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【Eve 「暴徒」を考察する】個性を取り戻そうとする子どもたち

歌詞とサウンドとMVが好きで、定期的に観たくなってしまう。

特にラスサビに入る直前の、主人公が声を発していないのに雄叫びを上げているように見えるシーンがとてもお気に入りである。

モノクロ映画にもこのような気迫がこもっていたのだろうか。無音だからこそ想像が広がる。

僕にはこの曲が、「大人から押し付けられる期待から脱却する子どもたち」を描いているように思えてならない。

「枠」に入れられた生徒たち

曲の始まり。主人公が目を覚ますところから物語が始まっている。

ぜひ注目したいのは主人公の服装だ。
便宜的に「彼」と呼ぶが、彼の服装は2種類ありとても対照的である。

普段着:ダホダホのTシャツにショートパンツ、くしゃくしゃの髪
制服:セーラー服に(綾波レイを思わせる)色のボブヘア

そして彼の顔には笑顔の紙が貼り付けられており、素顔を見ることはできない。(見えるのは口元までである)

この街に存在する子どもたちは一様に同じ背格好と服装をしているようだ。


1番~2番の途中までの映像を見ると、彼が囚われている世界観の「枠」を読み取ることができる。
それはこんな「枠」だ。

  • 子どもは笑顔でいなければならない

  • 子どもは同じ格好をしなければならない

  • 子どもは大人に反抗してはいけない

  • 子どもは可愛らしくいなければならない

少し視点を変える。

  • 大人は子どもを監視して良い

  • 大人は子どもを性的な目で捉えて良い(ネオン街の描写とダンスの振り付けより)


しかし、個性を持つ人間が画一的存在になれるはずがない。
少し視野を広げてみると、「彼」について疑問が出てくる。

そもそも「彼」は、本当に女の子なのだろうか?


前述したような服装のギャップ。Tシャツはオーバーサイズ感があり、ユニセックスなデザインだ。

また寝ぐせのついた無造作な髪型は、性別どちらとも見ることができる。

「彼」はそもそも女の子ではないのに、「女の子らしく」という「枠」にはめられている可能性すら考えられるのだ。

「枠」の中にいることを期待する大人たち

「彼」と共に暮らし、彼の世話をするスリムな1つ目の「親」は、「彼」に枠組みの中で生きることを期待しているように見える。

それはあの街に住む大人全員が持っている期待と広げて捉えることもできるかもしれない。

「親」はもう中高生に見える「彼」に制服を着せてやり、振り向く「彼」の姿を好意的に見つめている。
またMVのクライマックス直前で、制服とリンゴを持って現れ、「彼」を鎖で束縛する描写もある。

これら2つは「いつまでもかわいい子どものままでいで(独り立ちしないで)」という「親」の本音を表しているのではないだろうか。

「親」にとっては世話と庇護を求める「かわいい子ども」がかわいらしいのだ。
自立されては世話が不要になってしまう。

「親」はじめ大人たちにとって、子どもは大人の指示に従い、かわいらしく世話される存在でなければならないのだ。


また大人の行き過ぎた庇護は、「彼」が電車に乗る通学風景からも見て取れる。
席には大人と「彼」はじめ生徒たちが密集して座っており、さらには立っている生徒は大人に潰されんばかりに密着されている。

車内は空いているのに、である。

「子どもを守る」という大義が暴走し、子どもを窮屈にさせていることが目に見える描写ではないだろうか。

ゲーム実況者の正体について私的解釈

MVには「彼」と「親」の他にもうひとり、重要な人物が登場する。
それが画面の中にいる、ゲーム実況者のような少年だ。

彼の正体について僕なりの考えを2つほど書いておきたい。

1 未来の「彼」自身

あの少年は常に画面の中におり、「彼」と直接顔を合わせるシーンはない。
ゆえに少年が「彼」と同じ時間軸にいるとは限らないと考える。

そこで想像されるのが、少年は「彼」の未来の姿ではないかという可能性だ。

つまりは画面を通して過去と未来が繋がり、「彼」を励まし武器を提供するのである。

根拠となるのは

  • 「彼」の性別と素顔が明らかでないこと

  • 少年と「彼」、生徒たちの髪色が似ていること

の2点。

特に「彼」は普段着の時、くしゃくしゃの髪をしており、もし前髪をかきあげたら少年に酷似した髪型になりそうである。

2 先にあの街を脱出した先駆者

2つ目の説は、少年は他の生徒たちに先んじてあの街を脱出し、「大人に規定されない、自分のやりたいことをやって生きる」生き方を示し続ける先駆者であるというものだ。

「親」がゲームに没頭する「彼」に声をかけるシーンがあるが、直後に「彼」がゲームをやめて部屋にこもることから、あまり良い言葉をかけられたわけではなさそうだと感じる。

大人は子どもがゲームに没頭することにあまり賛成していないのではないだろうか。

だが「彼」は実況を好んで観ており、少年に憧れを抱いている様子だ。

ここに抑圧された「彼」の自分らしさ(好きなこと)と、それを追求するのは大人の期待から外れること、という葛藤が生じている。

少年を先駆者ではないか? と考える根拠も、1つ目の説とだいたい同じだ。

少年の髪色・髪型は生徒たちに似ており、「彼」はじめ生徒たちの性別は規定されていない。(もちろん少年が男であるという保証もないのだが)

またクライマックスで「彼」以外にも慣れた手つきで銃を扱っていた生徒がいたことから、少年は有名な存在で、少年のゲーム実況を視聴していたのは「彼」だけではなさそうだということも想像できる。

彼は自分らしく生きるという先駆者であり、生徒たちのロールモデルであり、大人たちにとっては反逆の象徴であるのだ。

2つの「暴徒」

曲名である「暴徒」。

暴力的になった人々をさす言葉である暴徒は、この曲の中に2勢力いると感じている。


ひとつは「生徒」たち。

MVにも描かれているように、彼らは最後町を破壊し、これまで自分たちを抑圧してきた大人たちを蹂躙していく。一人称視点で描かれるシーンは見ていて爽快だ。

「生徒」が「暴徒」になるという言葉遊び的な変化も語呂が良くて好きである。


そしてもうひとつは大人たちである。

「子どもを守る・世話する」というささやかな愛情が暴走してしまった結果、暴徒のように人(生徒たち)に迷惑をかける段階にまで発展してしまった。

MVの最後、「親」の目が少し涙ぐんでいることから、「親」はまったく悪びれていなかったことが読み取れる。
つまり「親」は本当に、心から、「彼」のことを思ってやっていたのだ。

しかしその愛情が行き過ぎていることに、「彼」があれほど激しい怒りを表出させるまで気づかなかった。
きっと言葉で穏便に伝えようとしても理解しなかった・できなかっただろう。


映像だけ見れば「生徒たちが反逆を起こした=暴徒化した生徒たちは危険だ」と解釈することができる。

だが映像にちりばめられた描写をさらに詳しく見ていくと、そもそも最初に暴走したのは大人であり、生徒たちの暴徒化は抑圧の反動、アンバランスの修正にも見えないだろうか。

曲中で怒りを発散したのは生徒たちであったが、そのずっと昔には大人たちの暴走があったのだ。



おまけ:さらなる「暴徒」の私的解釈

ここからは完全に個人的な見方となる。


僕はこの曲を「毒親からの精神的離脱」を表していると感じている。

それはここまで語ってきた世界観・描写。そして歌詞から読み取ったことを根拠にしている。


歌詞の中には、MVの主人公でもある「彼」(歌詞の中では「僕」であり、子ども)と、
子どもが親または毒々しい大人からかけられた言葉と本音が、鍵括弧等で区切られず混在しているように見える。

歌詞における「僕」とは視点主の子どもであり、「君」に親を代入すれば親子関係の曲と読み解ける。

また一箇所だけ登場する

ごめんねパパママ

からも、「僕」が呼びかける相手である「君」は親ではないか……? と考えることが可能だ。


「僕」の言葉と大人からかけられた言葉の混在に戻ろう。

君の才能なんて知ったこっちゃないね

はおそらく
「僕」が大人からかけられた言葉だ。

続く歌詞から、「僕」は大人から才能を否定されるも、完全に心が折れることはない、強い意志を持ち続けていることが分かる。

とはいえ「僕」は我慢もたくさんしていて、

ただ想いを飲みこめば

とあるように、思っていることすべてを口に出すことはできず、周りの顔色を窺って気を遣いながら生きているのだ。


しかし、我慢は一生続けることはできない。

「僕」は親を大事に思いこそすれ、ついに分かり合えないことに気づいてしまう。

「僕」の本音は歌詞のここに出ている。

君との約束は果たせそうにないけど
(中略)
ごめんねパパママ 理想になれなくて

「僕」は親からかけられる期待に気づき、その根底には愛情があることも理解しようと努めていたのだろう。

しかし親が持つ期待は「僕」の望む将来とは相いれないものであり、「僕」が自分らしく生きるためには親の期待を裏切る必要があった。

これまで「想いを飲みこんで」きた「僕」だが、

その期待も 理想さえも
君が未だ呪いになっている

ことに気づいてしまった。


だからこそ「暴徒」となり、親の期待という鎖(MVで「彼」を束縛しかけたもの)を親に壊させたのだ。

前述のように、「親」はかけた期待が愛情であることを疑わず、「僕」があれほど怒るまでアンバランスに気づいていなかった。(「親」が毒親だった場合、事の重大さを本当に理解しているかどうかは怪しい)

「僕」は親への申し訳なさという葛藤に打ち克ち、1曲分の時間をかけて、自分らしく生きる決意を固めたのだ。




直也

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