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前提として「結局、人はわかりあえない」と意識することが重要なこと。

「きっと、わかりあえるはずだ」
という幻想に
我々は苦しんでいるのです。

そして、勝手に期待をして
勝手に裏切られたと憤慨しているのです。

そこに必要なのが
「結局、人はわかりあえない」
という意識なのです。

人はわかりあえないという前提を意識して
過ごしている中に

「ひょっとしてわかりあえた!?」
というミラクルな時があったり

「ひょっとして、わかってるいる振りをしてくれてる!?」
わかりあえてないかもしれないけれど。

はたまた、
「ひょっとして、私に合わせてくれている!?」

そんなことがあるのです。

そんなことに出会った時こそ、
「ありがとう」なのです。


前提として、わかりあえないのですが、
わかりあえた(ように感じる)奇跡に
「ありがとう」なのです。

わかりあえるなんて
前提で過ごしていたら、
ありがたみなんて
感じないかもしれません。

だからこそ、

「結局、人はわかりあえない」
と意識することが重要なのです。


そして、
自分だけでなく
相手もこのことを意識する。
互いに「わかりあえていないこと」
を認めることが、
もっと生きやすい世の中を
つくることができるのではないでしょうか。

わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために
生きているのではないし、
あなたもわたしの期待にこたえるために
生きているのではない。
私は私。
あなたはあなた。
もし縁があって、
私たちが互いに出会えるなら
それは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、
それも仕方のないことだ

ゲシュタルトの祈り

前提として「結局、人はわかりあえない」と意識することで
生きやすくなるのです。

なんしかカッコいい大人になろう。

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