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トラウマサバイバーのスピリチュアルな実践は自尊感情を持つところから

『神との対話』にも『バシャール』にも、あれにも、これにも。

スピリチュアル系の本を開くと、ほとんど必ず書いてある「ワンネス」という言葉。あるいは概念。

表現の仕方には著者やチャネリング先の個性があれど、要は「自分も他人も同じように稀有で尊重されるべき存在ですよ」ということ。

トラウマサバイバーであり、当時まだトラウマ的環境の渦中にいた僕は、最初にこの概念に出会ったとき、高校生だった。
咄嗟に抱いた感想はこういうものだった。

「え、じゃあ周りの人も自分と同じように雑に扱って良いってこと?」

それから「いや絶対、違うでしょ」と思い直したのだが、咄嗟に出てくる感情というのは正直な所感であると思うから、つまりこの時の僕には自尊感情というものが著しく欠けていた。

今もまさか「完璧に身につけました」なんてことはとても言えないし一生言うつもりもないが、あの頃よりは多少マシになったと思っている。


今、僕は「ワンネス」と言う概念をこう理解している。


時間は一直線には流れていない(めちゃくちゃ秀逸な説明は『バシャール』の中でバシャールがしてくれている)
から、僕はありとあらゆる過去世であの人だったかもしれないし、この人だったかもしれない。
同時に今この時にも、今の僕には見ることができない未来では僕の未来世が生きているかも知れない。未来世の僕が生きる世界が、住み良いところであるといいな。
未来世から見た過去世である現在、僕の周りで生きているあの人やあの人も僕の未来世の過去世である可能性が等しく存在しているわけだ。

そうであるならば、確かに幾つもの本に書いてあるように、あの人もこの人も同じ「自分」ということになる。つまりは人格と個性と感情を持った人間なんだ。尊重して接していこう


これまた詳しくは『神との対話』を参照してほしいのだが、僕は魂が独立した「個」ではなく互いに混ざり合うことができるという考え方をしているので、上の考えで同じ時代の中に過去世が複数人存在しても矛盾が生じないのである。

そして上記の通り、ワンネスは結局「人権」につながる思想なのだと思う。
ひとつの概念を言葉で表す時に、政治・社会色が強い言葉が「人権」ならば、スピリチュアル色の強い言葉が「ワンネス」だ。


高校生の頃に抱いた瞬間的感想を思い起こすたびに悲しい気持ちになる。
つまり当時の僕は自分を「雑に扱って良い存在」だと思っていたし、きっと世の中には今もそう感じ続けている人たちがいて、しかも増え続けているのだと思うと。

友達との会話の中でスピリチュアル的なことが話題に上ることもあるけれど、親とある程度の愛着を形成することに成功している人と話すたび「あ、スタート地点が違うな」と感じる。
安定愛着の人には基本的な自尊感情が備わっている。サバイバーはそれを自力で身につけるところからのスタート。後方何十メートルのところから走り出せば良いのだろう。


自尊感情の育て方なんて、ハンデのぶんを補う方法はどの本にも書いていないし、紙の上で理解した気になったってえらく時間がかかる。
かといって実践するのにも勇気が要る。


もし「ワンネス」の感覚を。「他人もいつかの自分かも知れない」と「自分をそれなりに丁寧に扱う」という感覚を思想の根底に留めておく人がこれから増えて行ったら、人を傷つけるなんて思いもよらない世界になっていくだろうになあ、と思うのだった。




参考図書はこちら。

Jessie -ジェシー-

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