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自分が活きる場所、活きない場所

30代になってから、まわりの友人知人がキャリアを考えるにあたって「この年齢だと難しい」とか「この職歴だとなかなか…」と話すのを聞くようになった。

わたしは会社員経験が1年半しかないので、会社員の世界はほぼわからず「そうなのか…!」とただ驚く。

そんな話を聴きながら「転職市場で考えればわたしは圧倒的弱者なのだろうな」と、ふと思った。

34歳女性、会社員経験1年半でブランク10年、それ以降は野良のゆるゆるフリーランスで専門性もない。

それらの記号だけでわたしを見ると、どう考えても戦闘力は低そうである。

今のところは会社員に戻る予定はないけれど、もし戻りたいと思ったとしても、なかなか難しいんだろうな。そういう意味では、ひとつの社会の枠組みからはじかれてしまった存在なのだと思う。

最近ひょんなきっかけから、履歴書っぽいものを書く機会があった。

経歴を書き出しながら思う。わたしの経歴、2012年まではいい感じで安定している。

2005年4月 都立高校入学
2008年3月 都立高校卒業
2008年4月 大学教育学部入学
2012年3月 大学教育学部卒業
2012年4月 文房具メーカー入社

ここまでは手堅い人生な感じがする。しかしここから、わたしはこれまでの鬱憤うっぷんを晴らすがごとく、暴れ始める。

2013年12月 文房具メーカー退職
2014年1月 個人事業主として活動
(塾講師、家庭教師、パート経理、ライター、ライター講師、編集、ブロガー、書籍作家、Webディレクター、ブランド運営……)

2014年以降の職歴は、なんだかもう何を書けば良いのやらという気持ちになってくる。

そもそも今のわたしは、世間一般で言う肩書きは何になるのだろう。個人事業主という属性以外、表現しようがない。ものづくりをしている作家やメーカーとも言えれば、マーケターとも言えるし、エッセイストとも言えるし、どれも違うような気もする。

つまり、わたしはいま「これ!」という肩書きのない人間であり、とりあえずはそれで何とか生きている。こんな自分で生きていける世界もある、というのはある種自分にとって救いだと思う。

職歴を書いていて、ふと思い出した。

会社を退職した直後、経理のパートにいくつか応募した時のことだ。経理の仕事は全く向いてなかったんだけど、それまで会社では経理部に所属しており、簿記2級を持っていたので、パートするなら職種は経理かな、と。

「パートならすぐ決まる」と甘くみていたのだけど、実際のところわたしは、割といくつかお断りされた。実はどこの面接でも「うちにはもったいない」と言われてしまったのだ。

「うちにはもったいない」が落とすためのお世辞なのか、本音なのかはわからない。ただ当時のわたしを「24歳女性、早稲田大学卒、TOEICスコア940、簿記2級」という記号で見た場合、「いやこんなやつパートで雇ったらプライド高そうで使いづらくて面倒だ」「どうせすぐ再就職して辞めるだろう」と思われたんじゃないか、というのは今なら何となく予想がつく。

最終的に雇ってくれた会計事務所でも「あのぅ、うちのパートで良いんですか…?」と聞かれた。わたしは本当にパートのおばさん(当時の年齢だとお姉さんか)として働ければよかったので、もちろん大丈夫ですと答えた。でも同時に、これだけ言われるということは「わたしはきっと、ここでは活きないってことなのだろうな」とも思った。

この社会では、枠の中に収まっていないと、なかなか難しいんだなと実感する。足りなくても難しいし、オーバースペックでも嫌がられる。

でも救いなのは、それは「ひとつの社会」における事実であって、この世にはいくつも「社会」があるってこと。

2014年以降、わたしはずっとフリーランスとしてやってきたわけだけれど、フリーランスの世界では、これらの記号はそんなに大きな意味を持っていなかったと思う。

わたしが生きているフリーランス社会において、何より大切なのは「実績」だった。何をやってきたのか。どういう成果を出してきたのか。年齢や性別や所属していた会社うんぬんの記号よりも、実績が重要視される。

この実績社会も当然、人によって向き不向きがある。けれどわたしには合っていた。「わたし」がどうであれ、「わたしがやってきたこと」の方を見てもらえるのは、とても居心地が良かった。

この世には、いくつもの「社会」がある。

それぞれ異なる原理で動いていて、自分が活きる場所も、活きない場所もある。

だからもしも合わない場所や、自分を受け入れてもらえない場所があったとしても、大丈夫。「その社会ではそうだった」というだけのことで、また違う社会で試してみればいい。

だいじなのは、自分が活きる場所へ、自らの手で連れていってあげること。

自分が活きる場所はきっと、どこかにあるからと。それだけは、信じてあげて。


おわり


●エッセイ集を出版しました
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