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【映画雑記】「ブラック・クランズマン」は日に日にその威力を増す。

はいみなさんコンバンハ。

 今夜ご紹介するのは「ブラック・クランズマン」。クランズマンってなんでしょね?KKKのことですね。KKKってなんでしょね?「白人最高!有色人種はカス!」っちゅうヤバい主張をして、しかも実行に移している本当にヤバい人たちですね。それがブラックで黒人のKKK。なんちゅう皮肉、いったいどういうことでしょ?

ちょっと淀長先生モードをオフります、すみません。

 1970年代のこと。ある黒人警官が、KKKが新聞に出した新会員の勧誘広告にふとした思いつきで電話をかける。持ち前の口八丁で「いやほんとニガーとユダヤ人はこの世から消えるべきですよ白人最高、アメリカ万歳!」などとまくしたてたら気に入られてしまい、面接に誘われてしまう。しかしかれは黒人だ。そのまま出向こうものなら当然、命が危うい。しかし、これはKKKの違法行為を明らかにする絶好のチャンスだ。そこで彼は、白人の同僚に自分の身代わりを依頼。2人で1人を演じるトリッキーな戦術でKKKに挑むことになる。この話はなんとファッキン実話である、マザファカ

 主演のジョン・デヴィッド・ワシントンと、潜入する相棒、アダム・ドライヴァーの組み合わせが抜群に良く、語り口も歯切れのいいテンポで、中だるみすることなく最後まで見ることができる。過去の差別による惨劇を語り継ぐ長老的な役どころでハリー・ベラフォンテがキャスティングされていたのも見る人が見ればグッとくるポイントだろう。代表曲「バナナボート」を挙げるまでもなく、長いキャリアを通して黒人の地位向上に努めてきた人物である。また、蛇足ではあるが1970年代のブラックスプロイテーション映画ネタや、ソウル、ファンクからKKK好みのサザンロックまで聞かせるサントラも幾分タランティーノ的ではあるけど飽きさせることがない。しかし、タランティーノにはできない大技をスパイク・リー監督はラスト10分で叩きつけてくる。

 黒人警官とKKKの攻防を描く物語自体は、多少の苦味は残るものの一件落着の様相で終結する。しかし、ここでスパイク・リー監督は実話を基にした物語から、現在(製作当時2017~2018年)の物語の外、すなわち現実へと視点を映すのである。数々のヘイトクライムや例のシャーロッツヴィルの自動車特攻テロの実際の記録映像が生々しく画面に映し出される。タランティーノなら映画のマジックだと嘯いてKKKを皆殺しにして偽りの解決で観客の目を眩ましてしまうかもしれない。それを許さないスパイク・リーの剛腕。「これで映画は終わるが、お前の周りを見渡せば何も終わっちゃいないんだぜ」という怒りが静かに、ダイレクトに伝わってくる。そして、2020年。まだまだ何も終わっちゃいない厳しい現実が、♯Black Lives Matterという言葉ともに改めて世界中に晒されることとなった。奇しくもスパイク・リーの代表作「ドゥ・ザ・ライト・シング」の一場面を彷彿とさせる白人の黒人に対する暴力から端を発したのも象徴的だ。報道番組でデモや暴動の映像を見るたびに、「ブラック・クランズマン」のラストに新たなフッテージが追加されてしまったように思われて仕方がない。エンドクレジットに流れるプリンスによるピアノ弾き語りも泣かせるぜ。ところがであるが、数々のレビューを見る限り、このラスト10分でこの映画の好き嫌いが決定的に分かれてしまうようだ。はっきり言わせてもらうが、この映画を好き嫌いなんていう5点満点の短小包茎な物差しで測るのは愚の骨頂。この映画に向き合うことは、現在、世界中に蔓延する不寛容、差別、憎悪、分断に向き合うこととイコールである。それに向き合う勇気があるか、自分が試されているのである。

目を背けてはいかんのであるよ。


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