20200429 社会が、変わる(5)

資本主義における「企業」は、資本と経営は別であり、経営者は資本家からの出資を得て事業を行い、利益を資本家に還元する。つまり企業は基本的に資本家の「利潤を得るための道具」に過ぎない。だから企業そのものが売買されるし、不要となれば潰される。これに対し、「商い」の原点は、「生活の糧を得る」ための活動であり、当然のことながらその業はしばしば代々続く「家業」となる。

日本には元々、武士も農民も商人も、その業を「家」として代を継いで行く習慣があり、これが日本に数百年続く会社が数多く存在する理由である。尤もこれは日本だけのものではなく、他の国家、社会にも「家業」的な組織体は多くある。「企業」と「家業」この二種類の事業体は似ているようだが本質的に違う。が、しばしばこれが(特に日本においては)混同されてしまっているように思う。特に明治維新以降、日本に「資本主義」という経営思想が入ってきたとき、それが江戸時代からの「商売」とまじりあい、日本的な「考え方」を作ってしまったのではないだろうか。

まず一つ。日本には「士・農・工・商」という身分制度があった」という誤認識。私は「士・農・町(町とは商人と職人)という職業分類があった」とすべきだと思う。江戸時代は約260年と長い。例えば武士も、江戸初期には道徳的優越者という自負があったかもしれないが、時代が下り商人が経済的実力をつけてくる中期以降になると、その地位が一種の利権と化して金で売買されてもいる。商人がその生き方の教訓として読んだ西川如見の書も、「町人嚢(ちょうにんぶくろ)」と題され、商人嚢ではない。

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