときに、すぐさま「瞑想ってあやしい」と思った。

しかし、結論から言えば、わたしはこの誘導瞑想で自分にとってとても重要な想いを見つけてしまったのだ。(まさかの!)

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誘導瞑想は、まずしっかりと瞑想状態に入ることから始まる。導かれるままに想像上の別世界(このときは天空の草原のようなイメージ)に入っていく流れだった。

会場にいる500名以上の全員が姿勢を正して、目をつむり、瞑想に集中する。

「あやしい」とは思いながらも、せっかく来たからには真剣に取り組んでみようと思った真面目なわたしは、郷に入っては郷に従えという気持ちで、しっかり集中していた。

想像上の世界で、大切な人の顔を思い浮かべたり、自分の心の声を手紙に書いて出してみたり。

しっかりと誘導され瞑想状態に入ったわたしは、天空の草原のような場所でひとり、そよそよと風に吹かれていた。すると、心の中から強く湧き上がってくる気持ちがある。その想いが消えないうちに、手紙にしたためる(もちろん、イメージの中で)。

ちなみに、便箋に書いた言葉は「わたし、ここにいて良いのかな?」だった。

紛らわしいのだけれども、それは「この講演会場にいて良いのか」や「瞑想の中の世界にいて良いのか」といった懐疑的な気持ちではなく、現実世界の日常生活において「自分の居場所を探している」という意味での「ここにいて良いのかな」だった。

「わたしは、どこにいれば良いのか。自分の居場所はどこなのか。今いる場所は、自分がいて良い場所なの?」

その気持ちをまっすぐに書いた手紙は、風にさらわれ、どこかへ飛んでいってしまった(もちろん、これも「飛んでいってしまいました」という誘導による想像である)。

そして最後は、想像上の世界の中で「自分宛に手紙が届く」というシーンで締めくくられた。

そこに書いてある内容は、各々の想像に任せられる。つまりは、自分が欲しい言葉が瞑想の中でメッセージとして届く形だ。

ちなみにわたしは、先程の「ここにいて良いのかな?」という問いかけに対して「ここにいて良いんだよ」という手紙が届くといったシナリオで誘導瞑想を終えた。

目を開けたとき、身体はポカポカしていて、自分についてすごく大事なことをわかったような気持ちになった。「瞑想ってすごいな」と感動した。

しかし、感動しつつも、わたしはしっかりと正気に戻っていた。

その後開催された講演者の握手会に参加することもなく、雰囲気にのまれてここにいる人々の一員になることもなく、「さー、おわったおわった」という冷めた気持ちで、さっさと会場を後にしたのだった。

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それからというもの、わたしはこの人のブログを読むのをやめた。

あの講演会に参加したことで、自分はあちら側に行ってはいけないと感じるようになったからである。スピリチュアルを好む人を否定しているわけではなく、自分には合わないと思った。つまりは「ここにいてはいけない」と思ったということだ。

数ヶ月後。

何気なくYahoo!ニュースを見ていると「高額自己啓発セミナー主催者脱税」の文字が。開いてみると、わたしが参加した講演会の主催者が脱税をしたという記事だった。

このニュースの本当のところは、わたしにはわからない。知りたいとも、その後の同行を追いかけたいとも思わない。興味がない。

でもなんとなく、「自分には合わない」という選択は間違ってなかったな、とは思う。

とはいえ、自分が居場所を探していること、「ここにいて良いの?」と思いながら生きていると気づかせてくれたことには、とても感謝してる。これらは、その後の自分にとって大きなテーマになっているから。

そして、貴重な体験ができたこと、瞑想自体はとても楽しかったこと、自分の知らない世界を見られたこと、あんな状況でも流されることなく現実的な思考でいられた自分の芯の強さを知れたこと、全部含めて「おもしろい体験だったな」と思い出して、このnoteに書いてみたのであった。ちゃんちゃん。

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(あとがき)

物事を斜めにみたり、何かに没入することが苦手だったりする自分は、どうしてもこういう「あやしさ」に抵抗がある。

もちろん否定するわけではないし、人それぞれで良いと思うのだけれども、わたしはこの「あやしさ」を出さないようにしたいなと思っていて。

じぶんジカンの扱う「自分と向き合う」や「自分らしさ」といったテーマは、ふわっとした精神論になりがちなものでもあると思うので、ちゃんと地に足をつけて進めていくことが、結構自分の中で大きいものだったりします…というお話でした。







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