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秋、日常。

 空気から湿気が去り、夜空はひどく大きな月を運んできた。その空気は歪んだような解像度の低さから、微睡のような解像度へと変わっていった。歪んだ解像度は湿度からくるものだったが、微睡のような解像度は甘い香りからくるものであった。深い緑の葉を深い橙色が飾り付けている。

 窓から指す弱い日差しがゆっくりと意識を引き戻した。体温に近い温度の水がこれほど気持ちのいい朝は未だかつてあっただろうか。昨晩感じたように情景が変わったのは外気だけではない。家の中、クローゼットの中も出番を待ちわびていた懐かしい素材の服たちが所狭しと並んでいる。

 目覚めからゆっくりと流れる時間を堪能し、今日はそのままゆっくりと時間を過ごすことに決めた。天気を調べた後、玄関へ向かう。磨いたばかりの革靴が足を迎え入れ、外へと連れ出してくれた。

 電車に揺られてしばらくして、降りたこともない駅に降りた。少し手に余る大きさのスマホが表示する公園を目指して歩き出した。足取りは軽い。自分がただの位置情報として表示されているのは不思議な気分だ。公園が近づくと空気の解像度が下がっていく。甘くどこか悲し気。吸い込まれるようにその香りを辿って公園へと入っていった。

 公園では様々な人が目に入った。世間でいう平日であると言うのに。走っている人、雑草を刈る人、楽器の練習をする人、杖をついた老人、近所の仲間と将棋を打つ人、ベビーカーを押す人、犬の散歩をする人。

 少し園内を歩き、日当たりのいいテーブルとベンチを見つけた。そこに腰掛け、徐々に強くなっていく西日を感じながら空気の解像度にさらされていった。公園の一部になる。視界に入るのは散歩している犬同士がじゃれあい始める光景だ。犬はすぐに打ち解ける。しかし、飼い主同士は目も合わせもしない。犬を介して声をかけている。そんな飼い主には目もくれず犬同士はお互いしつけの行き届いた加減でじゃれあっている。その光景をみて飼い主は満足そうだ。そこに飼い主同士のコミュニケーションはほぼ存在しないのに、共通の犬という愛すべき存在が満足気であるのをみることで言葉はなくとも通じ合っているのだろうか。

 読もうと思って持っていた小説をテーブルに置き、その光景を眺めていた。やがて自分に笑みが浮かんでいることに気が付いた。他人の日常から自分の日常へと意識が戻った。

 席を立ち歩き出す。誰かの日常を自分の日常が取り込んだ今、漠然と包まれていた甘い香りは鋭く掴めた。

 微睡のような解像度はフィルターへと成り下がった。


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