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親に発達障害を打ち明けた話

こんにちは。亜麻ああさです。
書くのは主に私ですが、直也もいます。


先日、主さんの親と会う機会があって、「発達障害と診断された」ことを打ち明けてみました。

私たちは精神的虐待に似た環境の中で育ってきたため、親と会うというのは非常に緊張感を伴うイベントで、「親が来る、親に会う」と予定が立っている日は朝からグロッキーになっていたりします。

そんな私たちがそれでも発達障害を打ち明けたかったのは、(主に直が)「やっぱり受け入れてもらう体験ができないか」という最後のチャレンジをしたかったからでした。


また私たちは言葉にこだわりがあるので、言葉の注釈も少し。

「打ち明ける」という意味で、最近は「カミングアウト」が使われることが多いですよね。

しかしこの言葉は、もともとLGBTの方々が自分の性自認や性指向を打ち明けるために勇気を出して臨む、とても重々しい(あるいは気軽に振る舞って行う)ニュアンスを持つ言葉と知りました。

そこで私は原義を曲げないように「カミングアウト」を使わず、この記事を通じて「打ち明ける」という日本語を使っていくつもりです。

トラウマを拒絶されるトラウマ

お父さんのため息、不機嫌な時の足音、お母さんが味方になってくれなかったこと。ごはんの時間がつらかったこと。

これってトラウマと呼べるのではないか? と最初に気づいたのは、高校生の時でした。

そこから私は個人的にトラウマと向き合うことを始めましたが、「これが悲しかった、つらかった」と訴えても、真摯な謝罪が返ってくることはあまりありませんでした。

不機嫌そうに、申し訳なかったですね、と言われてため息をつかれたり(全然反省してなさそう……)、「わたしだって辛かった!」と逆に感情をぶつけられたり。

腹を割ったような話し合いと会話が傷を増やしていくたびに、私は真面目な話し合いを避けるようになっていきました。
トラウマを話すこと自体がトラウマ……みたいになってしまったんです。


そこから、10年ほど経ちます。

発達障害と診断された時、正直言って「これで最後にもう一回だけ挑戦できる」と思いました。親の前にトラウマを突きつけることを。

実は病名が欲しくて心療内科や精神科に通っていた時期があって。
実際に具合も悪かったけど、それ以上に私が欲しかったのは「権威」だったんです。

医師という権威が、私の抱えるトラウマにつけてくれるお墨付き。
「あなたたちの行いで、私はこんなに病んでしまいました」という形を取れば、ようやく罪の意識を感じてくれるのではないか。私の「悲しかった」という言葉は受け容れてもらえるのではないか。
そんな風に思っていたのです。

結局その時はそれらしい診断はつかず、私は結局分かってもらえなかった感覚を抱いています。
上手くいかないし、SNSや書籍等で「毒親は理解しないものだ」などの言説に触れるようになってから、少しずつその形での突きつけは諦めるようになりました。

それは挫折というより、エネルギーの手を引くような感じ。
押せない暖簾を押し続けるより、他に力を注ぐべきこと(たとえば、書くこと)があるはず、と折り合いをつけることができたのです。


そこから3、4年経って、再びフラッシュバックとかがつらくなってきて、また別の病院にかかったらついた「ASD」の診断。

主に、パーツのひとりである直が喜びました。「これでまた挑戦できる!」って。

直は3~7歳の見た目をした男の子で、当時いちばん親に怒られ、そのトラウマを冷凍保存してしまっている子です。一番傷ついている人。

正直に言うと、私はもうトラウマ返しにあまり興味がありません。
だって上手くいかなかった場合、自分から傷つきに行くようなものだから。

言葉を選んで話すのに、「今度は何?」と鬱陶しそうに言われるのにはもう疲れています。
分かり合えないならそれでしょうがない。無理矢理分かったふりされるのも伝わってきてモヤるしな……などと。

けれど直にとってはそうではなく、どうしても「受け入れられたい、親に認めてもらいたい」気持ちが強いよう。他の大人や信頼できる人ねはなく、親が良いみたいです。うーん、分からん(ごめんね)。

とはいえ自己開示のキーワードなんてそうぽんぽん診断されるものでもありません。
きっとこのASDが最後だろうと思いました。それで打ち明けに挑戦したわけです。


二度目の正直

実は、手応えを得られた発達障害の開示には2度の挑戦が必要でした。

最初のうちあけてで気軽に
「発達障害やったわ〜!」
って話題を切り出して話していたら、親から「で、発達障害って何?」
と言われて私がフリーズしてしまったんです。

他者視点に立つのが苦手な私は、自分が知識を集めすぎて、一般の人がどのくらい発達障害について知っているのかをむしろ知らなかったのでした。

てっきり、私はもっと進んだ特性とかの話からして大丈夫だと思っていたため、「発達障害とは」についての説明を何も用意しておらずしどろもどろになってしまい、いまいち手応えのない会話をしてしまったのでした。


そこで後日に再挑戦。
「大人の発達障害」について書かれた本を用意し、「発達障害とは」について説明されているページを見せるという方法で伝え直しました。
私たちは物事を補足説明するのは得意なんですが、イチから順序立てて話すのは苦手なんです。

少し特性の話、昔困っていたことなんかも話せて、私が代理で話しているうちに直もちょっと出てきて「つらかった」と口に出して言えてました。親からほとんど初めて、噛み合った感触のある共感の相槌が得られました。


直は満足している様子。
私は「今さら一体なんの意味があったんだろう……?」と首を傾げていますけど(笑)。

とはいえひとりの気がかりをみんなで抱え続けるのもまたちょっと重いものだから、直が満足したならいいか……と思う次第です。


もしかしたら心理的な変化は、後から感じられてくるのかもしれません。やっぱり何もないかもしれません。

それでも今回の出来事を何かの一区切りとして、親と子以外の人との人間関係や私たちのやるべきことにエネルギーを振り分けていけたらなって思います。



文責:直也、亜麻ああさ

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