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体を休める【登山家に学ぶ「休み方」】

登山の本から気づきを得た

登山に興味を持って読みはじめた本 田部井淳子著『それでもわたしは山に登る』(文芸春秋)を読んでいる時、私にとってとても重要な気づきを得ました。

その気づきとは、夜寝る時に、『寝よう』としなくても良いということです。

「寝よう」とせず休むこととは

田部井さんは寝つきが比較的よくない、と書かれている部分があります。

そこには寝る時の知恵として、こう書かれていました。

眠れない眠れないと焦って気が休まらない時は、今日眠れなければ明日は眠れると思えばいい。
自分自身で眠れていないという想いがあるだけで、体を横たえているだけでも実は休まっているのだ。

私はこの文章を読んだ時、非常に救われた気分になりました。

私も寝付きが悪く、翌日に響くことを悩んでいたからです。

しかも、「寝られないから、気になってた本でも読んじゃうか」などと夜更かししようものならもう大変。

翌日は心身の不調を抱え、何も能率が上がらない状態に陥ります。

このような状態になることに気づいてからは、できるだけ睡眠時間を守って、最低でも1日6時間半以上は眠るようにしてきました。

ところが「寝られない日」というのは訪れるもので、しかも疲れている時に限って、なかなか寝付けない。

そういう時は気分も落ち込みがち。

「どうして寝られないんだろう」

「午後に昼寝をしたのがいけなかったのかな」

「そういえばあの時……(めちゃくちゃ過去の後悔した話)」

などなど、自責の念、後悔など、どうしようもないマイナス感情ばかり湧き上がっていました。

ところが、上の文章を読んだ後のここ2~3日は、眠れない自分を責める気持ちが減り、非常に快適に過ごせています。

疲れすぎて寝られない日もありましたが、

「でも、横になっているだけで体を休めているんだし。今は体を休める時間だから、考え事をしたいなら頭は無理に寝ようとしなくていいよ」

と思えるようになったのです。

上のようなマインドが持てると、今までの「寝られずに布団の中で苦しむ時間」は変質します。

「体を休めている時間」という、立派な大義名分に変わるのです。

私は「なにもしない」ことが苦手で、目が覚めていればあれこれを予定に入れてしまいがちですが、「体を休める」というのは立派な予定だと認識しています。

肉体が疲れていることは事実なので。

だから横になって体を休めていれば、思考は自由。

寝ても寝なくても良い、好きにしてていいよと思えるのは心安らかなことです。

また、「寝なくちゃ、寝なくちゃ」と自分を急き立てることを辞めると、思考にも余裕ができるのか、ネガティブな感情や記憶が蘇ってくることも減りました。

横になって体を休めながら、自然に寝られるまではポジティブなことに思考を使っておく。

気が向いたら「寝れ」ば良い。

寝つきに幅を持たせる方法を知れたことで、また少し生きやすくなりました。


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