「いつ死んでもいいように生きる」って難しすぎない?

 だいぶ期間が開きました。とはいえほとんど生活は変わらずゴミみたいな学生生活を送っております。ただ前よりは前向きになってる気がします。まぁ友達のインスタとかの情報を遮断し出したのが良くなった原因なので、それがいいことなのか悪いことなのかわかりません。

 というわけでなんとなくまた書きたい気分になり、ちょうどいい題材が見つかったので今に至ります。その題材こそ、「いつ死んでもいいように生きる」です。ある人と死生観の話になって僕は「死ぬのが怖いから死なないために生きている」って言ったら相手が「なんで死ぬのが怖いんだ?俺はいつ死んでもいいように生きているから死ぬのは怖くない」と言っていました。かっこいいですね。

でも「いつ死んでもいいように生きる」ってあまりに難しすぎやしませんか?いつ死んでもいいように悔いのないように働いてもその財産を使うことなく死んでしまう。いつ死んでもいいように恋人と精一杯愛しあっても死んでしまったらその先の関係は一切無くなってしまう。

 僕は人って死んでしまったら何も残らないと思っています。それこそ教科書やテレビに乗るような著名人でもない限り。家族や友達に何かを残したい!と思っても死んだらその残したものがいいものなのか悪いものなのかも知ることなく死んでしまうのです。やっぱり心意気の問題なんでしょうかね。

 どっかのなんかの小説かなにかで、自分が死んだ後幽霊になって自分の葬式を見るみたいなシーンがあって、いいなぁって思ったことを思い出しました。あーでもそんなに悲しんでいる人がいなかったら成仏できる気がしないからやっぱいいや。もしそうだったら気ままに悪霊ライフを過ごすことにします。

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