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世界は誰かと繋がってできている。

 俺の家は複数の路線が通っている駅から4キロほど先に位置している。

 必要な路線に乗るために自転車を駆り出し、道程を辿っていた春の良き日にそれに出会った。家を出て団地の角にある交番を左折したのちひたすらまっすぐ進むと駅が見えてくる。その十字路で信号待ちをしていた時だ。一車線のその道の右側の歩道にママチャリに乗ったおばさんがいた。俺と同じように信号待ちをしていた彼女の自転車は使い込まれた鈍い輝きを放つボディで、前方だけでなく荷台にもかごがついていた。おばさんと自転車の貫禄に感心して眺めていると、とんでもないものが俺の目に飛び込んできた。

 オウムである。

 荷台のかごの端に黄色いオウムがとまっているではないか。

 目を疑った。何食わぬ顔で信号に目を戻しもう一度おばさんのほうをみた。

 オウムがとまっている。

 熱帯地域にいそうな派手な黄色のオウム。シャキール・オニールのバッシュくらいのサイズのその鳥は派手な見た目に反して荷台のかごで微動だにしなかった。

 果たしてこのオウムはおばさんが飼っていて、わざわざ自転車で外に連れ出しているのか、たまたま逃げ出したオウムがおばさんの自転車の荷台にとまりおばさんが気づいていないだけなのか、いや、仮におばさんが飼っていたとして大空を羽ばたく翼がある生物を心地いい風を感じることのできる自転車で連れ出すだろうか、逃げ出してしまうではないか、そもそもおばさんはオウムを飼っているのか、だとしたらなぜ飼っているのか、実はおばさんには舌がなくてオウムが代わりに喋るため連れまわしているのだろうか、だとしたら盲導犬と同じような扱いで店には入れるのか、、、

 と、突拍子のない事態に突拍子のない思考が俺のシナプスを爆速で駆け抜けたものの結論は出ず、信号が変わった。俺もおばさんも日常の一コマ、いたって自然に進行方向へ自転車を漕ぎ始めた。

 その日以来そのおばさんとオウムには出会っていない。突拍子もないことがこの世には溢れていることを再確認し、駅に着いた。

 改札を通ろうとした時、ICカードの残高が足りなかった。

 店で探していたワックスが見つからず店員に尋ねたら目の前にあった。

 ATMで暗証番号を間違えた。

 帰りの改札では財布のICカードが入っているのと反対側を改札にかざし、阻まれた。

 その日は一日浮足立っていた。

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