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心を守りながら小説を楽しむために意識していること

先日も、こんな記事を書きましたが、

共感力が高くて、自分と他の経験との境界が弱いことに関連した話です。

好きな本を読むというストレス

私の趣味のひとつは読書です。

小説からビジネス書、家事・育児、専門書まで、けっこういろんなものを読みます。

特に小説系「他人の人生を体験できる本」との付き合いは古く、ファンタジーな世界を疑似体験したり、自分とはまったく違う生き方をしている登場人物を知るのがとても楽しいです。

ところが、ひとつ問題が。

私は小説を読んでいる時、非常に疲れるのです。

これまでは「なんだか、疲れるな」とだけ思っていたのですが、ずっと疲れていては困ります。

私は本が読みたいのですから!(力説)

というわけで、改めて「なぜ疲れるのか」について考えてみました。

原因1:本が手から離れなくなるから

私は読んでいる小説が面白いところにさしかかると、本が手から離れない病にかかってしまいます。

本当に、離れないのです。

シンプルに物語の構造を考えると、ストーリーとは「起承転結」から成り立っています。

そして面白い話は、「転」から「結」に向かう後半が最高に面白いのです。

だから「転」にさしかかり、残りページが少なくなり、ストーリーもスピード感を増して――となると、

「ページ的にも残りわずかだし、先の展開が気になるから読み切ってしまいたい」

という心理が働くわけです。

これが夜中に発生すると大変です。

まだ私が体調を崩していた頃、あまりにも面白い本を読み始めてしまい、めでたく(?)「本が手から離れない病」を発症した夜がありました。

時計はすでに10時を過ぎ、11時、12時……。

普段ならとっくに寝ている時間です。

寝なければ明日に響くのは目に見えています。

寝不足。

せっかく整いかけていた自律神経が再び狂う懸念。

辛いだろうなぁ。

自分に言い聞かせるのに、目は紙の上の文字を追い続ける。

結局、一度勇気を持って本を置いたのに寝付けず、「これは読み切ってしまえ!」と気合いを入れました。

読了したのは午前1時。

そして予想通り、翌日は寝不足と体内時計の狂いによる、重い体調不良に苦しんだのでした。

この手痛い(でも、本はめちゃくちゃ面白かった)経験を踏まえ、私は夕食後は小説を開かないというマイルールを定めました。

人間ですからお腹は空くので、夕食時には比較的すんなり本を置くことができるからです。

小説はゆったりできる午後に読み進めることにしています。

原因2:登場人物に共感しすぎてしまうから

これが最大の原因だったのか! と気づいたのは本当に数日前のこと。

一度気づいてしまったら、いろいろなことが腑に落ちました。

「登場人物に共感しすぎる」とはどういうことか。

私にとってそれは、「キャラクターのことを心配しすぎてしまう」と同義かもしれません。

物語の序盤では、主人公とその家族や友人たちが現れ、おおまかに「こういう人間ですよ」ということが分かるようになっています。

多くの登場人物は心や身の周りに何らかの問題を抱えているわけで(問題がなければ物語にならない)、

その「問題」を見て私は心配してしまうわけです。

私はあくまで一読者であり、登場人物の問題を「他人の問題として」眺めることができます。

だから、「ああ、主人公はこう思ってるけど、その言い方は誤解されるよな」「この子のこういう性格に難があるな」などと思うのです。

ここから私の心配が始まります。

小説では登場人物の心情が深く描かれることが多いので、登場人物の本音と、周りに与える印象の誤解が両方はっきり見えてしまいます。

頑張っているのに、本音を上手く伝えられない主人公が、なんとも可哀想に見えてしまうのです。

この子は物語の中で、最終的に幸せになれるのかしら。

仮に最後は大団円になるとしても、「転」で最悪の状況に陥るのかな。

すっごいしんどい内観とかするのかな……。

ある意味、読んでいて共感できる小説は成功していると言えるでしょう。

単に私が共感しすぎるあまり、勝手に疲れているだけなのです。

物語は悪くありません。

けれど、私は本をたくさん読みたい。

いちいちこんなに疲れきっていては、「読書」という楽しみが「苦行」に変わってしまいます。

対処法を見つけなければいけない……。と思いました。

読書のストレスを克服する方法
1 まずは「共感しすぎている」ことに気づく

ストレスの原因に気づかないことには、いかなる対処も始まりません。

私は「もしかして、共感しすぎてない?」と気づくことで、このステップをクリアしました。

原因に気づけただけでもかなり気が楽になるもので、いわば霧が晴れて、ずっと戦っていた相手の姿が見えるようになった状態でしょうか。

姿が見えない(原因が分からない)と、「自分はとんでもなく強大な相手に苦しめられている」感覚を味わいがちですが、ひとたび気づいてしまえば、解決法まで思いつけたりするから気楽に構えられます。

2 小説は教科書である(と、割り切って心の距離を取る)

これは、万人に適用できる話ではないかもしれませんが……。

私は、自分が共感しすぎていることに気づいたら、心の中で唱えることにしました。

「小説は教科書である。私はこの本から勉強しているだけだ」

小説の魅力のひとつは、作者さんの目を借りて世界を見つめられることじゃないかと思います。

情景描写の中に、自分では思いつかないようなフレーズが使われていた時の感動。

「この人には、世界がこういう風に見えているんだ!」

「『あたりまえ』といえそうなことを、こういう言葉を使って表現するんだ!」

という驚嘆の瞬間が、快感のひとつであったりします。

他の人の視点を、勉強させていただく。

会話と地の文のバランスを、勉強させていただく。

キャラクターの描き方を。

進行のテンポを。

自分とは違う世界を。

つまりは小説に対する着眼点を、「共感して世界にどっぷり浸かる」から、「勉強させていただくという態度で、自分が『おっ!』と思ったところを吸収する」に変えるということです。

この小さな心得を唱えるようにすると、本を手に取って表紙を開くことへのハードルがぐっと低くなりました。

それに共感力を脇に置くつもりで読み進めても、「おっ!」と思う表現・描写や、「この子、苦労しとんな」という情動は拾えるものです。

共感力を真ん中に置かないのは、決して無感情な人間になることと同義ではありませんでした。

少なくとも私にとっては。

素敵な物語を読んで感動することと、自分の心を疲れすぎないよう守ること。

ふたつを両立する方法を見つけることができて、とても安心しています。

共感力が高すぎる人へ おすすめの本

「HSP」「繊細さん」というフレーズが、良くも悪くも広まってきました。

同時に、もっともっと共感力が高い人のことを「エンパス」と呼ぶそうです。

エンパスは共感力が非常に強いために、周りのいろいろなエネルギー(嬉しい、悲しい、イライラする、具合が悪い)を吸収して疲れてしまうといいます。

私もエンパス的側面を持っており、読書から人の入院話から、ありとあらゆることに疲れてしまいます。

そんな人に、おすすめしたい本があるので紹介させてください。

『LAの人気精神科医が教える共感力が高すぎて疲れてしまうがなくなる本』です。

他にも繊細さん関連でおすすめの本も紹介していますので、興味のある方はぜひ見てみてください。

https://note.com/noel_story/n/nbb864ff54a36?magazine_key=m9dffd5ca66c5

自分の特性について知っておくことで、生きていくことはかなり楽になります。

「しんどい」が「楽しい!」あるいはせめて「前よりはラク」になる人が増えると嬉しいです。

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