「自分の人生」に目覚める女性たち【『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』感想&ネタバレあり考察】
遅ればせながら、ずっと気になっていた映画を観る機会に恵まれました。
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』です。
ちなみに、わたしはハーレイの元カレ・ジョーカーが主役の『ジョーカー』はまだ観ていません。
両方観ていたら、また違った思いを抱いたりするのかもしれませんが……。
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』のみの知識で感想や考察など書いていきますので、あしからず。
自立を目指す女性たち
共通するテーマは「自立」
物語は、ハーレイがジョーカーと別れたことから始まります。
未練を断ち切れないハーレイはしかし、いつまでも悲しんでいるわけにはいきません。
もう、そばに頼れる男性はいない。だったらどうするか。
出てきた答えは「自立した女性になる」でした。
実は、「自立」はこの作品のキーワード。
日本語タイトルの「覚醒」も、自立を目指す姿からとられたものではないでしょうか?
自立を目指すのはハーレイだけではなく、作中に登場する女性陣はみんな、どこかからの自立を必要としている人ばかりなのです。
ハーレイの自立とは
主人公・ハーレイの目指す自立。
失恋から立ち直り、自分の人生を歩むこと。
また極度に貧乏なので、自分でお金を稼ぐ手段も必要です。
物語の中でハーレイは様々な経験をし、確実に自立に近づいて行きます。
そしてエンディングで、「自立」を達成しました。
最初は食べ損ねたチーズサンドイッチを頬張るシーンは、思わずにこりとせずにはいられません。
カサンドラの自立とは
カサンドラにとっての自立。
それは親と決別し、自分の人生の方向性を自分で決めることではないでしょうか。
ローマン=シオニス(ブラックマスク)から命を狙われるようになる少し前。彼女の家庭環境がうかがえるシーンがありました。
親は大声で喧嘩しており、声高にカサンドラのことを非難しています。
カサンドラは階段に避難して、激しい喧嘩をやり過ごそうとしているように見えました。
また戦闘シーンの随所で見られますが、カサンドラは行動に一貫性が乏しいキャラクターです。
ある時は逃げ、またある時はハーレイに言われるまま協力する。
最終決戦の場である「ブービートラップ」での戦いでも、「隠れてな」と言われたのにあちこち移動したりして、どうしたら良いか分かっていない様子。
しかしシオニスとハーレイがにらみ合いになった時、シオニスとの戦いに自ら決着をつけたのはカサンドラでした。
それまで逃げるばかりだった彼女が初めて、シオニスを明確に敵とみなし、「あなたには捕まらない、殺されたくない」という意思表明をしたことになります。
一連の出来事の中で、カサンドラは「決断力」と、「人を見る目」を手に入れたのかもしれません。
レニー・モントーヤの自立とは
女刑事レニー。
彼女にとっての自立とは、「自分を大切にしてくれない環境からの脱出」。
彼女は綿密に捜査し手柄を挙げているはずなのに、いつもその手柄は上司とその他の男性警官たちに奪われています。
そのせいで出世もできず、職場では馬鹿にされっぱなし。
物語の最後で「警察を辞める」という決意を固めたことを観て、とても安心しました。
これは職場だけではなく、家族・恋人を含む人間関係に言えることだと思っていますが。
努力の末の結果を横取りされる
積み上げた努力を認めてもらえない
絶えず馬鹿にされている
ような関係は、往々にして自尊心を蝕みます。
いくら相手が大切な人だろうと、大切な職場だろうと、できるだけ早く離れた方が、自分を守ることに繋がるのではないでしょうか。
逆に、手柄を奪われ、馬鹿にされてもあそこまで警察内で頑張ったレニーは、非常に強靭な精神力の持ち主だと感じます。
そんな彼女も、最後は自分を大切にする決断を下しました。
警察を離れ、自分の正義感を貫ける新しい方法を見つけたのです。
ダイナの自立とは
シオニスから「小鳥ちゃん」と呼ばれ、命令に従わざるを得なかったダイナ。
彼女の自立とはずばり「シオニスから離れること」だったと思います。
ダイナは特別な力を持ち、その長い足を活かして戦うこともできるのに、与えられる仕事といえばクラブの歌手とシオニスの運転手、御用聞き。
またシオニスは女嫌いのため、彼女に対する扱いもどこか見下したものになっています。
とても大切にされているとは言えません。
彼女はシオニスの死により、自由を手に入れることができました。
ハントレスの自立とは
ハントレス。本名は「ヘレナ・バーティネリ」。
今回のキーアイテムであるダイヤモンドの、本当の持ち主です。
そして、私が一番大好きなキャラクターでもあります。
キリッとしててこだわりが強いけど、人と交流することには慣れてなさそうな、人間味のあるところが可愛くて萌えます(笑)。
そんなハントレスにとっての自立とは、「復讐から解放されること」ではないでしょうか。
彼女は他の家族をシオニスの指示によって殺され、その復讐のためだけに生きてきました。
家族を撃った人たちを一人ひとり殺してきた彼女。
最後の決着は、カサンドラがつけてくれました。
復讐のために生きてきたハントレスは、人生の目標を達成してしまったことになります。
では、これから何を目指して生きていけばいいの?
一見、燃え尽きてしまいそうにも見える状況ですが、別の捉え方もできます。
ハントレスは自由を手に入れたということです。
「復讐」という大きな目標を達成した今、彼女を縛るものは何もない。
鳥が籠から羽ばたいていくように、自分がやりたいことをなんでも自由にできるのです。
彼女が「自由」という広大さに慣れるには、もう少し時間がかかるのかもしれませんが……(*´▽`*)
それもまた可愛いし、心強い仲間ができたからきっと大丈夫でしょう。
籠を飛び出す小鳥たち――その正体とは
「籠の中の鳥」と見せかけて
ところで、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』の原題に注目したことはありますか?
原題は『BIRDS OF PREY』。同名の漫画が原作のようです。
この英語の意味を調べてみると、驚くべき言葉が出てきました。
なんと、その意味「猛禽類」。
鷲やフクロウなど、どう猛に狩りをする鳥たちのことです。
これはずばり、ハーレイたちメインキャラクターの女性陣を表していると思われます。
意味を知った時、思わずにやりとしてしまいました。
今回のラスボスであるシオニスは、ハーレイを「男なしではなにもできない」と馬鹿にし、本当はもっと能力の高いダイナを「小鳥ちゃん」と呼んで軽視していました。
しかし本当は彼女たちの誰も「小鳥」などではなく、鋭い爪で獲物を狙う鷲やフクロウだったのですね。
シオニスにとっては、なんとも皮肉な話。
でも、「能ある鷹はなんとやら」と言いますし、それが彼女たちの強さの秘密かもしれません。
「能ある鷹」に連ねてもうひとつ
私はアメコミに詳しくないので、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』の予告を初めて見た時、「なんかまたぶっ飛んだヴィランがいるな」と思いました。
派手なメイク、奇抜な服装。金属バット。
派手派手・ジャンキーなアメリカ文化を象徴するような姿に、ちょっと「頭悪そうだな」と感じたことを、正直に告白しておきます。
ところが映画を観はじめてすぐ、驚きの話が語られます。
ハーレイは医大卒で、精神科で働く女医だったのです。
ジョーカーとは、患者と医者という関係で知り合ったそうですね。
作中にも、ハーレイの隠された能力の高さがちりばめられています。
カサンドラのリアクションを見て心情を言い当てたり。
敵の動きの数手先を読んで動いたり。一瞬でやるのには、素早く回転する頭と決断力、瞬発力。たくさんの能力が必要です。
もしかして「馬鹿っぽく見せることで、相手を油断させる」という、ハーレイの作戦なのかもしれません。
ものすごく失礼な第一印象を抱いて申し訳なかったと、今は思います。
彼女たちの敵――男性、保守性
籠の中の鳥が自由になる。自立する。覚醒する。
映画のテーマに据えられていることを、暗に補強する要素があります。
それが「男女の戦い」の構図です。
今回のラスボスは、ローマン=シオニス(ブラックマスク)。男性。
彼は女性嫌いという設定があり、彼の配下たちはみな男性です。
対するハーレイ側は、ひょんなことから協力せざるを得なくなった女性たち5人。
明らかに、「男VS女」の構図が用意されています。
ハーレイたち「女性」が自由を象徴し、そのために戦っているのだとしたら、男性であるシオニスは何を象徴していたのでしょうか?
私は「依存」と「保守性」だと思います。
シオニスとハーレイの一騎打ちのシーン。ハーレイは言います。
「あんたは恐怖で人を支配してる。J(ジョーカー)と同じ」
なぜ、シオニスは恐怖に頼る必要があったのか。自信がなかったからです。
自信に満ちた人は、恐怖を利用する必要がありません。
余裕を漂わせるゆとりがあり、人にも優しくできるので、自然と人望を集めることが多いでしょう。
しかし自分に自信を持てなければ、暗く縮こまり、周りに攻撃的になって自分を守るしかありません。
シオニスはまさに後者で、自分に自信を持てていなかったのです。
だからこそ人を恐れさせ、服従させ、それを見て自分の力を確かめていました。
それを本当の力とは言わないかもしれませんが……。
また、シオニスや警官たちの言葉・態度から、「女は非力で、一人では何もできない」という保守的・前時代的な考えも感じ取れます。
あえて平たく言うならば。
男性は、女性が何もできない無力な存在だと思い込んでいる。あるいは、そう思いたがっている。(根本の部分では、自分に自信がないから)
だからこそ女性を籠に閉じ込めて、己の無力さ、無能さを思い知らせようとしている。
これは、現在の世界の風刺かもしれません。
しかし、それは見せかけの世界。
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』とは、無力とみなされていた女性たちが立ち上がり、保守的な考えを打ち破る物語だと思うのです。
日本でも、世間に根付いた女性蔑視の態度や言動が怒りや呆れとともに取り上げられ、また女性の苦労に共感する男性の数が増えつつあります。
この映画が保守性に囚われ、固定観念でがんじがらめになっている女性たちを揺さぶり、目の前に広がっている自由に踏み出す勇気を与えてくれるかもしれません。
忘れてはいけないこと――アンバランスを補正していく
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』は、女性が男性の支配を打ち破る話と書きました。
非力で男性に依存させられていた女性たちが、世界のあちこちで自由と自律を手に入れはじめています。
ハーレイほど直接的ではないかもしれませんが、女性たちが社会にはびこる「女性神話」と戦っていることは事実。
しかし、同時に思いを馳せるべきこともあると思っています。
それは、男性も「男性神話」に縛られているということです。
今は、「女性は辛かった! 自由になりたい!」という主張が声高に叫ばれている時期。
けれど自立していく女性たちの横で、男性がないがしろにされて良いとは誰も言っていません。
シオニスのような、自信のなさの裏返しで女性を軽んじる男性も大勢いると思うのです。
彼らの自信のなさ、「男性神話」に縛らざるを得なかった仕組みそのものから変えていかなければ、「男性」と「女性」の立場が入れ替わっただけのシーソーが、延々と続いてしまいます。
まずは、「女性が辛かった」と声を上げられる時代になりました。
今度は「男性もしんどかった」という思いも外に出せるようになっていくといいなと思います。
男だから泣いてはいけないとか。
一家の大黒柱にならないといけないとか。
週末は家族サービスしないといけないとか。
妻より稼がないと恥ずかしい気がするとか。
そういう、男性に課された「こうあるべき」は、女性と同じくらい多いのかもしれません。
女性たちは女性同士で集まって「しんどい」「ずっと我慢してきた」と言いあえる場もあるかもしれませんが、男性は「弱音を吐かない」ことが美徳のひとつとされています。
辛くても、誰にも相談できません。
だから一人で抱え込み、出口も分からないまま自分で対処しようとして――恐怖で人を支配するようになってしまうのではないでしょうか。
女性が自由になることを許すなら、男性も一緒に自由になれた方がきっと良い。
いろいろ考えさせられた映画でした。
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