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【連載5/5】「融合の詩篇 エヴァンゲリオンに宿る聖書の魂」

終章 エヴァンゲリオンにおける個人の救済と集団の救済


個人の救済ってなんやろな? エヴァで言う救済ってんは、外の敵と戦って勝つだけやなくて、もっと心の中の話やねん。シンジがお父さんとの関係や自分の価値に悩んで見つける答えや、アスカが自分の弱さとどう向き合うか、レイが自分の存在意義を探る旅は、みんなが抱える「生きる意味」について深く問いかけてるんや。

集団の救済ってどういうことやろ? この物語は個人の救済だけやなくて、人類全体の救済ってもっと大きなスケールの話もしてんねん。エヴァの世界で、人類が直面する終末の危機を通じて、みんながどう一致団結して、どう新しい未来を切り開くかってことを問うてるんや。

キリスト教で言う罪からの贖罪と救済ってテーマがあるやん?エヴァではそれがもっと広い意味で描かれてんねん。個人が抱える罪や苦悩を乗り越え、真の自己実現を遂げる過程や、人類が一つになって新たなスタートを切ること、これら全部が「救済」として描かれてるんや。

現代社会への問いかけってなんやろな? エヴァがわれらに投げかけてるのは、「本当の救済ってなんやろな?」ってことや。現代社会でわれらが直面してる問題や苦悩にどう向き合い、どう乗り越えていくか。キリスト教の教えをヒントにしつつ、それを超えた答えを自分で見つける旅が、エヴァがわれらに提案してることやと思うで。

結局、エヴァは、個人も集団も、「救済」を求めてるって普遍的なテーマを通じて、われら一人一人に深く響くメッセージを持ってるんや。そしてな、その答えを見つける過程は、自分自身の内面とどう向き合うか、周りの人とどう関わっていくかに大きく関わってくるんやで。

この話は、ただのエンタメを超えて、現代社会に生きるわれらが抱える根本的な問題に光を当ててくれてる。どうすれば本当に「救われる」ことができるか、その「救済」が個人だけでなく、われらの社会全体にどう影響していくか、そんな大きな問いを投げかけてくれてるんや。

エヴァとキリスト教の教え、それにニーチェの批判を織り交ぜて、この話はわれらに深い洞察といっぱいの問いを提供してくれるねん。それは、単純な答えを出すんじゃなくて、自分で考え、自分の答えを見つけることの大切さを教えてくれてるんや。

最終的に、「救済」とは何か、それを見つける旅は、エヴァがわれらに残した最も重要な遺産のひとつやねん。この話を通じて、われらは自分自身と向き合い、よりええ未来への一歩を踏み出す勇気を得られるんや。エヴァは、その旅の案内人やってわけや。

やから、この話からわれらが学ぶべきことは、自分自身の「救済」を求める旅を恐れず、勇気を持って一歩を踏み出すことや。そして、その過程で見つける答えが、きっとわれら一人一人の人生に新たな意味をもたらしてくれるはずや。

それが、エヴァが現代社会に投げかけてる最も深い問いかけやと思うんや。自分の内面としっかり向き合いながら、周りの人たちとどう関わっていくか、それが大きな鍵を握ってるんやで。

エヴァンゲリオンは、そういう深いテーマを持ちながらも、われらを惹きつける魅力がある。それは、ただの物語やアニメーションを超えた、われら自身の人生と深く関わってくる何かを持ってるからや。

だからこそ、多くの人がこの作品に心を動かされ、いろんな考え方や生き方を見つけるきっかけになってるんやな。エヴァを通じて、われら自身の「救済」を模索し続けること、それがわれらに与えられた課題やとも言えるで。

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