ネパールで中都市を増やしたい
ネパールにいると、「なぜネパールに来たのか」をよく聞かれます。
「今の先進国とは異なった発展を目指せる」と大学時に思ったことが一番の理由なのですが、うまく説明ができないため他の適当な理由で逃げてしまうことがあります。
当時「資本主義が終わる」みたいな論に注目をしていたため、資本主義(新自由主義)で格差が拡大する、環境問題が起こる等の課題を聞いた際に「ではどうしたらいいのか」ということを足りない頭で考えている時がありました。
そして資本主義の恩恵を最も受けていない最貧国ネパールであればこれから発展する際に「別の道を見つけ出すことができるのではないか」と思い、ネパールへの興味を持ちました。
今は思想が先行していた学生時代よりももう少し現実社会とのバランス感覚が持てていると思うので、改めてネパールに目指してほしい方向を考えてみます。
発展とは
先進国を構成する思想的要素
先進国と呼ばれる国はヨーロッパやアメリカのイメージです。
そしてそのどちらでもない日本も先進国となる過程で目指したのは西洋国であり、現在の日本人のライフスタイルには西洋的な事柄が多く取り入れられています。
「先進国になる」ということは「西洋化する」ことだと言っても言い過ぎではないでしょう。
では西洋の思想にはどういったものがあるのでしょうか。
思い当たるものを挙げてみます。
民主主義
デモクラシーの語源は古代ギリシア語にあるとされており、その起源は古代ギリシャ時代、古代ローマ時代にまで遡り、近代的な民主主義はフランス革命やアメリカ独立革命により形成されたと言われています。資本主義
資本主義も民主主義と同時期に生まれたものです。この世の全てが商品化されるなかで、資本家と労働者という関係性が生まれました。個人主義
個人としての人生を謳歌するためには「競争に勝つ」必要性があるため、資本主義と相性が非常にいいです。人権
こちらも西洋での革命から生まれた思想です。産業革命により貧しい労働者が大量発生した際には国家が介入し「人権」を守ろうとする動きが見られました。一神教
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を主に指します。対してヒンドゥー教や神道は多神教という特徴を持っています。自然科学
そのルーツは古代ギリシア時代にまで遡るようで、近代自然科学は17世紀にヨーロッパで生まれたとされています。直線的時間意識
難しい書き方をしてしまいましたが「過去から未来に時間が流れる」という考え方のことです。科学の発展がこの考え方の拡大を後押ししました。一神教との関連も強いです。
先進国=西洋思想グループ?
上記のような思想は「一神教」を除けば日本社会でも広く受け入れられていると思います。
しかし、日本社会が元々上記のような思想を持っていたかと言えばそんなことはなく、どちらかというと西洋化を目指した日本が西洋人と接触をする中で後天的に獲得したものだと言って良いでしょう。
先進国というのは単純に経済力があるかどうかというだけでなく「同じ思想(西洋思想)」をいかに持っているかで決まっているという見方もできるのではないでしょうか。
中国やロシアは経済大国ではありますが先進国とは呼ばれません。国民一人当たりの経済力を理由にされることが多いですが、NATOとロシアや米露・米中の対立があることから察するに、「相容れない思想を抱えている」ことも先進国になれない理由なのだろうと考えられます。
先進国の称号は西洋の価値観に基づいて与えられ、同じ価値観の軍団を増やすことで先進国として地球上での存在感を強めるというのが実際のところなのかなと結果論で言えば考えることもできます。
実際に先進国は発展しているじゃないか!という意見もありそうですが、それは先進国がグループとして発展をしやすいように経済を作っているからということもできますし(資本主義社会におけるr>gなど)、そもそも私たちにとっての「発展」という概念自体が先進国主導でポジティブなものとして作られているものだと考えることもできます。
(電気や水道はまだしも、コーラやハンバーガー、高層ビルってそんなにポジティブなものでしょうか。。)
ただ、ここをあまり深掘りしすぎると陰謀論のようになってしまい本筋から脱線してしまうので、先進国の共通思想である資本主義の課題を書いて、ネパールの話に戻りたいと思います。
資本主義の課題とされていること
現在、資本主義の国であっても下記の歪みに対して全く何もやっていないというわけではありませんが、課題を明確にするために資本主義を突き詰めた先にある課題についてまとめます。
格差の拡大
労働で得られた収入よりも投資などで得られる収入の方が成長が早いとされているため、富の格差が拡大していきます。新自由主義のもとでは充分な富の再分配も行われません。全てが商品となり共同体が崩壊する
元々はいらないもの同士の交換でしたが、貨幣を持つことで市場的な価値を持つようになり、やがては土地や労働力も商品となり、この世の全てが商品となってしまいました。そうなることで共同体が崩壊し孤独が生まれやすくなります。人口増大が必須となる
日本では人口減少は悲観的に捉えられていますが、それは成長ありきの考え方です。経済が発展するには基本的には労働人口が増大し続ける必要があります。フロンティアありき
今後市場となるような地域をフロンティアと呼びますが、それが限界に達してきているという点も課題とされています。最近では金融やデジタル世界を新たなフロンティアと捉える考え方もあります。市場での評価以外は価値がなくなる
儲かることが最優先となるため、環境問題などについては後回しとなります。生産性が上がっても労働時間が減らない
大量生産・大量消費の時代となることで人々は「消費するために働く」という消費の奴隷のような状態に陥ります。そしてそういった人の「働く」を正当化するためにブルシットジョブという存在があったりします。
ネパールの伝統的な価値観とは
話をネパールに戻しますが、最貧国と呼ばれるネパールであってもさすがに西洋的価値観はある程度入ってきています。
毎年100万人を超える若者が出稼ぎに出てしまっていることは資本主義の波に抗えないことをよく表していると思います。
しかし、やはり日本などの先進国と比べるとまだまだ土着の思想や西洋にはない考え方が残っていると感じています。
上記の西洋思想をネパールの価値観に捉え直したらどうなるのか、考えてみます。
※下記の思想が全て絶対的に正しいと言っているわけではありません。
ネパールにおける伝統的な解釈
民主主義 → 専制主義
ネパールは2008年まで王国でした。王政が廃止したのは共産主義系のマオイストによる内戦があったからなのですが、現在は政党政治自体に対しても批判が多く、一部では王政復古を望む声もあります。資本主義 → カーストによる職の棲み分け
良いか悪いかというのは置いておいて、ネパールにおける伝統的な経済の仕組みを解釈するとカーストによる職の棲み分けということになるかと思います。カースト制度は差別問題がフォーカスされることが多いですが、為政者が国民をまとめやすい点や、解雇がない、孤立がないという点においてはただの差別とは言えない組織運営のための機能としての役割があると捉えることができます。個人主義 → 共同体主義
カーストや民族としての結びつきが強いため、伝統的には個人として自由を勝ち取っていく思想よりも、集団として他の集団とうまくやっていくことや集団内における世渡り術が重要という思想の方が強くあると考えられます。人権 → 集団の中の1人
人権というのは、一人一人が自らを「個人」であると認識することによって成り立つ概念であるため、共同体社会では、個人という概念よりも集団の成員として自らはどうあるべきかを考えることのほうが多かったと考えられます。一神教 → 多神教
ネパールで主流の宗教であるヒンドゥー教は多神教ですし、次に信仰されている仏教は多神教とは言えないまでも一神教ではありません。ただ輪廻の考え方については共通していて、後述する時間の意識とも関連があります。自然科学 → 伝統医療
アーユルヴェーダや東洋医学がまさにそれに当たりますが、身体や心を1つのものとして捉え、原因を取り除くというよりは全体を整えることに重きを置く姿勢はこれまで挙げた集団や共同体といった他の価値観とも通ずるものがあります。直線的時間意識 → 円環的時間意識
輪廻のように、「過去から未来」という直線的な時間の流れではなく「時間は巡る」というように始まりや終わりを意識しない考え方です。終わりを規定しないだけであらゆる物事に対する見方が変わると思います。
西洋思想にとっては過去の遺物?
こう考えるとネパールの伝統的な価値観というのは西洋とは全く異なるもののように感じ取れますが、このうちのいくつかは西洋もかつて持っていた思想です。
例えば、専制主義は革命以前のヨーロッパではほとんどの国で採用されていた国家形態ですし、中世ヨーロッパでは身分もはっきりと分かれており、下級身分の人々についてはもちろん人権という概念もありませんでした。
西洋医学についても元々は東洋医学と同じく全体を捉えるものであり、自然科学の発展とともに現在の実証主義に移っていったとされています。
つまり、西洋は自らが過去に抱えていた思想を変容させたことを「是」と捉えることで、自分たちは進んでいる国であると考えているのです。
対してネパールのような国は西洋がかつて持っていた思想を引きずっている部分があるため、遅れている国とされているのです。
資本主義とは一線を画す思想
とはいえ、資本主義の抱える課題が解決されていないことを考えると、それを踏襲するだけが正しい発展とは思えません。
そこでネパールの価値観に立脚し、それをどう現代の発展に取り入れるかを考えてみたいのですが、その手助けとして資本主義(新自由主義)とは異なった経済思想を挙げてみます。
元々、学生時代にネパールを「別の発展」ができると考え出した時期に読んでいた本もこの辺りのものが多いです。
E・F・シューマッハー : スモールイズビューティフル
現代の資本主義に対してのオルタナティブな発想として最も有名な本の1つだと思います。
資源不足や環境問題を危惧し、経済合理性の優先や大量生産・大量消費社会、数値化された経済が社会の表層しか見れていないことを批判しました。
そして提唱したのが「仏教経済学」です。
少欲知足を実践し、自己利益のみの追求をやめることによる平和の実現
労働の目的を利他や人間力の向上に置き換える
自立的な技術拡大を促す中間技術の利用とそれによる発展スピードの減速
などについて言及し、世界的なベストセラーとなりました。
カール・ポランニー : 大転換
大学時に著書を読んで100%理解はできませんでしたが、印象に残っている経済学者です。
彼にとって経済とは「社会全体=広義」と「市場経済=狭義」の2種類があり、「経済」という言葉で一般的にイメージされがちな狭義の経済というのは、元々存在した広義の経済における「人間」、「自然」をそれぞれ「労働力」「土地」などの商品として捉えることで、本来の商品が持っている「販売されるために生産される」という定義を無視してあらゆるものが商品化してしまい社会全体が市場経済に落とし込まれてしまったと主張しています。
(人間や自然は本来、販売されるために作られるものではない)
このことにより物事の判断が全て市場経済に委ねられるようになるため、格差の拡大やそれによるファシズムの台頭が起こってしまいます。
これを防ぐためには人間、自然、貨幣(通貨発行権)は商品としては交換できないものとして守ることが重要とされており、狭義の経済活動とともに相互扶助や税金による再分配の仕組みが必要とされています。
個人的に最近よく名前を聞く故玉野井氏(経済学者)も彼に影響を受けていると聞きます。
中都市を増やしたい
なぜネパールで「新たな道」を模索したいのか
ネパールは後発開発途上国に位置付けられ、それは経済だけでなく西洋化が遅れていることも意味します。
西洋国や日本が資本主義の課題に直面している今、ネパールという国が同じように発展を目指しても、やがて同じような課題にぶつかることは目に見えていますし、そもそも現在の途上国は先進国の持っている優位性(生産能力、人口、技術等)を持っていないがために途上国であると捉えることもできます。またフロンティアありきの資本主義においてフロンティア自体ももうかなり減っています。
これまでの先進国と同じ道を歩んでも同じように発展していけるとは限らないのです。
そうであればネパールという国が元々持っている価値観を大切にしながら現地の人々のための発展を目指してみるというのもアリなのかなと思います。
そしてそれが達成されれば、資本主義社会の中で、小国でも再現性のある新たな社会規範のモデルになれるかもしれません。
新たな道を築くためのキーワード
上述のポランニーなどの思想や、それらをエッセンスに妄想していた私の学生時代の個人的な思想を合わせると以下のようなキーワードが出てきます。
中都市の充実
学生時代に一番感じていたのが「中都市」がもっと増えればいいのに、ということでした。
中都市の定義というのはその国の経済規模や人口によって変わると思いますが定性的な部分としては、地元出身者の雇用を守ることができたり、生活必需品はもれなくそこにある現地企業で手に入る状態であったり、行政における決定権をある程度持っていることが大事かなと思います。
この中都市を中心に経済がある程度は回る状態を作ることが1つの理想で、規模が小さければ民主主義を維持しながらも意思決定のスピードを落とさずに済むという利点もあるかと思います。食料安全保障
食料自給率とは異なる指標として食料自給力指標というものがあります。
食料自給力指標とは、ある国の農林水産業が有する生産能力をフル活用することで得られる食料の供給可能熱量を試算した指標で、この指標を大事にしたいと考えています。
平時の食事については、何がなんでも国産にこだわる必要はないと考えていますが、有事の際でもどうにか国産だけで食べていける状態というのは作っておくほうが良いと考えています。共助・共同体
共助の仕組みは資本主義以前や国家誕生以前の社会であればどこでも持っていたものだと思います。自助も公助も結局は経済的な強さが必要なため、そこに頼らず今あるコミュニティの形を維持しながら助け合える形を目指すには公助の価値にもっと注目しても良いと思います。
そして、そういったさほど大きくない規模の社会が構成されれば個人主義の課題とも言えるような自殺の増加(孤独)を防ぐこともできると思います。独自性
「伝統」「文化」と似ている概念ですが、私はこういったものが変化すること自体はしょうがないと思います。
そもそも文化は当時の人々の生活様式、芸術、信仰、伝統、価値観、社会的規範などの最適解であるため、無理して守るものではないと思います。
伝統も文化も歴史の強者がその存在を価値として認識したことで拡がっていったものだと思うので、現代でも何かしらの「価値がある」と認識されなければそれらが廃れていってしまうことは避けられないでしょう。
そのため、無理に伝統文化を守るという考え方よりも、それを元にして新たな独自的な価値を築くという方向性のほうが各中都市が生き残る上で現実的なのかなと思います。競争と再分配
競争自体はあったほうが良いと思います。
ただどう頑張ってもひっくり返せないような格差は無くしたほうがいいと思います。機会の平等というのは生来の環境以外にも転落した人も這い上がって来れる環境であるということも意識すべきです。
これらを具体的な政策案などに落とし込めるだけの力は今の私にはありませんが、この辺りを日頃から意識すると、今までとは異なった角度でのアイデアがどんどん出るようになります。
中都市をベースとすることで資本の集約は以前より起こりにくくなり、それにより今までよりも発展が遅れてしまうかもしれません。
ただ、先進国では発展よりも幸福の追求の方が大事というのは1つの大きなトレンドですし、私の考えの良し悪しはどうでも良いので、これから発展する国にも、幸福のような哲学的な問いを中心において物事を進めていってほしいと思います。
強制的な労働から解放されれば、ネパールの価値観は見直される
哲学的な問いという話をしましたが、こういうことを考える人が増えることには賛成です。
その結果としてこの世界のあらゆる思想が認知され、それぞれを価値として認識できるようになるのだと思います。
そのためには、強いられる労働は無くなっていく必要があり、やはりそういったものはテクノロジーで代替されるようになってほしいと思います。
出稼ぎ国「ネパール」である現在の姿とのギャップ
現在のネパールは出稼ぎにより若者が年間100万人以上国を出ていっていると言われています。
都市部と農村部で人口過剰と過疎化が起きるように、世界的に見てもこういった過剰エリアと過疎エリアが今後くっきりしてくるのではないかと思います。
もしそうなればネパールは後者の「過疎エリア」にカテゴライズされることはほとんど確定です。
人が都市部に集中するというのは、やはり新自由主義ありきの現象だと思うので、資本主義のレールに乗っても真正面からでは戦っていけないネパールのような弱小国は別の戦略を取る必要があるのだと思います。
多民族国家であるネパールで国民全体が一枚岩になるというのは正直難しいと思いますし、「終わり」を意識する直線的時間意識と時間が回り続ける円観的時間意識の元では成長に対する意識も異なるように感じます。
そういった事情を踏まえても、やはり集約よりも分散を選んだ方がうまくいくのかもしれません。
ネパールの若者が出ていくのは仕事がないからです。
そして仕事のなさを挙げると、買い手の無さに行き着きます。
しかし、ネパール国内にも富裕層は存在しますし、観光客を呼べるポテンシャルもまだまだあります。
どちらかというと、需要に応えられていないのだと思います。
そして不在となっている供給部分にインド、中国やその他の国が入り込んできているというのが今の構図だと思います。
ではネパール人が何かを作ればすぐ売れるとかそういった単純なものではありませんが、少なくとも安易に出稼ぎという目の前の現金が手に入る手段を選ぶことでネパールの発展を中長期的に阻害していると考えることができます。
最後に
ここまで好きなことを書かせていただきましたが、私は経済の専門家でも評論家でもありませんし、抜け目がありまくりな理論だと思います。
さらに上記の思想が絶対的に正しいとは思いませんし、それらは資本主義と対を成すものでも、より優れているものでもないと考えています。
諸行無常というように、個人や時代背景によって適切な経済思想も変わり続けるのだと思います。
ですので、思考に幅を持たせて、多様な選択肢を知るという意味でもこういった妄想も大事かなと思い書かせていただきました。
今回は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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