「やりたいことが見つからない」は、半分本当で半分嘘。
本当にやりたいことがわからないのか?
みなさんはやりたい人生を送れているでしょうか?
人生は一度きり。
どうせならやりたい人生を送りたい。
でも、自分が何をやりたいかわからない。
果たして本当に
やりたいことがわからないのでしょうか?
以下の例をもとに考えてみたいと思います。
もし余命宣告をされたら
もしあなたが、余命半年と宣告されたら、
残りの人生をどのように生きますか?
今と同じ生き方をしますか?
それともやりたいことをやりますか?
多くの方が、後者ではないでしょうか。
もちろんよへいも後者です。
海外旅行に行く。
美味しいものを食べに行く。
好きな人と一緒にいる。
趣味に没頭する。
綺麗な景色を目に焼き付ける。
つまり、
私たちの心の中には
すでにやりたいことはあるのです。
人生の終わりが見えると、
やりたいことが急に顔を出すのです。
もし毎日の生活費をあげると言われたら
もしあなたが誰かから
「毎日の生活費をあげるから
好きなことをして生きていいよ」
と言われたらなにをやりますか?
もちろんやりたいことをやって生きますよね。
つまり私たちは
経済的に余裕があれば、
やりたいことをやるのです。
やりたいことをやらない理由
上記の例のように、私たちは
生きていけるならやりたいことをやるのです。
または、
生きれないことがわかっていても、
やりたいことをやります。
やりたいことをやらないのは、
現状を変えるのが不安だからです。
今生きていけているのに、
わざわざリスクに飛び込む必要はない。
そう思っているのです。
やりたいことが見つからないは言い訳
「やりたいことが見つからない」は見方を変えると、「環境を変えたくない自分への言い訳」かもしれません。
「生きられる保証がない。」
「環境を変えてまで努力したくない。」
こういうメンタルブロックの影響が「やりたいことが見つからない」という言葉となって現れている可能性があります。
やりたいことをやって生きるという覚悟
つまり、やりたいことをやるには、
覚悟を伴うのだと思います。
多くの人は、覚悟を決められない。
だから、やりたいこともできない。
一部の覚悟を決めた人たちは、
やりたいことを、決死の覚悟で取り組んでいる。
だから、やりたいことができている。
言うのは簡単ですが、行動は難しい。
少し大げさかもしれませんが、
やりたいことをやって生きられるのは
覚悟を決めた人に与えられた
特権なのかもしれません。
まとめ
上記のとおり、
やりたいことがわからないのではなく、
やりたいことをやって生きる覚悟がない。
そう言い換えてもよいかもしれません。
「やりたいことをやって生きる」
そう決めた瞬間から、
やりたいことの輪郭がはっきりしだし、
やるべきことが見えるようになるのかもしれません。
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