1995年の中国出張(2)
秋田を出発したのが確か金曜の夜。土曜日は成田から香港、日曜日に香港から東莞まで。3日間かけた長旅がやっと終わりました。
今なら朝秋田を出たら広州までその日のうちに飛べるので、翌朝広州のホテルからバスで現場入りな感じでしょうか。
初めて工場に出かける日。ホテルから工場へは会社のバスで向かいました。私達のチームは5人。その他のチームも含めて総勢20人以上は居たと思います。
「作られたのは昭和30年代かな?」といった雰囲気のボンネットがついたバスが玄関前に停まっていて、窓は所々無く、金網というか鉄格子が溶接されています。座席は木製でクッション的なものは一切なし。走り出すと物凄いエンジン音ですが、片側4車線の広大な道路を30km/hほどで這うように進みます。
工場までは15分ほど。工場でパソコンを使って機械のプログラムをあれやこれやとするのが私の仕事です。
工場に到着したところで
「もうすぐ総経理が日本から来た皆さんにご挨拶に来ます。総経理はBMWに乗っている偉い人です。みなさんで待ちましょう。」
的な情報を通訳さんが伝えてくれ、出張者全員、正面玄関前で待つことになりました。
工場の正門から黒塗りのBMWが……と想像していたのですが、入ってきたのは1950~60年代製くらいの古いBMWのバイクにまたがって、ブルース・リーみたいなつなぎを着た小太りのおじさん……。まさに「笑ってはいけない」を地で行く光景で、全員笑いを堪えるのに必死でした。
なんやかんやでオフィスに入るまで1時間以上もかかりましたが、現地メンバーとの挨拶も終わり、さて、解散して仕事開始かな?とおもってたら、
「全員のパスポートと必要以外の現金と航空券回収して、工場の金庫で保管します」
とのお達しがありました。中国側の責任者の話では、パスポートはじめ貴重品類を常時携帯したり、ホテルに置いておくと紛失の恐れがあるため、会社の内規で決まっているとのこと。当時は疑問にも思わず素直に全部預けましたが、今なら抵抗して預けないかもしれません。
工場内を一通り案内してもらい、各自ロッカーと鍵、トイレットペーパーのロールを支給されました。トイレに紙をおいておくと瞬時に消えるので、各自鍵のかかるロッカーに保管、使用する量だけ持って個室に入るとの説明を受けました。
一般従業員は立入禁止のオフィスエリアには、日本人の休憩用に用意してもらった会議室、来客用の清潔で紙完備のきれいなトイレも有りましたが、現場からは歩いて5分以上で建屋も違うので結構距離があります。作業を行う現場付近には、一応個室ありのトイレと、もうひとつニイハオトイレがありますが、ご想像どおりの有様で入るにはちょっと覚悟がいる感じ。初海外の私にとってトイレは毎日悩みのタネでした。
仕事の方でも、次から次へとトラブルがあったのですが、業務内容にふれるので割愛。
色々と冷や汗をかいた後、昼食に出かけました。社員食堂に連れて行かれて、ローカルスタッフの食事を見たのですが、茶色く変色した半欠けのリンゴ、ゆで卵、正体がわからない汁物をぶっかけた丼もの的な何か……。調味料や汁がついて汚れたテーブル、床、食器類。
「これを食べるくらいなら昼飯はパスしよう」
と決意したのを思い出します。ドキドキしていたら社員食堂の一般エリアはスルーして、日本人スタッフ用の個室に案内され、テーブルの上には豪華な中華料理が待っていました。鳩の丸焼き、ニラの入った卵焼き、春巻き的な物、水餃子、葱油餅等々。パサパサのインディカ米には並行しましたが正直ホッとしました。
今では何処に出張に行ってもローカルスタッフが食べている社員食堂で食べますが、当時はハードルが高かった。社員食堂のレベルが上がったのもありますが、やはり圧倒的に私自身の経験値が足りなかったと思います。
ホテルでの夕食でも色々ありました。チームリーダーの課長が日本食を選ぶことが多かったので、2週間、ほぼ日本食を食べていた気がしますが、焼きそばが日本蕎麦だったり、親子丼に何故か山盛りのわさびが乗ってきたり……。毎日試行錯誤をして「大丈夫なメニュー」を探していました。最終的には日本から輸入している冷凍食品を使ったメニュー以外は頼まなくなっていたような記憶があります。
そういえば、夕食はほとんどホテルのレストランで食べたのですが、ビールを飲むと当然ながらトイレが近くなります。ホテルのトイレなので十分清潔なのですが、問題は他にありました。
今の中国では見かけない習慣ですが、当時はトイレに掃除のおばさんが常駐していて、手を洗うと30cmほどのトイレットペーパーを渡されるため、チップを渡す習慣がありました。
このおばさん、用を足している最中からチップを入れたお盆を差し出して背後の至近距離に立っているのですが、貰ったチップの中で一番大きなお金だけを残して、細かいのはしまってしまうのです。
食事を始めた時は1角が乗っていたのに、帰り際には10元が乗っていたりする。わずか2時間位で100倍ものインフレ率。毎日通うとからくりが分かってきて1角か、多くても5角しか渡さなくなりましたが、次々と入れ替わる外国人客から、結構なチップを稼いでいたと思います。
さて、食事とトイレの話で今回はおしまい。次は何処まで書けるかな?
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?