「読まない」という選択【つかれた心の休め方一考】
こんにちは。
疲れが疲れを呼んでくる不思議
ここ数日、いろいろがんばりすぎて心身ともに疲れていました。
疲れている時って不思議なもので、疲れているほど気が焦る。
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ。自分は全然がんばれていない気がする……。
一度意識的に焦燥を離れて客観視すると、限られた1日という時間の中でけっこういろんなことができていて、「がんばれていない」なんて自意識の嘘なんですけれどね。
そんな時に合わせて発生する現象があります。
無性にSNSを見たくなるのです。
読みたい本も、やりたいことも他に溜まっているはずなのに、なぜかスマホを手に取ってしまう。
別に今見なくても良いのではと思う投稿まで、いつもより入念にチェックしてしまう。そうして気づけば数十分が過ぎていることも。
その上不思議なのは、疲れている時に限って、ますます疲弊させられるような投稿ばかりが目に入ってくること。
これはなんていう現象なんでしょうね?引き寄せか?(;´∀`)
自分がSNSによってますます疲れていることをはっきり自覚したのはつい1年前ほどのこと。
最近はペース配分が上手くなったとはいえ、いちど疲れるとなかなか抜けられません。
休んだ方が良いのは分かってる。
でも、スマホが手から離れない。
私は思いきった対策を取ることにしました。
勇気ある離脱
私はこの対策を「勇気ある離脱」と呼んでいます。
やることは簡単で、「今この瞬間、心をもっていかれる投稿を読んで私は疲れている」を自覚した時に、思い切ってスマホを切り、他の活動に移ることです。
わざわざ「勇気ある」をつけているのは、潜在意識の隅に取り置かれたままの「逃げることは弱いこと」という小さな固定観念を刺激しないためです。
勇ましい感じがすれば、何か偉大なことをしている気持ちになれるから。
多大なる勇気を発揮して、SNSから離脱する。
そうして自分の心を守る。
早いうちに気づいて離脱できると、見過ぎて疲れきった時よりも心身の回復が早くなります(当社比)。
疲れている時こそ勇気を出す
精神的な距離感の練習は、ここ最近ずっとしていて。
でも疲れている時って判断能力が鈍るというか、手放したはずの生きづらい価値観がどこかから舞い戻ってくるというか。
いつもはできていることが、うまくできなくなったりするので、自分を整えることにも勇気や思いきりが必要になったりすることがあると感じています。
時には「勇気ある離脱」をするための勇気すらおっくうなんだけれど、ここで思いきるのと切らないのとでは後が全然違うから。
思いきって自分を守れた昨日は、すごく有意義な休養ができました。
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