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【過剰包装?】八百屋さんで脱プラが難しかった理由

「野菜を袋に入れずに売れないのですか?」
以前、勤めていた八百屋さんで採用面接を行なった際、ある女性から聞かれた質問です。

その時は「鮮度保持のために品目によってはパッキング(袋に入れること)は必要」と説明し納得してもらったのですが、今もその質問が心にどこかに残っている感覚がありました。
SDGsや脱プラという言葉がよく使われる今の世の中では包装に関して疑問に感じている人も多いと思いますし、私自身も農業に興味を持った大元のきっかけは環境問題です。
結果として八百屋さんで脱プラはできませんでしたが、今回はその理由についてまとめて、何が課題となるのかを整理してみます。

八百屋さんの仕事についてはこちらに詳しく書いています。

先にまとめを載せます。

まとめ
プラスチックごみの排出量世界第2位の日本の過剰包装はサービス精神が原因だと考えられています。
八百屋さんが包装をやめることで得られるメリットは確かにありますが、商品の鮮度保持が難しくなるのが一番のネックです。
ただ、すでに包装をせずに売っている商品もあるので段階的にそのようにしていくことは可能かもしれません。

日本の商品は過剰包装

海外のスーパーでは包装なしや量り売りがもっと浸透しているらしい

日本の過剰包装を批判する際によく言われることとして海外との比較があります。

プラごみの内訳(R3_環境省より)

2020年の国連環境計画(UNEP)の報告書によると日本のプラスチックごみの1人あたり廃棄量は世界第2位のようです。(1位はアメリカ)
内訳としては令和3年の環境省のデータでは、容器包装69%、ペットボトル14%、容器包装以外のプラスチック14%、発泡スチロール・トレイ3%となっています。

また、フランスやスペインでは段階的に野菜の包装が禁止になるそうです。(https://sdgsmagazine.jp/2021/10/22/3669/
ヨーロッパ好きな方やSDGs系の方のブログでも軒並み日本の農薬使用や過剰包装は批判され、いかにヨーロッパではオーガニック野菜を裸で売っているかが書かれています。

エコもSDGsもビジネスのゲームチェンジが目的だとは思いますが、
異常気象の増加などで割りを食うのはプラごみなんてそもそもそんな出していない途上国の人々という不都合な真実はなんとかすべきだと思います。
そして、個人的には消費の延長線上に持続的な幸せはないと思っているのでその辺りの考え方はSDGs系の人たちと共有できるものがあると思います。

日本は生鮮食品以外もしっかり包装

「お土産を買うときはできるだけ個包装のものを」
「お歳暮には熨斗と包装紙は必ず必要」

この辺りは日本では常識だと思います。
特にコロナ禍になってから包装への需要は各方面で急激に伸びました。
過剰包装は青果にだけ言われる話ではないですし、むしろ他の商品でも深刻に検討すべきものはあると思います。

日本人のサービス精神が過剰包装の原因?

日本人の長所であると言われる「おもてなし」の文化。
しかしこの文化やそれに起因するサービス精神や気遣いが過剰包装を生んでしまっているという指摘はちらほら見かけます。
また、ヨーロッパではプレゼント等への包装は自分でするのが基本なので粗末になることが多いという意見もブログなどで見かけます。
先ほどのお土産の個包装は受け手のことを考えた気遣いですし、熨斗は宗教的な文化の1つです。
明確なデータがある訳ではありませんが、一般人レベルで浸透しているこのような気遣いや文化は過剰包装と関係がありそうです。

レジ袋有料化で文句を言われる

2020年の夏よりレジ袋の有料化がありました。
義務ということだったので私が勤めていた八百屋さんでも有料化を行ったのですが、始まってから半年間くらいはお客さんから文句を言われることもしばしば。
「義務ですので」と説明しても「なんでそんなこともできないの」と私たちが言われるという事態が発生していました。
しかも、見た限りですがそのようなこと言うお客さんの大半はご高齢の方です。その理由が「レジ袋有料化による環境問題へのインパクトの小ささ」であればまだ良かったのですが、そういう発想から有料化を批判するお客さんは1人もいなかったです。
脱プラを掲げてもご高齢のお客さんからの賛同は得られにくいと感じました。

八百屋さんで包装をやめるメリット

では具体的に包装をやめたらどんないいことがあるのか。
仮説ベースではありますが考えてみます。

パッキングの時間を削減できる

八百屋さんでは1日のうち開店準備と営業中のほとんどの時間で誰かしらが何かしらのパッキングを行なっています。
そういった意味ではパッキングにかかる時間や人件費の削減は多少はできるかもしれません。

ただ懸念点が2つあります。
1つは全ての商品のパッキングをなくすことは不可能だと言うことです。
例えばカットスイカをカットしてそのまま売ったら甘い匂いにつられて虫がきてしまうかもしれません。同様に野菜も1/2などにカットしたらせめて切り口だけでも何かしらで包まないとどんどん変色してきます。(大根やキャベツはカットした方が売れるので1/2にして売ることもあります)

もう1つの懸念点は人件費の削減がどこまでできるのかということです。
私がいた店舗の例ですが、八百屋さんはピーク時以外はワンオペが基本です。開店準備が8-10時・営業時間が10-19時とすると全体の11時間のうちワンオペでない時間は開店準備の2時間、夕方のピーク時の2時間程度で合計4時間ほどです。
この4時間にスタッフが1人減れば、東京であれば1日4300円ほどの人件費が浮くということになります。この観点のみで見ると売上が減らない、もしくは減ってもこの人件費に対しての売上を損なわない程度であればOKという事になります。

資材費が減らせる

近年高騰している資材費なので、こちらが減るのは嬉しい事です。
先ほどの理由の通り、こちらもゼロにはできませんが販管費の3%ほどを占める資材費をおそらく半分以上は減らすことができます。

環境に気遣っているお店というブランディングができる

ここまではコストカットのメリットでしたが、売上を上げるという意味ではここをしっかり打ち出す必要があります。
八百屋さんの商圏は狭いのでその中でどれだけこうした活動を支持してくれるお客さんがいるかが肝になります。

八百屋さんで包装をやめるデメリット

こちらも仮説ベースですがデメリットについても考えてみます。

商品の品質劣化が早くなりロスが増える

まず一番に思いつくのはこちらです。
そもそも包装に使う袋は鮮度保持が第一目的で使われています。
ですので通気性を保つためにあえて少し穴を開けていたり鮮度の保持を第一に工夫がされているのです。
店頭で劣化が進みやすくなるのはもちろんですが、店内でも冷房の風やお客さんが触る事による劣化は避けられません。

品質の悪い商品を扱っているという評価をされる

商品の劣化が避けられないとなると廃棄を増やすか値下げでの販売をするしかありません。
しかし、値下げをしての販売はいわゆる「いいお客さん」に来てもらうためには得策ではありません。
安かろう悪かろうのお店になってしまっては元も子もありません。

顧客単価が下がる

包装をする理由として鮮度保持が第一ではありますが、できるだけ複数個でまとめて買ってもらうことで顧客単価を下がらないようにするという理由もあります。
商品を一個単位で買えるようにしたらおそらく顧客単価は下がります。
その分、来店頻度が増えるという可能性はありますが、そうなるとお客さん1人あたりと接することができる時間が減ってしまいます。一般的に言っても単価を下げるのは得策ではありません。
家庭での食品ロスを減らすという意味ではいい気もしますが、八百屋さんの経営的な視点で見るとデメリットとなってしまうのでこちらに書きました。

コロナウイルスに敏感な人には来てもらえなくなる

コロナ禍で包装への需要が増えている今の世の中で包装をやめるのは敏感な方にとっては来店をやめる理由になり得ます。

包装による差別化ができなくなる

どこからが過剰包装なのかという定義がないので難しいですが、例えば「袋のテープの色を変える」だけでも一つの差別化(お客さんへの「この商品は一味違う」というメッセージ)になります。
華美な包装による差別化以外にも簡単な包装で差別化を行うということもありますし、八百屋さんではむしろそちらの方が多いです。

包装に対してよくある指摘への個人的な回答

個人の意見ですが、日本の青果への包装を否定する方の指摘に対して思うことを書きます。
お店都合と言えばそれまでなのですが、こちらの都合も理解してもらった上でどうするか考えないと解決へは進まないと思います。

緩衝材も大切

惣菜にすればいい

八百屋さん店舗設備で惣菜を作ることはできません。
ですので店舗の改装が必要になります。
そして惣菜をやっていた方の話では、人件費が高くつくそうです。
今や飲食店もこぞってお弁当などを作っているこのタイミングで惣菜を始めるのはなかなかチャレンジングだと思います。
根本的な話をすると惣菜にしたことで食べ物の寿命が伸びる訳ではありません。買われなければ結局廃棄です。

仕入れ量で調整可能

私たちが仕入れを行う際は段ボール1ケース単位で行うのが基本です。(厳密には1パック単位などでも仕入れ可能ですが市場の人から嫌われるのと、そういった商品はすでに包装されています)
1ケースの量は品目によって違いますが、1ケース仕入れを控えると欠品になってしまうことは確実にあります。(そもそもできるだけその日に売り切れる量を買っています)
欠品があると売り場がスカスカになってしまいますし、お客さんの満足度も下がります。私たちとしても売りロスはできるだけ避けたいのが本音です。

昔の八百屋さんは裸で売っていた

この指摘自体は間違えないのですが、今と当時では日本の家庭環境が全く違います。
昔は段ボールで仕入れた野菜をそのまま段ボールで売るということもあったそうですが、今は1個単位を要求されます。
世帯人数が減っているので買う量が減るのは当然のことです。
また、今は料理をする家庭自体も減っています。
料理の頻度が少なければ当然一回あたりで買う量は少ない方が良いという事になります。
商品の回転率が全然違うので昔と同じやり方をそのまま持ってきてもうまくいかないと思います。

最後に

今回は八百屋さんで脱プラ(裸での販売)が難しい理由について書きました。
こちら都合な理由ばかりかもしれませんが、包装をやめるというのは八百屋さんにとってはかなり勇気のいる事です。
「包装をやめる=鮮度を捨てる」という考え方が根底にあるからです。

一方で、今すでに裸で売っている青果もあります。
玉ねぎやいくらかの果物は包装をして売っていません。
そういう意味では全ての青果で包装をやめるのは無理でも段階的に包装をやめていくことはできるのかもしれません。

逆にヨーロッパで量り売りや裸売りが成り立っている理由も気になります。
世帯構成や惣菜の充実度、青果の輸送など文化以外の側面からも検討する余地は色々とあると思います。
その辺りは気が向いたら調べてみようと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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