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お正月が不安でもいいんだ。

こんにちは。

実は、年末年始が苦手です。

年末年始が近づくと落ち着かなくなります。

漠然と不安感があるというか、終わっていく「今年」にしがみつきたくなるというか。

これまでは、それらの「刺激」から自分を守るために、年末年始らしいこtから距離をとろうとしてきました。

カレンダーの日付は把握しつつも(分からないと社会的に困るので)、おせちを詰めたり、お雑煮の仕込みをしたりはしない。
不安な気持ちにフタをして、何事もないかのように過ごそうとする……。

のだけれど、世間が年末年始であることには変わりないから、ふらりと寄ろうとしたお店が短縮営業だったり、もうお休みになっていたりして、逆に年末年始であることを強烈に意識してまた憂鬱になったり……。

不安でもいいんだ、という気づき

Twitterを覗いていると、「年末年始には不安を煽られる雰囲気がある」と呟いている方がおられ、目を開かれた気持ちがしました。

あ、不安でもいいんだ。

私の感じ方は自然なことだったんだ。

気づけると、ただ黙って我慢するのではなく「じゃあ自分のためにどうしようか」と前向きな視点が生まれ、お正月から距離を取ることへの罪悪感が薄らいでいきました。

見えてきた不安の理由

落ち着いて苦手な気持ちを捉えられるようになったら、余裕が生まれた心でより根源的なことまで考えられるように。

どうして年末年始が苦手なんだろう。

私の場合、それは「いつもと違う」の積み重ねにあるような気がしてきました。


冬休みで、いつもと違う暮らしの流れ。苦手な親が仕事もなく家にいること。

今年を振り返るようなまとめ番組がたくさん作られ、いつもの時間にいつもと違うものが流れていること。

「今年の気持ちはまとめてしまって、新しい気持ちで新年を迎えよう!」という、半ば強制的な「まっさらになって」感。

家族親戚が集まって仲良く過ごすというテンプレートをしんどく感じてしまうことへの負い目めいたもの……。


今はもう学生を終えて冬休みでもないのに、季節と記憶に刻まれた要素のひとつひとつに細かく刺され続けていたようでした。

私はある行動や気持ちから、別の行動や気持ちへ移る「移行」が苦手。
作業も生活も気持ちも。
だから去り行く2021年をゆったり振り返りながら2022年に足を突っ込んでいきたいし、すっぱり手放して「ハイ新年!」なんてできない。


先のツイートのおかげで気づくことができました。

無理に乗っかろうとしなくていいんだ。

不安でいいし、苦手でいいし、しんどく感じていい。
帰省や挨拶は「慣習」にすぎず「法律」ではない。

私のペースで、ゆっくり新しい年に慣れていこう。


そう思うと、気持ちがラクになりました。


もし同じように感じている方がいたら、あなたの心も軽くなっていたら嬉しいです。

お互い楽しくてやわらかい、良き2022年を過ごせますように。



画像はPixabayからお借りしています。

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