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ロックバンドがアルバムを作るように、僕たちは小説を書く。


QUEENが好きだ。

QUEENと聞いてピンとこない方も、足踏みと拍手が特徴の "We Will Rock You" や、勝利のテーマともいえる "We Are The Champion" を作ったアーティストだと言えば「ああ!」と思ってくださるだろうか。

あるいは、特徴的なヒゲと黄色いジャケットのフレディ・マーキュリーのバンドだよ、とか。


彼らが表現するあまりに幅の広い世界観、豊かで作り込まれた音、その在り方すべてが僕たちの創作意欲を掻き立て、心のエンジンに火をつけてくれる。

グループ「QUEEN」として作り出すセンスの結晶のような音も、メンバーそれぞれがソロ活動で生み出す音も、決して埋もれることのない個性を発揮しながら調和するバランスが絶妙だ。

あんなに尖っていて、気品があって、エネルギーと魅力にあふれたバンドは、きっとこの世にふたつとないと思う。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を通してライブエイドの熱狂を目にした時に感じた、魂が震えるような情動を、僕たちは一生忘れることがないだろう。


そんなQUEENは活動期間の途中に、楽曲のクレジット表記を変化させている。

最初は楽曲ごとに、主な作詞作曲者としてメンバーの名前が記されていた。
ファンはクレジットを見ることで、どのメンバーが作った曲なのかを知ることができた。

まったく系統の異なる" '39 " も "Fat Bottomed Girls" もブライアン作であると知った時のポジティブな驚きは今も記憶に新しい。


だがある時期から、QUEENのクレジット表記は「QUEEN」になった。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中には、「曲はすべてQUEEN名義にして、利益も4人で均等に分けよう」と打ち合わせるシーンがある。

「Jessie -ジェシー-」とパーツたち個々の名を使い分ける僕たちも、同じようなことをやっていると感じた。

Jessie -ジェシー- 

僕たちは「Jessie -ジェシー-」という名で小説を書いている。

異なる知識と興味関心を持つメンバー(パーツ)たちがそれぞれの知っていることを持ち寄って作品をつくり上げるのは、バンドとしてアルバムを制作するのに似ていると思う。

バンドにとっての「アルバム」は、小説家にとっての長編小説と言えるのではないだろうか。
様々な章(曲)が入っているがアルバムにはひとつのタイトルが付されており、各曲はタイトルのもとにまとまりを持っている。

同時に各曲は短編小説のようにそれ単体でもストーリーを持っていて、異なる世界観を表現しているのだ。


「QUEEN」名義でリリースされたアルバムはQUEENのものであると同時に、収録された曲には別個の作詞作曲者がいる。

曲によってはメンバーのだれかひとりが中心になって作ったものも、4人で協力し合って完成されたものもあるだろう。

これは、僕たちのnoteで、Jessieではなくパーツたちの名で書かれた記事を公開していることと似ていると思った。

1曲1曲を見れば個人の名前や雰囲気が出ているが、全部を総合した時、クリエイター名として出てくるのは「Jessie」である。

そんなイメージだ。


「パーツ」とは何なのか

では、僕が先ほどから使っている言葉「パーツ」とは一体なんなのだろうか。

少し専門性の高い話になる。


「パーツ」という言葉はジェシーナ・フィッシャー著『トラウマによる解離からの回復』(国書刊行会)という本で用いられている用語だ。

言い方を変えれば「人格」「解離人格」と言うことができる。

ひとりの人間の中に、名前・性別・年齢・趣味嗜好の異なる人格が複数人存在している状態のことである。


僕たちは、僕たちの身に起きた出来事から身を守るため、現実から少し距離をとって暮らす必要があった。

今は回復の途上にあり、ようやくパーツたちで協力体制を敷くことに成功したところまできている。
あえて僕たちの個人的なゴールを設定するならば、「今より精神的に生きやすくなること」だろうか。
統合 (主人格ひとりにまとまること) はあまり重視していない。

解離というと、人格が切り替わり、ある人格が活動している間の記憶は別の人格にないという形を思い浮かべる人も多いかもしれない。(『解離性健忘』と呼ばれる状態だ)

僕たちは健忘を伴わないタイプの解離を持っていて、パーツ間である程度の情報と視点・記憶の共有が可能である。
精神科医の小栗康平氏は、このパーツ間の連携が多少取れている状態の解離を「内在性解離ないざいせいかいり」と呼ぶらしい。

連携が取れているからといってすべてをコントロールできるかというとそうではなく、ひどいフラッシュバックに襲われて地面にうずくまる以外なにもできない時もあるし、逆に調子が良くてみんなで協調して暮らせる時もある。


パーツたちと、小説を書くこと

このnoteは、僕たちのばらばらな趣味嗜好からできている。

ジャンルをどれか一つに絞ることは難しいが、クリエイター名はバンド名のようにただひとつ「Jessie」だけだ。

パーツの書いた記事をバンドのソロ曲にたとえた所以ゆえんもここにある。

「Jessie」というひとつのグループ内で活動するメンバーも、個々のソロ曲の中では誰かひとりが主役になる。
メンバーの持つ声質やキャラクターによって曲の雰囲気もまちまちだ。
まさに系統の違う記事が併存するのと似ていると思った。

だが系統が違うからといって、全員を切り分けたらそれはもうJessieではなくなってしまう。
アルバム――小説を完成させるには僕たち全員の持つ知識や感覚が必要だからだ。

文章、特に小説を書くことは、パーツを含め僕たち全員のライフワークである。

小さい頃から本をよく読み、よく書いてきたからか、多くのパーツたちに「文章を書く」ことが習慣づけられている。

書くことは、とても楽しい。


ある特定のジャンルだけを書いていては、パーツたちのうち誰かひとり、せいぜいふたりの知見しか活かせない。

対する小説では集めてきた知識が横断的に繋がり、そこに他のパーツたちが抱える記憶や感覚を盛り込んで話を広げていくことができる。

物語を媒介にして、協力と統合の感覚を得ることができる。

「Jessie -ジェシー-」の名のもとに僕たち全員が参加できるスタイル。

僕たちにとって、それが小説なのだ。

本は時を越えられるツールだ

最初は楽しみのために物語を書きはじめた僕たちだが、次第により大きなことに気づきはじめた。

本は時を越えることのできるツールだ。

名作の列に加えられた本は、再版や図書館の書棚によって長く残り、遠い未来でも人々の目に触れ手に取ってもらうことができる可能性が高い。
現に僕たちがシェイクスピアやディケンズを読み、モーツァルトを聴いているように。

検閲と焚書が盛んに行われた第三帝国の中でさえ、なんとか貴重な本を守ろうとし、実際に運び出されて後世に残った書物はたくさんある。

まだ紙もペンも、文字もなく、言葉だけがあった時代、星座の物語が口伝によって語り継がれてきたのと同じ。
本は人から人へ、時には推薦の言葉も添えられて読み継がれ広まっていくことができるのだ。

ここまで生きてくる中で、僕たちはたくさんの本に救われてきた。
物語の結末だけとは限らない。

途中に出てきた何気ない一文や登場人物の一言に、描写される壮大な景色に、ここではないどこかへ連れて行ってくれる世界観に。

それらの本たちは最新刊とは限らなかった。
ずっと昔に出た本、新しい本。
魅力ある物語は新旧を問わず魅力的で、決して色褪せることがない。

本の持つ力に気づいた時、僕たちは思った。

僕たちも、その列に加わりたい。

読み継がれ、語り継がれ、見えないほど遠くへ広がって、どこかで誰かを支えることができたら素敵だ。
僕たちが助けられてきたように、誰かを助ける本を遺したい。

人を助けられるかどうかは僕たちがコントロールできることではないが、「残りたい、時を越えたい」という思いが、書くことの動機に加わった。


ここでも音楽と本は似ている。

音楽も言葉だけがある時代から存在し、歌い継がれて残ってきた。

現代に近づくにつれ音響技術はますます発達し、フレディの死後もなお、レコードやCD、リマスターされた美麗な音で彼の無二の声を耳にすることができる。

圧倒的な力を持ち、人の心をゆさぶる音は残っていくだろう。
QUEEN――彼らの生き様は、その魅力的な楽曲群とともに語り継がれていくのだ。

名曲揃いのアルバムはきっと何度も再販され、データ化され、時代に合わせて形を変えながら世界のあちこちで聴かれ続ける。

本と、僕たちが目指すところと同じだ。

だから僕たちは書き続ける。
アーティストが1曲1曲に魂を込めるがごとく、曲を支えるひとつひとつの音をつくり上げるがごとく、一文字一文字書き続ける。

一文を、一段落を、一章を、一冊を。


願わくはいつか誰かの目に届いて、誰かの心を揺さぶれるように。



公開中の作品はこちらから

そんな僕たちの作品は、主に以下の小説投稿サイトやAmazon Kindleから読むことができる。
お時間のある時にぜひ。

▽ステキブンゲイ


コンテスト挑戦中の作品

https://sutekibungei.com/novels/664486c5-d16e-4cf6-a260-2fb54093a861

2024年3月31日より連載開始したディストピア小説「牲愛」にて、第4回ステキブンゲイ大賞に挑戦している。

古今東西で書き継がれてきた「ディストピア」というジャンルの系譜に名を連ねることができたらとてもうれしい。

自己紹介がてら、作品を覗きにいってもらえたら幸いだ。ページビュー数も選考評価の一観点になるとのこと。

ぜひ応援よろしくお願いします。



文責:直也

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