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期待していたい、明日と自分に。

朝8時過ぎ、海岸を歩く。

海からやってくるパリッとした朝の風を、起き抜けの体にたっぷりと取り込む。雲のすきまから太陽がちらりと顔を出して、水面をソーダ色に染めた。

今日みたいに波が少ないおだやかな日は、海水がゆらゆらととその場で力を抜いて漂っているように見える。

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家から海までは徒歩10分。
ここに来る途中、わたしより1時間早く起きて海へ出かけていた夫が、満足顔でわたしの進む方向から歩いてきた。

「これから海に行くの?」
『うん、あなたはのんびり読書できた?』
「できたよ。あ、今日の海はおだやかで良いよ」
『そっか、楽しみ。じゃあ行ってくるね』

そう伝えて、手を振りながら背を向ける。

夫は朝に強くて、最近早朝に起きて海へ行ったり本を読んだりしている。一方のわたしは、めっぽう朝に弱い。本当は「早く起きてシャキッとした1日を過ごせたら」と思っているのだけど、朝のわたしは、いつだってそれをすっかり忘れたフリをする。

でも今日は、いつもより1時間早く起きた。

前日から「明日は1時間早く起きて海へ行く」と決めていた。それだけでちょっとワクワクして、遠足の前日のような気持ちになった。そのワクワクのおかげで、いつもの「朝のわたし」に打ち勝ち、早起きができたのである。

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海まであと3分のところで、潮風が頬をなでる。
海に続く歩道橋をのぼる途中で、海が見える。

今日の海は、風もあまりなく、波もおだやか。
波が良ければサーフボードを抱えた人にいそいそと追い越されるだろうけど、今日は一人もいない。遠くでSUPをしている人が一人、シーカヤックの準備をしている人が一人。それだけの、静かな海。

静けさとおだやかさが溶け込んだ潮風を、めいっぱい吸い込む。ここは、わたしを内側から落ち着かせてくれる場所。何度来ても、飽きることなく、同じように。

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忙しさに追われるのは嫌い。
でも、日々に飽きるのも嫌。

自分がとてもわがままであることに気づいたのは、ほんの最近のことだ。安定を望むわけでも、大きな変化を望むわけでもない。

わたしは、ほんのちょっとだけ、毎日楽しくあってほしいと願う。

でもそれは、とても難しいことなんだと思う。
だからこそ、忙しくしすぎて反省し、安定しすぎて刺激を求める。安定と刺激を両端に乗せたシーソーをぐらぐらさせながら、ぴったりくるバランスを探している。

ただし、そんなわたしにとって幸福なことがひとつある。

それは、まさにここ。海が近くにあること。
海は、安定しすぎたわたしには刺激を、疲れたわたしには癒しでそっと包んでくれる。

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今のわたしは、ちょっと単調な毎日に飽きてしまったところ。「いつも通り」からすこしでも外れたくて、いつもならベッドに沈んでいる時間に、波打ち際を歩く。

バランスの良い流れをつくっては、自分で外して、壊して、また新しいバランスをつくる。ずーっとそれを繰り返す。

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海岸沿いから脇道にそれて、小高い丘を登って海浜公園に入る。木々が生い茂る丘の頂上から海を見おろすと、常に変化し続ける波の模様が、変わらずにそこにあった。

公園を抜けて、いつものパン屋さんへ。
道に溢れだす焼きたてのパンの匂い。オープンの9時ちょうどに到着。ここはベーグルがもちもちで美味しい。オレンジピールとチョコチップのベーグルに、クリームチーズをトッピングしてもらった。

パン屋さんのテラス席でベーグルを食べる。いつもの朝食だって、食べる場所が違うだけで、うきうきするものだ。

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わたしがペロリと平らげたベーグル以外に、紙袋にはパンが3つ入ってる。焼きたてのピザパンがひとつ、これは夫がきっとすぐに食べるだろう。残りの無花果のベーグルとブルーベリーのデニッシュは、明日の朝ごはんにしよう。

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わたしは、わたしの日々に、わくわくしていたい。
「これから何をやるんだろう?」と、わたし自身に期待していたい。

どんな景色を見せてくれるのか、自分がどう変わっていくのか。

だからこうして、もしもちょっと日々に飽きてしまったら、「いつも通り」からすこし外れて、新しい景色を見に行こう。その時の些細な感情の動きを、つぶさに見つめてみよう。

家までの帰り道。
「焼きたてのパンを渡すときの、夫の反応が楽しみだなあ」と思ったら、自然と足取りも軽くなった。


おわり
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「じぶんジカン」は、自分と向き合う時間をつくるノート達を販売しています。

毎週火曜&土曜に発送します。自分を見つめるきっかけに、ぜひ。



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