夏油の変化を支える「意志」の在処
呪術廻戦2期を「玉折」まで観て、情緒がうわ~!!!!ってなったふせったーを書いたら、友達が(たぶん)褒めてくれたので、嬉しくなってnoteの記事としても残しておくことにしました。
エアリプだったけど……あれはたぶん私の考察を褒めてくれていたはず。
玉壊・玉折間だけのオープニングに、曲に合わせた手拍子のアニメーションが挿入されていますよね。
手を叩いている人たちってよく見ると白い袖の服を着ているようで……あれって盤聖教の信者たちではないですか!?
当初はBメロのフレーバーかな……と思っていた短いシーンが突然夏油くんにとって重大な音と結びついていき、私は戦慄しました。
五条先生が紫を習得したシーンの晴れ間と、夏油くんが逡巡するところに必ずついてくる雨は対比されているように思います。
浴びるシャワーの水音。
風呂上がりに外で降る雨。
九十九さんと話す間に思考の波に呑まれていく夏油くんの脳裏では、響く雨音がどんどん「あの」拍手に変わっていってしまう。音という知覚とともに、信者たちの印象が彼に憑りついてしまったのでしょう。
非術師の透明すぎる信仰心が、敏い夏油くんにとっての呪いになってしまったのかもしれません。
自分以外の他者を盲信するというのは、己の信条を他者に明け渡すことだと思います。
灰原にコーラを奢ってちょっと話すシーンがありますが、私はあそこですっかり夏油くんに共感してしまいました……。
私たちもどちらかというと物事を深く考えこんでしまうタイプなので、絶対に灰原君のようにはなれません。
深く考えずに今できることを精一杯やる、なんて。
そのマインドは私たちにとっては意識して持っていく種類の思考であり、浅慮ゆえに辿り着くことは決してできません。考えの深い海に沈んだ後、取り返しのつかないところまで行く前に自分から水面に顔を出しにいって、「これ以上は考えないようにしよう」ってする境地だから。
誰からも満足のいく回答が得られない、納得できない、でも考えることをやめられない……さらには親友と過ごす時間が減って相談もしづらいあの環境が、次々に起こる身近な人の死が、術師と非術師を隔てる思想を生み出した源泉になってしまったのだと思います。
その上、九十九さんが「これから選ぶんだよ」と語った2つの本音の間で揺れている時に菜々子と美々子と出会ってしまったものだから、「呪術師が生まれによって差別されるのなら、非呪術師と術師を区別することも正しいだろう」という思想が強化されてしまったのではないでしょうか。
呪術高専は、「自分」を大切にする場だと思います。
真希さんは乙骨くんに「呪術高専で何がしたい」と問いかけました。問いかけられたことによって乙骨くんの言語化がはっきりしていって、己の意志で夏油と戦うようになったのです。
呪術師たちには全員それぞれのバックグラウンドがあって、その中で何かを考えて、何かを自分で決意したから呪術師をやっています。
だからこそ当初は意志薄弱だった乙骨くんは場違いさを感じて縮こまっていたのかもしれません。いじめられていたという記憶を抜きにしても。
そんな意志の強い人たちに囲まれることに慣れていたら、意志を他者にゆだねた信者たちを見てショックを受けるのも当然といえるかもしれません。
人の死をにこにこ笑って祝福して、(呪術について無知だとしても)「こいつらを殺す・殺さない」の話し合いをしている五条と夏油くんを目の前にしても誰も生命の危機を感じない。
五条が放っていたかもしれない殺気か、ハイになった目つきの異常さは常人にも分かるものだったかもしれないのに。
意志が感じられないことを、夏油くんは「猿」と表現するのではないでしょうか。
盤聖教の出来事は術師と非術師を区別して捉えるきっかけに過ぎず、夏油くんの根幹にある「猿」の印象は「意志を手放した人間」のことかもしれません。
呪術師だって誰かに心酔して唯々諾々とするようになったら、その人はきっと夏油くんから「猿」と呼ばれるでしょう。
文責:亜香里
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