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私の「ちゃうな」勉強法【違和感を手がかりにする文章の書き方】

日本人なのに、「日本語が苦手なので……」と免罪符のように口にする人が多い。

そんなに難しくないよ、というと、「文章書いてる人はそうだよね」とか「国語の成績が良い人は、そうだよね」と言われる。

というわけで、私がどうやって文章の勉強をしているか、改めて書いてみることが、誰かの何かの役に立つのではないか? という記事。

「ちゃうな」で学ぶ文章術

今までやってきたことを一言でまとめるならば、私の勉強法はきっと

ちゃうな勉強法

と表せるであろう。

この「ちゃうな」は決して「チャイナ」の打ち間違いではなく、関西弁の「○○ちゃうな(○○ではない)」の「ちゃうな」。

具体的に何をするのかというと……。

1、文章を読む

文章が書けるようになりたいのなら、文章を読まないことには始まらない、というのが持論。
もとより文章を読まずして「文章うまくなりたい」とは、教科書なしに学校の授業を1年間受けようとするようなものだ。
理解できるはずのものも分かりづらくなる。

そしてここで読む文章は、はっきり言って何でも良いし、目的によっても変わってくる。

本が書けるようになりたい人は、やはり活字の書籍を読むべし。
読むことに苦手意識のある人は、まずは「かいけつゾロリ」や「こまったさん」「わかったさん」「青い鳥文庫」の薄い本など、手軽に読めそうなものから読んでみて。ここに年齢はない。

読んでいるうちに、「こういうことわざがあるのかな」「この漢字はこういうふうに読むのかな」と類推で知識がついてくると、もっと難しそうな本も読めるようになる。

辞書まで取り出してくると面倒になり、ひいては腰が重くなるので、類推することが大事。
出てくる漢字にめっちゃ難しいものはあまりないし、読めない漢字や熟語も、文脈から「こんな感じの意味かも」と予想を立てながら読み進めていくと、そのうちに自分の語彙力になっていく。

個人的には、分厚いのに面白いせいですぐ読み終わる「ハリーポッター」がおすすめです。

ちなみにブログを書けるようになりたい人は、まずいろんな人のブログを読んで下さい。

アメブロであれば、自分と似たジャンルの人をかたっぱしから読者登録しつつ、読みましょう。
読者登録すれば相手に通知が飛ぶので、ついでに自分のブログの宣伝にもなります(笑)。

もちろんアメブロにこだわらず、他のブログツールでもいろんな人のブログを読んでください。

SNSでの発信を練習したい人は、SNSとYouTubeの実況を併用。
ネット独特の言い回しに慣れた後(YouTube活用)、TwitterやFacebook等々を周回。そうすると空気感が掴めると思います。

2、読みづらい文章に出会ったら、「どうしてそう感じるのか?」自問する

いろいろな人のいろいろな文章を読んでいく中で、
・流れるように読み進めることができる文章
・なぜか途切れ途切れな感じがして、読みづらい文章
をなんとなく見分けられるようになってくる。

どういう文章が「読みづらい」と感じるかは個人の感覚それぞれ。
正解を見つけるより、「どこを、どうして読みづらく感じたか?」を自分に問いかけてみよう。

(例)
文章のこの部分で「詰まる」感じがする。
ああ、句点「、」の位置が自分的にしっくりこないなぁ。

ここには句点がない方が、流れるように読めるのに。私だったらここに句点は入れないな。
そうか、私は句点の少ない文章の方が読みやすく感じるんだ!

どこに違和感の正体があるのか自分で掴めるようになると、急に文章構成とかにまで意識が向くようになってくる。
つまり、物語の中に入り込んで本を「楽しんで」いただけだったのが、本を「分析する」ようになる。

本を分析できるようになったからといって、小説や物語を楽しめなくなるわけではなく、むしろ文章構成や句読点の位置に気づけるようになると、本の面白さは格段に増す。

「この作者は、強調したい単語の前には、他のところにはない句点を入れてるな」

「この人はカギカッコでくくることで、この単語が大事であることを示してるんだ」

という、作者ごとの違いもわかります。面白い。

3、「面白い」と感じたポイントを、自分の文章に活かそう!

さて、ではいよいよ自分の文章を書こう。

これまで読んできた本から、語彙力・文章の構成・言い回しを吸収してきた我々は、今までとは違い流れるように文章が書けるようになっている(はず)。

少なくとも、真っ白な原稿用紙を前に「どう書きだせば良いのか分からない」と頭まで真っ白にする事態は多少変わっているのではなかろうか。

確かに書きだしって難しいけれど、「こういうことを書きたい」というおおまかなメッセージくらいは浮かんでいるはず。

文章はあとから直せるので、書き出しにこだわりすぎず、まずは書いてみよう。
最後まで書いて全体を眺めた時、ぴったりくる書き出しが見つかる瞬間だってある。

4、文豪と呼ばれる人たちの本も読んでみよう!

私は小学生の時、「吾輩は猫である」を読もうとして挫折しました。

現代とは違う感じの読みや書き、古風な言い回し……不慣れなそれらに何度もつっかえているうちに内容が頭に入らなくなり、だんだん読むことが億劫になり……。挫折。

でも10年くらい経った今は、面白さも噛みしめつつ読めている。

単純に語彙力・多様な文章への耐性・歴史的知識等が足りなかったのである。

私もこの大切さに気付かされたのはごく最近の話なのだけれど、文豪と呼ばれている人たちの文章はずば抜けている。

文章を書くなら1度は触れた方が良い。

難しい表現を使っているのに流れるように読める。魔法か何かを使っているのか? と最初は気圧されるばかりだったけれど、その衝撃が去るとどういう技法がその魔法を支えているのか、少しずつ分かりはじめてくる。

あとは、情景の描写に作者の個性が表れる。

江戸川乱歩は、不気味に見せたい場面で、部屋の蝋燭の揺れや影の映り方などを、「蛇」とか「骸骨」とか、恐ろしいことを連想させるような単語をこれでもかと盛り込んで描写していた。

対する夏目漱石さんはエッセイの中で、劇場の様子を具体的な長さの単位を交えて説明している。

2人の書き方はまるで違うのに、想像力を刺激して、その場に自分もいるかのような臨場感を与える点は共通している。きっとこれが「文章の力」と言い表される何かなんだろう。

そういう魔力にも似たものを手に入れるには、文豪と呼ばれる方々の文章にも触れておくのが大事そうなのです。

今日はとっても長い文章になってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

誰かの書き方の参考になりますように!

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