見出し画像

母ともう一度ヨーロッパ旅行に行けるか?

最近私の母は、Fire TVに話しかけてお気に入りの動画を見るのにハマっているらしい。

母が特に愛しているのは、ウィーン少年合唱団と映画「サウンドオブミュージック」と「美しき青きドナウ」なので、きっとそんなのばかりみているのだろう。

そんなウィーン好きの母はドイツ語をちょっと知っている(全然話せないけど)

昔私の住む田舎にドイツからの留学生がやってきた。
知人宅にホームステイをしていたので、母と私でお見送りに行った。
そしたら母が聞いたこともない言葉で何やら話しかけている。留学生も笑っていたのでおそらく通じたのだろう。
私が外国語を話すのにあまり抵抗がなくなったのは、「お母さんですら何か喋って通じているんだから自分も大丈夫」という変な自信だった。

一昨年ウィーン少年合唱団が来日公演をした時、ファンとの交流会があった。母は初めて合唱団が来た時、つまり今から50年以上前のパンフレットを握りしめて、それを指揮者の先生に見せた。私が通訳として間に入って、「母は50年以上前の初演を見て以来の大ファンです」と伝えると、先生もめちゃくちゃびっくりして、とても喜んでくださった。

そんな母と私はヨーロッパを3度一緒に旅行したことがある。
ロンドン1回とフランスを2回、計3回だ。そのうち一度は航空会社のオーバーブッキングでビジネスクラスにランクアップするという奇跡もあった!

母は「どんなにおしゃれしたって向こうの人には敵わないから」と特別な洋服を買わず、普段着でコートの下にポシェットが隠せるものを選んでくる。一見旅慣れた人のようだ。

時差ボケは仕方ないにしても、ヨーロッパでの母は非常に元気だ。

ロンドンでも日本語で知らない人に話しかけてヒヤヒヤした。

そしてフランスは全てのものが美味しく、全然苦にならないと言っていた。

特に3回目は私の留学が終わり、帰国するにも荷物が多すぎるため迎えにきてくれた。しかも叔母(母の妹)、叔母の友達2人の4人で。

英語も喋れないのに、空港からよくぞホテルまでたどり着いた!

キッチン付きのホテルを借りていたので、日本から蕎麦やら米を持ち込んで、さらにフランスの食材も大量購入し、なかなか楽しい旅行だった。特にモン・サン・ミシェルまでの小旅行ではかなり長い道のりなので、みんなで朝からおにぎりを握り持参した。それをTGVで食べていたら、フランス人から珍しそうに眺められた…。(いや、白い目で見られていた)

LEONでムール貝を食べたり、ルーヴルでモナリザを堪能したり、エッフェル塔の夜景を観れるディナークルーズにも参加した。

ある日おばさん4人がオルセーに行きたいというので、「オルセー美術館に行きたい」と私がフランス語で書いたメモを持たせて、タクシーに乗って4人で大冒険に出かけた。(母はルーヴルよりオルセーが好きらしい)

到着して絵画を堪能していたところ、セーヌ川を一人ぼんやり眺めている日本人女性に出会ったという。

田舎のおばちゃん、しかも4人中3人がナースだったためなんとなく放っておけなかったのだろう。

「旅行ですかー?」と気軽に声をかけたという。彼女は夫の仕事でパリに来たはいいものの、言葉も通じず友達もおらず、毎日ここにきて川を眺めているといったそうだ。おばさん4人に囲まれて久しぶりに日本語を話せた彼女は、笑顔になりとても嬉しそうだったとのこと。

ホテルに帰ってきてからも「あの子心配だわぁ」とおばさんたちの話は止まなかった。

この旅行は最後の最後までてんやわんやで、まず私の荷物を分散して持ち帰ってもらい(スーツケースパンパン)、帰国便を待っていたらやたら空港に銃を持った軍人さんが多くて、ただならぬ気配があったり、飛行機がめちゃくちゃ揺れたりと、日本に着くまで大変だったようだ。

すでに10年以上は経っているので、4人それぞれが介護や配偶者との死別、体の不調を経験し、口々に「いい時にフランスに行けてよかった」と言っているという。

たしかにモン・サン・ミシェルやベルサイユ宮殿など電車での移動だったが、足腰が強くないと本当に無理だった。


実はつい最近まで母とはうまくいかない時もあった。私の過去のこともなかなか理解してもらえず、言うこと全てにカチンとくる時もあった。口をきかない時もいっぱいあった。どこか母の期待に応えようとして苦しくなる自分もいた。


母と娘の関係って本当に大変と思っていた時に、母娘問題を多く経験されているカウンセラーの先生の講演で、「LINEとか親子であっても敬語の方が良い距離感が保たれる」と仰っていたので、それを今でも実践するようにしている。


そんな状態だけれど、今やっぱり一番遠くからサポートしてくれているのは母であり、丈夫に大切に育ててもらったことを感謝している。


そんな母とどうしても行きたいところがある。
それはウィーンとザルツブルグだ。
ウィーン少年合唱団、そしてサウンドオブミュージックの聖地であるため、死ぬまでに母がどうしても行きたいところだ。

画像1

数年前の母の誕生日ケーキ。自分でオーダーしておいて「?」と意味がわからなかったが、サウンドオブミュージックのマリア先生の衣装を着ている母だった笑(チロル風なのよね)


80歳になるまではなんとか元気でいてもらって、夢が実現できたらいいなと思っている。これは母の夢であり、私の夢だ。女2人でどんな旅になるか想像するだけで楽しくなる。健康面を考えるとこれまで以上の配慮が必要になるだろうが、私の夢を全力で応援してくれた母の夢は全力で叶えてあげたい。


サポートしてくださるとめちゃくちゃ嬉しいです!!