「自分の時間」が意味するものとは?【『猫の恩返し』をスピ考察】
分かったようで分からない「自分の時間」
映画「猫の恩返し」の中で、重要なキーワードがあります。
「自分の時間」です。
猫の国を冒険する中で、ハルは「自分の時間」がなんなのか、手ごたえを掴んだようでした。
でも……。「自分の時間」がどういうもので、どう定義されるものなのか?
それが具体的な言葉で語られることは、作品を通してないように思います。
そこで、「自分の時間」って結局なんなのか? どういうものなのか?
私なりに考察してみることにしました。
「自分の時間」を定義する!
「自分の時間」=「自分軸」?
結論から言います。
「自分の時間」とは、すなわち「自分軸」「自分らしい生き方」「主体性」のことではないかと思っています。
人に流されるのではなく、自分の人生の最終判断は自分が持っておく。
自分が正しいと思ったことをやっていく。
そんな感じではないでしょうか。
次の項からは、この結論にたどり着いた根拠を追っていきます。
ハルにとっての「自分の時間」とは?
1, 猫に親切である
まず、ハルにとっての「自分の時間」とはどんなものといえるでしょうか?
第一に挙げられるのは、猫に親切だということです。
ルーンが道路を横断しようとしていた時、ひろみは「危ないぞー」と忠告しただけで「ま、いっか。猫だし」と通り過ぎようとしました。
しかしハルはルーンから目を離さず、「ねえ、なんかヤバくない?」と危機感を抱いていました。
ハルが目を離さなかったお陰で、ルーンは助かったともいえます。
また、ユキを助けたこともそうです。
「汚れた子猫があとをついてくる」
ここで、持っていたクッキーをすべてあげてしまう、という選択肢はとても親切なもの。
もう少しあげて立ち去ることも、まったく無視することも可能でした。
しかし、ハルはそうしなかった。
ここに、「ハルらしさ」が感じ取れると思います。
2, 美味しい朝ごはんと紅茶
「ハルらしさ」2つ目のポイントは、「朝食と紅茶」です。
物語の序盤、ハルは寝坊したせいで朝食を食べ損ねています。
けれど、美味しそうにごはんを食べるお母さんを羨ましそうに見つめたり、翌日の早起きに努めるなど、「ちゃんと朝ごはんを食べたい」という理想が窺えます。
一連の冒険の後は、「ハルちゃんのスペシャルブレンド」紅茶を作るほど、料理にこだわってもいるようです。
「スペシャルブレンド」はバロンの受け売りでもあります。
お母さんはハルの急変ぶりに驚いていましたが、ハルにとっては自然なことだったのではないでしょうか。
朝ゆったりと起きて、のんびりと朝ごはんを食べる。
美味しい紅茶を飲む。
そんな「ハルらしい暮らし方」が、「自分の時間」の一部ということなのです。
「自分の時間」ではないものとは?
それでは逆に、ハルの「自分の時間」ではないものについて考えてみましょう。
1, 時間に追われること
物語は、ハルの寝坊から始まります。
寝坊のせいでハルは朝食を食べ損ね、学校に遅刻し、好きな人に笑われ……。なんだか散々です。
この時、ハルは時間に追われているといえます。
自分の1日を自己管理できていません。
時間がきたから起きて、時間がないから朝ごはんを抜かして……と、時間主体で行動しています。
人生の中心に時間があり、ハルがそれに合わせるように生きている状態。
ハルの慌ただしさやそそっかしさは、時間に追われている「焦り」からきているようにも思えます。
2, 現実逃避――「猫の国」への憧れ
「自分の時間」ではないもの2つ目は、「ここではない場所」に憧れることです。
物語の中では、これが猫の国に該当します。
ナトルの誘いを受けたハルは、猫の国にいる自分を思い浮かべています。
この時のセリフがポイントです。
「おいしいものいっぱい食べてお昼寝して……イヤなことはみーんな忘れてさ」
前提条件としてですが、のんびりしたいと願うことは悪いことではありません。
この時のハルは時間に追われており、忙しない毎日を送っています。
もっとゆったりした時間を過ごしたいと願うのは自然なことでしょう。
それが、「ハルらしい生き方」でもあるのですから。
問題なのは、「嫌なことはみんな忘れる」という部分です。
忘れる――すなわち、現実逃避。
嫌なもの、見たくないものはなかったことにしてしまう。
自分は幸せしかない場所で過ごそうとする。
現実世界は2極で構成されていますから、逃げるように幸せだけを享受することは不可能です。
(一見、不幸な出来事の中から、少しでも幸せな方面にスポットを当てることはできます。また絶望の中を通り過ぎて振り返ったら、また別の見方もできるかもしれません)
目先の幸せだけを追いかけて、何もできない人生を送ることになってしまいます。
ハルが生きる世界は、家があり、学校があり、友達がいる「ハルの現実」です。
バロンの世界や猫の国は、「ハルの現実」と接しつつも別のところにある場所です。
ハルが「猫の国」に行って「幸せ」な生活を送ることは、ハルらしさを失い堕落してしまうことの象徴である可能性があります。
実際、ハルとバロンがダンスをしている時、「このまま猫になってもいいかも……」と考えた瞬間、ハルの外見がより猫に近づく描写があります。
これは、猫の国での生活に改めて憧れを抱き、猫である自分を一瞬受け容れそうになったからです。
猫の国に留まり、現実に帰らないこと。
それがハルから「自分の時間」を奪いかけました。
ハルに残された希望――迷い
しかし、ハルには救いが残されていました。
それは「迷い」「葛藤」です。
掃除当番を引き受けて、ごみ捨てに向かったハル。
よそ見をしたせいで柵にぶつかってしまい、ごみ箱の中身をぶちまけていました。
その時に溜息をつき、こんな言葉を呟いています。
「はあ……。あたし一体、ここで何やってんだろう」
これが、ハルにとっての救いになると思います。
迷うということは、現状に違和感を持っているということです。
ハルは心のどこかで、「自分らしく生きる生き方」を覚えていたのかもしれません。
だからこそ、現状――遅刻し、ドジをやらかし、恋愛は上手くいかない――に意気消沈していたのです。
本当に堕落した人間、変化を望まない人間は、違和感を抱かないか、違和感に気づくことができません。
現状を「良いもの」として受け入れてしまうからです。
けれどハルは、そこまでいっていない。
違和感を手掛かりに、「自分の時間」とは何なのか、自分の望みは何なのかを探っていくことができます。
ハルが猫の国から無事に戻って来られた最大の理由は、ハル自身が自分らしさへの探求心を失わなかったからではないでしょうか。
ハルが猫の国を選べば、バロンとムタがいくらサポートしようとしても無駄になってしまいます。
実際、猫の国に着いたばかりのハルは、誰の忠告も聞かずお城まで行ってしまいました。
けれど、ハルに「帰る」という意思が残っていた。
だからこそバロンとムタのサポートが可能になり、みんなは現実に戻って来られたのです。
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