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「やりたい事」より「ありたい姿」

6年前、自分のやりたい事がわからなくて、夢中になれるものもなくて、もがいていた会社員の頃。

「やりたい事」に向かって突き進む人を羨ましく思ったし、自分の時間の使い方の無意味さに落ち込んだり。

当時の自分にとっては、「やりたい事」を見つけるのが目下の目標で。

そして見つけた、やりたい事。

自分らしく生きる人を増やすこと。

そのために、誰かに自分の経験を伝えること、そしてちょっとだけでも寄り添えるような、応援できるような人になれたらいいなということ。

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会社を辞めた翌年から、まずは塾講師として、その次にライターとして、そして今はじぶんジカンというブランド運営者として、あの頃からずっと持っている「やりたい事」を追いかけてきました。

その中で実感したのは、「やりたい事」よりも「ありたい姿」の方が、自分らしく生きる上では重要なのかもしれない、ってことです。

そう思うようになったのは、塾講師のとき。

高校3年生、つまりは大学受験生に受験英語を教えていた頃。

目標に向かって、勉強というフィルターを通しながらも自分と向き合う高校生はキラキラしていて、そんな子たちの伴走ができることは本当にうれしくて、これが天職なんだろうなと思いました。

非常勤(要するにバイト)だったので、少ない給料だったけれど、業務時間外も資料づくりや授業準備に没頭し、それはそれでしあわせだったんです。

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でも。

塾講師としての働き方は自分の「ありたい姿」とは違っていました。あの頃は、そんなことを認めたくないような気持もあったけれど。

塾の授業は夜なので、夫と夕食を食べることはできず、帰るのも遅いのでなかなか会話の時間も取れない日々に「これでいいのかな?」と感じていました。また、身体が貧弱なので、夏期講習や冬期講習などの朝から深夜まで立ちっぱなし喋りっぱなしで働くハードな時期は、しょっちゅう体調を崩したり。

そして、売上のために生徒たちの本意ではない授業を受講させようとする上司にも疑問を抱いていました。ビジネスだから仕方がないのかもしれないけれど、わたしは上司が生徒を説得している姿を見るたびに、胸が痛かったです。何にもできないのも、悔しかった。もっと違うやり方はないのかな、わたしだったらどうするかな、と思いながら。

これらはきっと、自分にとっての「ありたい姿」に反していたのだと思います。

自分の時間を持ち、夫との時間も大切にし、大切な人をちゃんと大事にできる、自分にとって心地良い生活のあり方。心が豊かで、自分の信念をしっかり持っている理想のあり方。

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その後も、ライターとして自分の「ありたい姿」に反した仕事をするたびに、「理念にそぐわないことをやらなくてもすむような生き方をするには?」を考え続けてきました。

自分らしく生きるために、「やりたい事をやる」の次のステップが「ありたい姿であること」だったのかもしれません。

「やりたい事」をやっていても、「ありたい姿」と反していたら、苦しくなってしまうこともある。イメージとしては、「ありたい姿」の中の一部が「やりたい事」で、もちろん「やりたい事」も大切なんだけれど、もっと大きな「ありたい姿」を意識することも重要なのかな、と思っています。

そんな経験から、「やりたいことを見つけよう」というキャッチコピーの『自己分析ノート』の中にも、ちゃんと「ありたい姿」について考えるページを入れています。

今は「じぶんジカン」が100%やりたい事/ありたい姿を目指せる活動になりました。自分らしく生きたいと思う人に届けたくて、自分と向き合う時間のきっかけとなるものをつくる。自分の信念を曲げることなく。

わたしにとっての次の課題は、とっても大切な「じぶんジカン」がなくならないよう、どうやって続けるかということ。そして、届けたい人にちゃんと届けるには、何をすればよいのか考えること。

ようやく「ありたい姿」に近づいてきた実感があるので、2020年はもっともっと、自分はもちろん周囲やユーザーさんなどの大切な人たちをちゃんと大事にできるように、進んでいきたいです。

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読んでくれたあなたの「ありたい姿」は、どんな姿ですか。年末の振り返りのタイミングで、考えてみるのもおすすめです!

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