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ゆっくり生きてく
SNSのタイムラインに、ある親御さんの投稿が流れてきた。
「医師から『お子さんは発達特性があって、5〜10年成長がゆっくりだと思ってください。ゆっくり育っていきましょう』って言われた、ゆっくりでいいんだ!」
おぼろな記憶を頼りに書き起こすと、上のような内容。
文章から受ける印象はポジティブで、親御さんにとって納得できるメッセージだったのだろうとお見受けする。
このメッセージに、私も心を軽くしてもらえた。
5年から10年くらい、心の成長がゆっくりな子が世の中にはいる。
急ぐ必要はなく、年相応を求める必要もなく、「ゆっくり育って」いけばいいんだ。
そう思わせてくれたのがありがたかった。
いつからか「年齢相応」に移りかわっていく人生の段階に心が置いていかれ気味だ。
中学1年生のころ、なぜもう休み時間に遊具で遊べないのか(中学の校庭には遊具がなかった)分からなかった。すぐ隣に建つ、卒業したばかりの小学校に休み時間だけ混ざりたかった。
中学3年生のころ、自分で情報を集めて志望校を決める、一気に世界が開けていく感じ、選択肢が一気に増える感じが手に負えなかった。大学となるともっと無理になった。
押し出されるように「大人」にならされていくのについていけなくて、いつも心のどこかで「待って待って」と叫んでいた気がする。「そういうもの」だと思って気づかなかった、あるいはそんな自分を批判していただけだ。
誰も「ゆっくりいこう」なんて言ってくれなかったし、そういう概念が存在していなかったのだと思う。
転じて今はそういう考え方があって、ゆっくり生きていく環境が整いはじめている。
私はその変化がとてもうれしい。
5〜7年くらい遅れて、私はようやく「大学、行ってみたいな」と思えるようになってきた。
私の精神年齢は分野ごとに中高生-40代を彷徨っていて、かなりバラついている。
無理をすれば年相応に動き回ることはできるかもしれないけれど、それはまだ私にとっては背伸びだ。いつまでもそのままかもしれない。
でも、それでもいいやと思えるようになった。
ゆっくり生きるというやり方があるのだと、タイムラインの向こうから励ましてもらえたから。
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