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ポルトガル〜成熟した大人の雰囲気がある国〜

以前にも書いたが、ロカ岬というユーラシア大陸最西端の岬を見たくてポルトガルに行ったことがある。すごく思い出深い旅立ったのに、今までこうして文章として残したことがなかったなぁと思い、振り返りとして書いてみようと思う。

私には語学学校で同じクラスだったポルトガル人の女の子の友達がいた。歳も近く、いつも声をかけてくれる気さくで優しい子だった。

日本に戻ってからも交流は続き、日本にも遊びに来てくれた。そして今度は私が「ポルトガルに遊び行こうと思っている」とメッセージを送ると、「じゃあうちに泊まりなよ!」と快く迎え入れてくれた。

パリを経由してリスボンに着いた頃はもうクタクタだったが、彼女がエールフランスの社員だったため、リスボン空港の素晴らしいラウンジに案内してくれた。「好きな物を飲んで食べて寝てていいから、仕事が終わるまでここで待っててね」と言われ、私はサンドイッチを食べて少し仮眠を取りながら、彼女が来るのを待っていた。

本当ならば2日間リスボン中を案内してくれる予定だった。しかし彼女の親戚の方が不幸にも前日にお亡くなりになったということで、友人はパリに住む親戚を迎えに行かなくてはならなくなった。それでも彼女は私にポルトガルのいいところを見せようと頑張ってくれ、シントラの宮殿やロカ岬に連れて行ってくれた。

実はお葬式前夜の日本でいう「お通夜」にあたる式にも参加をさせていただいた。故人のことを全く知らなかったけどご冥福をお祈りしたことや、教会の中が蝋燭の火だけで薄暗く、厳かだったことを今でも覚えている。

友人がパリに行ってしまったので、私はリスボン市内を一人で観光した。

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朝のリスボン。とにかく坂が多く「長崎に似ているなぁ」と思った。ちなみに長崎市の姉妹都市は同じポルトガルの「ポルト市」だそうだ。

ポルトガル語はあいさつしか練習してこなかったので、観光は地球の歩き方とフランス語でなんとか乗り切った。なぜフランス語が大丈夫だと思ったかというと、昔ポルトガルからフランスへ移民として入った人が多かったという話を聞いたことがあり、もしかしたら通じるかもと思ったのである。また、フランスでお世話になったマダムがポルトガル移民2世だったことも理由の一つだ。

実際割と年配の方にフランス語で道を尋ねてみると、「マドモワゼル、あなたのフランス語はよ〜く理解できるんだけど、このお店のことを私知らないのよ」とフランス語で返された。私はこんな調子で、タクシーに乗ってもレストランに行ってもフランス語で乗り切った。

ポルトガル料理は日本人の口にあう。

バカリャウというタラの塩漬けは有名だが、魚介類を使ったお料理がとにかく美味しくて全然飽きなかった。あとは有名なエッグタルト。

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正直マカオの食べ物だと思っていたけど、マカオは1999年までポルトガル領だったから、こちらが本場だ。

あとリスボンといえば市電とケーブルカー。これがまたすごかった!市電はものすごい速さで走ってくる。

坂が多いので丘を上下に行ったり来たりする路線もあれば、街中をビュンビュン走っていく路線もある。

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だってこの勾配だもの。ケーブルカー、とってもかわいいでしょ?

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洗濯物がこんな風に干してある家も多い。

一日中この市電とケーブルカーを利用して、ジェロニモス修道院や、天正遣欧少年使節の少年たちがポルトガル到着時に訪れた(1584年)際に、宿舎として使われた教会にも足を運んだ。

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そして今回ヘッダーにも使った「発見のモニュメント」である。

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大航海時代を記念した記念碑。先頭に立つのは、大航海時代の先駆的指導者であった、エンリケ航海王子。そのほかにも、ヴァスコ・ダ・ガマやマゼラン、フランシスコ・ザビエルなど私たちにも馴染みのある人たちが登場する。ポルトガルから世界各地へ進出していった大航海時代。日本も発見!

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鉄砲が種子島に伝来した1543年より2年も早く、現在の大分県にポルトガル船が漂着し、それがポルトガル人の最初の上陸とされている。その後はザビエルによるキリスト教の布教活動や織田信長らの庇護のもと南蛮貿易が行われ、両国の貿易はマカオと九州を拠点としながら発展していった。


以前テレビでポルトガル固有の感情表現である「サウダーデ」という言葉を耳にした。失われたものに対する郷愁、思慕、切なさ、悲しみや懐かしさなどの意味合いを持つ、ポルトガル独特の感情表現とされている。他の言語では一つの単語では表現しづらいそうだ。

リスボンを観光しているとき、私もなんだか懐かしいという感情に時々浸っていた。街角の木陰、路地裏、食べ物、丘の上から見た景色、訪れた教会・・・。なんというかフランスやイタリア、イギリスでは感じなかった「懐かしさ」や「哀愁」を感じたのである。もし時間があれば、ファドと言われるポルトガルの代表的な民謡を聴きに行きたかったが、友人のお姉さんが私を迎えに来る予定になっていたので、それは実現しなかった。

個人的な意見として聞いてほしい。
ポルトガルはしっとり、ゆっくりした、成熟した大人の雰囲気を持った、奥深い国だなぁと感じた。大航海時代に始まる繁栄、その衰退の過程がサウダーデというポルトガルだけが持つ独特の哀愁を感じさせるのだろうか?

東洋とも古くからつながりを持っていたところも私がなんだかわからない懐かしさを感じた要因の一つかもしれない。


日本人にとって観光地としてはマイナーで遠い国かもしれない。だが、私はぜひもう一度訪れて、あのサウダーデを感じてみたいのだ。


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