削りながら書くことに疲れた
どうも。「無気力」です。
※この記事は、遠回しなトラウマ体験への言及に注意しながら読んでほしい。
燃え尽きた後でまだ完全回復していないからなのか、
それとも、もともと向き合う心の準備が整っていないからなのか。
最近、子育て系の記事を書くのに疲れてしまった。
僕は「パニック少年」と同じような経験をする子どもがひとりでも減れば幸いだと思って、子育て系の本を読み、経験を踏まえた子育て系の記事を書いている。
根底には「潜在的に子どもを助けたい」気持ちがあると思っている。
同時にこの行動は僕たちにとって、通過したはずのトラウマと再び向き合うこと。
文章に直接的な形では出さないにしても、キーボードを叩く僕の脳裏には「あの時」が幾度も再生産され、「もしあの時、こうしていたら……」「この知識があったら……」などと、当時の自分たちを救い出す方策と、当時の辛さを考えずにはいられないのだ。
もう思考の回路がそういう風に繋がってしまっているんだと思う。
切り替えたり、回路を繋ぎ直したりするのにはこれから長い時間がかかるだろう。僕たちはまだ始めたばかりなのだから。
それでも、潜在的に子どもを助けたいと思う。
それで書く。
書き上げた後、もう僕たちはその日なにもできない。
すっかり虚脱してしまって、それこそ無気力になって、家事も、読書も、何も手につかなくなってしまうのだ。
まるで何かを削り取られてしまったみたいに。
削り取る「何か」とは、すなわち僕たちが大切に溜めながら生きている「生命力」だと思う。
当時を再体験(フラッシュバック)するという経験は、幾度も幾度も「あの時」の無力と逃げ場のなさを再体験することだから。
書きたい記事が3つぐらい溜まっているのだけれど、「溜まっていること」それ自体と「書き上げたあとの虚脱への恐れ」が、板挟みになって僕を責め立てる。
書きたいけれど、書きたくない。
いっそ美味しいおやつでも用意して、自分を鼓舞しながら書き上げてしまったほうがすっきりできるのだろうか……。
もう少し休みながら考えたいと思う。
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