見出し画像

【書評】ディストピア小説の書き手、ディストピア論に触れる

出発点:ディストピアとはなんなのか

今年4月。僕はディストピア小説『牲愛』を公開した。

https://t.co/ooW3lKSxIc


そもそも「ディストピア小説」というジャンルを知ったのはTwitterのおかげで、「ディストピアものならこれが面白い」というのをまとめてくれている人のツイートを見つけたのが始まりだった。

あれも、これもディストピア。
あるいは時代が進むほど、現代こそがディストピア。

「ディストピアもの」と呼ぶに相応しいジャンルを築いているということは、特定の作品がそのジャンルに含まれるための条件というか、ディストピア小説が持つ「本質」のようなものがあるのではないか。

あるとしたら、その本質とはどんなものか。
何をもって「ディストピア小説」になるのか。


そんなことが気になっていると、Amazonのおすすめにぴったりの本が現れた。密林、グッジョブ。

それが円堂都司昭著『ディストピア・フィクション論』(作品社)と『ポスト・ディストピア論』(青土社)である。どちらもずっしりと読み応えのある本だ。


ディストピアとジェンダー

私はディストピアものの中では伊藤計劃先生の『虐殺器官』とレイ・ブラッドベリの『華氏451℃』、マーガレット・アトウッド『侍女の物語』『誓願』が同列でお気に入りだ。

『誓願』は『次女の物語』の続編だが、前作とは異なりより明確な希望に満ちた描かれ方をしている。
それは数十年の時を生きるうちに筆者の周囲の現実がより暗澹としてきたことに由来する結末ではないかと私は考えている。

せめて物語の中にだけでも救いを見出したくなってしまうような。


だからこそ『ディストピア・フィクション論』の帯に『侍女の物語』の名前を見つけたとき、心が躍った。

心を抉って印象深すぎる作品が、どのように論考されているのだろう。
(もちろん『虐殺器官』も『華氏451℃』も取り上げられている)


『ディストピア・フィクション論』は2019年に、『ポスト・ディストピア論』は2023年に刊行されている。

どちらの本でも「ジェンダー」と銘打たれた章は存在するものの、より深く考察がなされているのは『ポスト・ディストピア論』である印象を受ける。

『ディストピア・フィクション論』での『侍女の物語』の扱いは表層を出ないあっさりしたものである感が拭えない。
この本でより詳細に、深く考察されているのはどちらかというと都市構造や物語に織り込まれた作家たちの政治観に思われる。
私にとっては「痒いところに手が届かない」感覚というか。円堂さんという評論家はジェンダーについて知識を得始めながらこれを書いたのではないか……と考えながら読んだ。

一方の『ポスト・ディストピア論』は、痒いところに手が届くジェンダー論考がなされている。ディストピア小説においてジェンダーや性差、生殖についてどのように描かれているのかが特に知りたいと思う人は、『ポスト・ディストピア論』の方を読むとより理解が深まるのではないだろうか。

1冊目と2冊目の間に流れた4年という歳月が、作者の考えをより深めたか知識を増やさせたのだろうと感じる。

また『ポスト・ディストピア論』の方では『誓願』についても触れられているのがまた素晴らしい。
『誓願』は2020年に刊行されているため、『ディストピア・フィクション論』では取り上げようがなかった。

マーガレット・アトウッドの描くディストピア世界とディストピア・ジェンダー論そのものがともに深まっているのが感じられる。


ディストピアものとして触れる「トイ・ストーリー」

『ポスト・ディストピア論』にピクサー映画の「トイ・ストーリー」の名が登場したのには驚いた。

私はジョブズならびにピクサー作品が大好きだが、賛否両論、というか「否」の方が多く耳に入ってきた「トイ・ストーリー4」だけはまだ見れていない。

「ポスト・ディストピア論』ではトイ・ストーリー作品全体と、4で描かれた展開についての考察パートがあり、私が先入観的に抱いていた「4はトイ・ストーリーらしくない」という印象を塗り替えた。

まだ実際に作品を見る決意は固まっていないけれど、「絶対見ない」という思いが「機会があったらぜひ見よう」に変わるレベルのインパクトはあった。

「トイ・ストーリー」シリーズをディストピアものとして見直すという試みほど、世界の構造を疑う良い思考の練習はないのではないかとさえ思う。


現実的ディストピアからの脱出方法

副題にもあるとおり、『ポスト・ディストピア論』には「逃げ場なき現実を超える」ところまでが志向されている。

目次にも第6章に「脱出/追放/独立」が設けられている。

『ディストピア・フィクション論』がディストピアものにさまざまな形で描かれる「ディストピア的要素」の抽出だとすれば、『ポスト・ディストピア論』は現実と創作のディストピアからの脱出方法まで網羅した未来志向の書と言えるだろう。


余談:

私が分厚い両書と向き合っていたとき、偶然にも並行して定期購読している雑誌があった。

岩波書店刊行の『世界』という雑誌である。

世界の窓と呼ぶに相応しい、国内、国外さまざまなニュースとエッセイと書評を詰め込んだ、内容重質の月刊雑誌だ。

さまざまなジャンルの文章が集積されているのに、毎月全ての記事に通底するテーマのようなものが感じられ、編集者さんの「編む」技術の粋に息を呑むばかりである。


『ディストピア・フィクション論』の第二章「権力の戯画と理想」にはこの『世界』ともつながるような(※各作品の筆者の)政治指向について触れた部分があり、『世界』で前提知識を得たり、政治経済についての文章や用語に慣れておくととても読み解きやすくなると思う。



拙著『牲愛』はこちらから↓
https://t.co/ooW3lKSxIc


読んでくださりありがとうございます。良い記事だな、役に立ったなと思ったら、ぜひサポートしていただけると喜びます。 いただいたサポートは書き続けていくための軍資金等として大切に使わせていただきます。