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ネパールの農業は日本以上にハードランディングかもしれない

日本の農業は農家の高齢化や農村の過疎化でこれから大変と言われていますが、こういった問題は多かれ少なかれどの国でも起きていることで、途上国であるネパールでも例外ではありません。

そんなネパールの農家の高齢化や農村の過疎化のこれからを考えた時に、日本以上に大変な状況になるのではないかと思ったので、その辺りについて書いてみます。


人口全体に先駆けて高齢化を経験し、小規模が多い日本の農業

日本の農業を取り巻く問題として農家の高齢化と大規模化が進んでいないことが挙げられます。

高齢化

日本の農業従事者数を半世紀前と比べると現在では約1/4ほどになっています。
そしてそれを年代別に区切ってみると半世紀前は40~59歳以下の占める割合が全体の50%程で最も高かったのですが、現在では60歳以上が圧倒的な割合を占めています。
農家の高齢化は問題視されるようになって久しいですが、1980年の時点での日本の全人口の平均年齢は30歳と言われており、現在が50歳なので、遅くとも半世紀前には農家の平均年齢は国全体の平均年齢よりも高かったことになります。

つまり日本の農家はある一定の時点ですでに他産業よりも高齢であったため、農家の高齢化もある程度は国の高齢化と相関関係にあり、急に高齢化しているわけではないと考えることができるのです。

小規模農家

農地については戦後の農地改革で大量の小農が誕生した頃が起点と考えることができますが、現在でも半数が1ha未満であることを考えると半世紀前と比べても高齢化以上の大きな変化は起きていないことが予想されます。
そもそも農家の高齢化と大規模化の進みにくさには大きな関連性があり、高齢者が農業を続ける以上は大規模化も起きにくくなってしまうのはしょうがないことなのです。

※その他の農業の変化については、以前こちらにまとめています。

個人的な立場

この記事を書くにあたり、先に私の立場を明確にしておきたいのですが、私は小規模農家がいなくなってほしいとも高齢者がみんな農業から撤退してほしいとも考えているわけではありません。

農業は必ずしも経済合理性だけで語ることができない分野だと思いますし、もっと言えば国民全体が家庭菜園をするくらいになった方が日本全体の幸福度も上がると思っています。

ただ、今の発展形態の中では、農業の大規模化は「是」であり、避けることができません。
その前提を踏まえた上でネパールの農業の変化を日本の変化と比較しながら仮説を立てています。

日本の農業で急進的な変化が起きなかった理由

ここまでで農業の変化について年齢と規模を軸に見てきましたが、意外と変化が大きくない理由としては下記のような事柄が関係していると考えることができます。

JAの存在

JAは小規模農家が集まって資材の購買や販売活動を行うことで交渉力をつけることを目的に設立された協同組合です。
思想の根底に「小農のため」という部分があるため、JAが農業のど真ん中にいるうちは農地の大規模化のスピードは落ちることが考えられます。

例えば自らがスーパー(産直コーナーとかではなく)と一定以上の量で取引しようとすれば、それ相応の栽培面積が必要になります。
しかし、JAが間に入ることで農家さんがそういった負担を負わずに小規模の栽培でもスーパーとやりとりができるようになるため、農地拡大のインセンティブが弱まってしまいます。

実際には大規模化をする農家さんというのはJAを通さずに取引を行うケースもありますし、JAの思想的に大規模化とは相性が悪いのだと思います。

※農業の大規模化を阻害する要因として槍玉に挙げられるJAに対しては「農協不要論」というものがありますが、それについてはこちらに書いています。

卸売市場流通

日本の卸売市場流通は日本型と呼ばれるほど独自で、この点も小規模農家の経営にとってメリットがある形になっています。

それは農家側につく大卸と小売側につく仲卸が存在しているということなのですが、日本の卸売市場というのは大卸と呼ばれる卸売業者と仲卸と呼ばれる卸売業者の2者で構成されています。

なぜこの2者が存在しているのかというと詳細は割愛しますが、農家も小売業者も規模が大きくないというのが理由になります。

そして、日本では国産青果物の8割ほどは市場流通ということでイメージと反してまだまだ市場流通が健在です。

日本型卸売市場流通も農家の規模が小さいことを前提にデザインされているため、大規模化とは相性が悪いのです。

※割愛した部分についてはこちらに詳しく書いています。

農地に関する法律

農地法については1952年の制定から農地を拡大しやすいように法改正がされてきましたが、株式会社の農地取得については、投機や転用目的での取得、株式譲渡による外部資本の地域支配などの懸念事項もあるため、すんなり進まない部分もあります。

今回のテーマに沿って言うとすれば、このことも農地拡大が進まない一つの原因となっていると考えられます。

※農地法の変化についてはこちらに以前まとめています。

農地拡大ができないと農業の高齢化は改善されない

ここまで挙げた事柄は農地拡大の障害となっているものですが、農地拡大ができないというのは、農業で稼ぎたい人が農地を増やせず、家庭菜園の拡大版ほどの規模で農業を行っている高齢者が撤退することもないということで農業の産業としての競争力が上がって行かないということを意味します。

耕作放棄地があって土地が余っているという話題もありますが、耕作放棄地になるような場所は農業がしずらかったりする人気のない農地であることが多く、規模拡大した時にスケールメリットが活かせるような農地は意外と余っていないと言うことがよくあります。

JAや卸売市場に対する批判というのは農地拡大の重要性が以前より顕在化していることによる動きと捉えることもできます。

ネパールはもっとハードランディングか

ここからはネパールの話になりますが、ネパールの農業の変化を予測するともっとハードなことになるのではいかと考えています。

ハードなことというのは離農、耕作放棄地の増加、過疎化などについてであり、これまであった伝統的な農村風景は日本よりも早いスピードで変化・荒廃していくと考えられます。

その理由は上述した、大きな変化を緩める要因がネパールにはないためです。

農協の力が弱い

ネパールにも農協や協同組合は存在します。
しかし、JAの金融部門である農林中金は日本のメガバンクと肩を並べるほどの規模であり、赤字の経済事業が成り立っているのはこの存在があるからです。
ネパールでも農業開発銀行はありますが、おそらく農家への融資等は行っていても、JAのように金融機関が1つの組織の中に組み込まれ、営農、販売、購買など総合的なサポートを行うという仕組みにはなっていないと思います。
あくまで金融機関は独立し、営農指導などは日本でいうと各自治体の普及員のようなポジションの人が行っているという構図だと考えられます。
そうなると自治体の予算が農業発展の鍵を握ることになりますが、そこに予算を割く余裕のある地方自治体は少なく、結局は農家がそれぞれ独自の方法で栽培を進めているというのが実情です。

JAのようなバックに強靭な資金源があれば、それを元手に「農家のための組織」として農家がまとまって農業発展を目指すこともできますが、そういった動きがないため産地としての結束力も弱いように感じられます。

市場流通の中で農家側のプレイヤーがいない

日本のような卸売市場流通の仕組みは、まさにそれぞれの農家の規模が小さい後発開発途上国で活きると思うのですが、やはりこれも簡単にはできません。
日本の場合は大卸と呼ばれる存在が産地側(農家側)に立つことで、仲卸やスーパーからの買い叩きを防ぐことが理論的にはできますが、ネパールというかほとんどの国ではそのような仕組みがないため、交渉力のある大農家が生き残るか、ブローカーによる買い叩きが起こってしまいます。

その一方で、ブローカー自身も村人と同郷の人間である場合はブローカーが買い叩くということは少ないようですが、結局そのブローカーの抱える商品のボリュームが少ないと、その先で交渉力が持てないというジレンマもあります。

こういったことに対して、農家が直売をすればいいという意見もありますが、日本のようにインフラが発展しておらず、郵便の仕組みもまだまだなネパールでは農村部から都市部や個人間で野菜を送るというのはかなり難しいです。

ブローカー自体が悪なのではなく、農家とブローカーの利害がぶつかっていることが悪なのだと思います。
その点で日本の卸売市場流通は優れた仕組みだと言えます。

若者の出稼ぎ

日本の農家の高齢化は深刻ですが、上述の通り、若者が減っているというよりは若者が参入していないという方が適切だと思います。
しかし、ネパールはまさしく若者が減っており、国全体として深刻な若者の出稼ぎ問題の先端を行くのは農村部です。

日本では農家が減っても機械がある事で農作業を効率化してきた過去がありますが(というか機械の登場が農村部における余剰労働力を生み出したとも言えます)、ネパールで農村部に残された農家さんが機械化で農作業の効率を上げるというのは資金的にできそうもありません。
この辺りは農業界というよりも国の経済の問題で、日本のような先進国の中の減りゆく農家であれば自治体の補助金があったり、兼業農家として収入源が他にあることで機械などを買うこともできるかもしれませんが、こういった選択肢がネパールには存在しません。

その結果として残された農家も土地があるからといって増やせる栽培面積はそこまで多くなく、耕作放棄地が増えていくことが予想されます。

大規模化しても隣国には敵わない

日本もそうですが、大規模化をしても天井が見えているということもあるかと思います。
ネパールの場合、結局は隣国のインドや中国の生産規模を凌ぐことはできないため、価格面で両国より優位に農作物を作れるということはないと思います。
また日本と異なり、政府が大規模化を推進しているわけでもありませんし、スケールメリットを活かすために必要な機械などを持てる農家も限られます。
そういった理由からも離農が大規模化につながらないことが予想されます。

農業の保護や発展につながる財源を生み出せるかが大事

出稼ぎの加速

日本を含め、これまで経済発展してきた諸外国は工業化の中で農家の労働力が工業へ移動することが発展へと繋がっていましたが、ネパールではその先が国内の工業などではなく海外となってしまっているのです。

このことが国内の経済発展を妨げ、そうなると農業に還元される部分(補助金など)もないため、農業の発展も起こりません。

※以前、農業と他産業の関係についてこちらに書きました。

期待されている観光、オフショア開発、水力発電

ネパールで期待されている産業はいくつかありますが、外貨を稼ぐという意味では観光、オフショア開発、水力発電が挙げられます。
専門外なので詳しいことは分かりかねますが、これからの状況を考えると離農を進ませてでもこういった生産性の高い産業に労働力を移動させ、そこからネパールの農業を考えるという方が発展のセオリーからすると現実的な気がします。

デジタル革命を軸とした農の発展に期待?

これは妄想の域ですが、ネパールが従来の発展と異なる「新たな道」を示すのであれば、デジタル革命の波に乗った半農半Xを期待したいです。

デジタル革命と産業革命の決定的に異なる点は、それによる余剰労働力の生産性です。
産業革命は上述の通り、農業から工業への移転が起こることで余剰労働力の生産性を向上させることに成功し、それが経済発展に繋がりました。
しかし、デジタル革命では余剰労働力の生産性がさらに上がることはなく、むしろやることがなくなってしまうというのが定説です。
ベーシックインカムやブルシットジョブがこれだけ世間を賑わすのもこの辺りの事柄が関係していそうです。
余剰労働力のやることがなくってしまうとすれば、そういった人たちこそ、ある種の農村回帰を起こすのではないかと考えられ、農村の過疎化を防ぐ一助となるかもしれません。

事実、DIYや家庭菜園というのはかなり人気の趣味・娯楽で、人類が進化の過程で必死で離れてきた労働を、ここにきて最先端の人たちが自らの意思で行うというのは非常に味わい深いのですが、そういったことがもっと起こってもおかしくないと思っています。

そうなった時に農を生業とする農業の姿は今とは全く変わるかもしれませんし、そもそも農を生業とするということが意味不明な時代さえ来るかもしれません。

そして、そのような世界線では多くの人が農を楽しみ自給自足を行い、地方に住みながら1日3時間だけ働くというのが当たり前になります。

正直、ネパールがこの世界を獲得することは先進国以上に難しいと思いますが、先進国のようにガツガツ働かない仕事観や、農業を生産性で見るとかなり厳しい現実を考えると、思い切ってこういう方向に動いてくれた方が独自のポジションが築けて面白いと思います。

最後に

農業は規模の大きさでとるべき戦略が全く変わってきます。

今の途上国は農地が少なかったり、一農家あたりの規模が小さい国が多く、そういったところにアメリカ、ヨーロッパ、中国などの農業スタイルを発展の必須条項として持ち込まれても、うまく模倣することはできません。

そして、そういった価値観だけで農業を捉えること自体が農業のハードランディングを生んでしまうと考えることもできます。
そのため、減る農家人口や高齢化、耕作放棄地の増加は確実に起こる未来と予測しながらも、アプローチはこれまでの常識から外れたものでないといけないのかもしれません。

その1つとしてデジタル革命の利用を挙げましたが、ここの部分はかなり不透明なので、まずはネパールの農業の問題の原因がどういった部分にあるのか解像度を上げて知る必要があると感じこの記事を書きました。

今回は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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