旅立ち‐エスパニョール選手寮生活日記 最終回
寮に住んでいるこの期間の間にいろいろなものを得た。寮を出ることにした。理由はいくつかある。
門限が11時とか、トイレは基本的に流さない(小の方だけね)とか、4人部屋のドミトリーなのに家賃高い(これが本当の理由)とか。
物書きとしての経験として、この寮を出るのは惜しいとは思う。普通に生きてたら間違いなくできない経験だったから。
でも、もうすでに選手のみんなは、街やグランドで会うと「KAZU」と声をかけてきてくれる。
私は寮を出ても、毎週末はエスパニョールのグランドに試合を見に行く。みんなと話をしに、寮にメシも食いに行く。
これまで積み上げてきたもののおかげで、もう寮に住むことに固執しなくてもいいかな、と思った。
この海外での生活は4年前から計画していたことである。漠然と頭の中に描かれていた流れ。
・東京で働いて2004年のヨーロッパ選手権までに目標金額を貯める
↓
・それまでにサッカーのライターとしての仕事があればいいな
↓
・ドイツのワールドカップまで海外でキャリアアップを
ここまで描いた人生のプランは、おおかた、いや、かなり順調に計画通り進んでいる。EURO2004ではライターとしていくつかの媒体で書かせてもらった。バルセロナにきてからは、バルサ、エスパニョールの試合を毎週観戦している。
実に人との出会いに恵まれたと思う。
でもここバルセロナにきてから、明確な次の目標が見つけられずにいた。どうしたいのか、自分がもっと、どうなりたいのか。
そんなときに「選手寮に」という話がわいて出たのが、また強運だったと思う。
ここ数ヶ月間、本当にサッカーを見るのが楽しかった。
他でもない、エスパニョールのフベニールA(18歳のチーム)の試合を毎週見に行って、心の底から選手達を応援できることが。
部屋で免許の勉強してるのを見たり、ウイニングイレブン一緒にやったりしたやつらが、目の前で戦っている。
いつからか私は自然に、「週末は子供らの試合があるからなぁ。みんなの写真撮りにいかなあかんねん」と、休みの日のスペイン人おじさんのようなことを言うようになっていた。
結局、サッカーというボールゲームだけ見てていても、ドラマは見えてこない。そこにかかわる人がおもしろいわけで。
そんなことは前から知ってるけど、経験したからこそ感じることもある。
そんな人の思いを書いていきたい。
どこまでできるかわかんないけど。
まぁいけるとこまでいってみよう。
だから、これでエスパニョール選手寮生活はひと段落です。
寮に住んでいるこの期間の間にいろいろなものを得た。
中でもやっぱり一番は、門限に縛られる女子高生の気持ちがわかったこと。これはツライね。めんどくさいもんね。
あともうひとつは、洗濯物の中から持ってきたクゥロ君(R・マドリーから引き抜かれてきた選手)のバスタオル。これはちゃんと次の家でも使わせてもらうから。
それぞれの選手が、納得のいく現役生活を送るれるように、祈りつつ。
<2005年1月15日日記>
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エスパニョール選手寮生活日記 記事一覧
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【名作選】
◆エスパニョール選手寮生活日記[再編]-始まりはフィデウア
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◆チネが肩の手術をした
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<再編集過程で何かしら協力してくれた人たち>
『人生RPG攻略』 https://okekolog.com/